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2004年01月分(01/05〜01/30)

2004/01/30

文責:い **

No.950

今日の文章は、”何を今更”と思われる方が多いだろう。
事実01/19に書いたものなのである。
この日、書き終えサーバにUPしようとした時、父が死んだ。
それからの10日間、何ともどたばたの日々であった。
理由を説明しづらいのだが、再刊にあたり、どうしてもこの日の文章を配信したかったのである。


春口のあの顔を見たくないから、この一年は頑張らなければならないのである。

負傷者続出が此度の敗因、即ちコーチングスタッフの怠慢である。
彼等は、菅平では完全な怪我人であったエイトの佐々木を秋まで辛抱強く回復に時間を掛けさせた。
よくぞまあ辛抱するものだと感心して観ていたものである。
この佐々木がいたから何とか決勝まで残れたのである。

それにしても、あれだけ戦力に差があると監督は何もできないものだと改めて実感した。
思いっきり突っ込んでしまって、一寸眼には抜けてチャンスと思われる状況は、実は相手の思う壺なのである。
そこしかないと思わせているのである。
その”そこ”に網を張って待ち受けているのであって、孤立させた選手の力は複数の防御で取り込み、逆に有利な状況にしてしまう。

去年までの清宮なら、一番嫌いなオフェンスプレーなのである。
しかし、今年は解っていてもそれに賭けるしかなかった。
相手も学生であるから、もしかするとそのまま抜けてしまう可能性もあると踏んでいたのであろう。
まあ、それしか勝ち目は無かった。
実際前半はそんな展開であったから余計良くなかった。

残念ながら太田尾のキャプテンシーに見るべきものが無かった。
味方の不正なプレーに対し、審判より先に憤らなくてはならないのが彼の役目なのである。
自分の不満足なプレーに自分で腹を立てるシーンが今期の試合にはまま見られたのだ。
勝手に自分で反省していれば良いだけの話なのである。
そんなことよりも、次のプレーを考えることを優先させなければならない。

更に、彼我の戦力差を認識していなかった。
そして、それでも勝つのだという明確な意志が欠けていた。
第二回のワールドカップの平尾主将と同じである。
あのとき最初に貰ったPKでPGを狙った。
結果得点できなかったという事実はドウデモヨイのであって、PGでの得点を狙ったという行為を指摘したいのである。

裏へ通す低いキックを蹴り、結果相手の足に引っ掛かられそのまま拾われて70m走られてトライされたあのシーンに如実に現れていた。
自分たちにはパスしかないとの認識が無いノデアル。
このスピード以外相手に勝る武器は無かった。
故に、この武器で戦うことを念頭に試合を創らねばならない。

ま、清宮も全員に徹底させなかったのがマズカッタ。
あいつにしては珍しく”諦めていた”試合なのかもしれない。
とすれば、社会人相手に何かやって貰わねばなるまい。
しかし、私のような観客は、大学選手権がファイナルなのであって、最早既に一年後の”乾杯”か”完敗”かしか頭には無いのである。

2004/01/16

文責:い 80

No.949

さぶい。
”さむい”と入力して”寒い”と変換してくれるのと同様に、”さぶい”と入力して”寒い”とセイカクに変換はしてくれない。

もっとも、私が”さぶい”と入力して”寒い”と変換されてしまうと、読者は”さぶい”と読んではくれない危険性(というか可能性)が高いのであろうから、一般的に”寒い”を”さぶい”と読んでくれる世の中が出現するまで(これを人間社会の進化と称する)、”さぶい”は”さぶい”のままで書き続けるしかないのである。

マ行とバ行との関係なんだけれど、一言。
バ行(ばびぶべぼ)は(はひふへほ)に濁点ではなくて、(まみむめも)に濁点が正しいのではないかと思っている。

因みに、音の発生順位は濁音の方が先かもしれない
――つまり”ま゛(この表記できるんです!)”の音が存在して”ま”に変遷していった。
詳細は省きます。

ATOK(ジャストシステム)の社長は、自分の苗字をかな入力する時、第一順位で漢字変換させるワープロが欲しくて一太郎を開発したなんぞと嘯いていた。
ま、他のソフトだって学習機能で一発なのだろうが、ほんの僅かでもそれらしき気持ちはあったと推察する。

で、昨日の続きなのである。
完成していない。
置け!――O.K.?
を使おうというところはハッキリしているのだが、途中が巧くない。
各種地方の方言が入り混じってしまっているのである。
登場人物を増やして出稼ぎ人の集まった農場を設定してしまえば良いかなどと自分を慰めてみたが、長閑な雰囲気が損なわれるのである。

という何時もの言い訳で、イツカニ続きます。

2004/01/15

文責:い 70

No.948

掘った芋イジンナー。全部オクレー。

これで終わって良い訳がないノデアル。

だってそうでしょうが。
今何時ですか?7時です。
これは立派な会話であるかもしれないが、面白くも何ともない。

原文はこうである。

この広大な畑で、俺が汗水たらして耕作し、今まさに掘り出して収穫せんがばかりになっている芋を、国の予算が付くのが間に合って出来上がったばかりの農道をロードスターのコンバーティブルで通りすがりに乗りつけた女連れの優男が、
”いい芋じゃん。貰っていこうぜ”
ってなものである。

これを見て、こりゃ大変だぞと、大声で、
”てめぇ〜触わんじゃねぇぞ。”
ってのが”俺”。

それに応えて、多分本人全く悪気は無しに、件の優男、
”根こそぎくれ(そのくらい良い芋ですね)”
と言っているのである。

さあ、この期に及んで”俺”なる人間は、何か気の利いたことを言って追っ払わずには居られない筈であるでしょうが。

今一つ気の利いた落ちが浮かばないので、明日に続く。

2004/01/14

文責:い 80

No.947

鮪経済学と弥勒経済学とについて思う。

新しい会社名を思索していた時(なに、哲学的に考えていた訳ではなく何となく思い巡らしていただけではある)、最初に浮かんだのが”マクロハード”。
もちろん”マイクロソフト”の対抗馬である。
ま、恐らくどこぞやの馬鹿者が登記しているであろうが。

仏教の世界では、大は小であり小は大であるなどと平気な顔をして語られている様子であるが、これがまた、何故か物理学の世界でも時として大が小になり小が大になるなどと真面目に論文を評価していたりする。

で、経済学では、鮪の観点からすれば正しそうだが弥勒からはどう見ても異なるなどと、もちろんこんな書き方ではないにしても、自分と相違する理論を操る相手に対する攻撃には”演繹的帰納法(意味不詳――不承不承に失笑を買うのである)”を使用するのである。
なんてったって、”神の見えざる手”という印籠を持ち出せば全てが解決するという伝統に支えられた学問は偉いのである。

ところで、鮪経済学と弥勒経済学とはなんぞやについて何も語っていなかった。
日本における財の輸入および流通の仕組みに関して、なかなかに面白そうな題材が”鮪”である。
そして、日本における観光というサービスの根源を、”弥勒菩薩”などの仏像観賞に求めてみたいという私の単なる思いつきなのである。

まあ、”単なる”ナノデアル...

2004/01/13

文責:い 90

No.946

支援のための自衛隊派遣の陸自先遣隊。
これだけでも可也長い。
とりあえず意味が理解できてくれていると思うのだが、”しえん”と言えば、”紫煙”が私の第一感である。

”タバコは二十歳になってから”なのだそうである。
後に続くのは、”やめることを考える”。

高校生の頃(そんな時期もあった)、”アパートの近くの紫煙という喫茶店でよく喋ったけね。今日もその前通ったっけ”という古井戸の歌の一フレーズが好きでありました。

で、無事二十歳になって紫煙クユラス身分になった。
もちろんハイライトである。
以来、時時刻刻の禁煙宣言で中断はあったのだがハイライト生活は続けさせてもらっている。
そう、生かされているのである。

二十歳といえば、自分のときの公営の成人式には参加していない。
なに、受験浪人中だったからというだけの理由であり、式そのものに対してどうのと考えての行動ではない。

ただし、今なら言える。
公営の成人式は開催しない方向にして頂きたい。
少なくとも、来賓と称する人間の紹介(場合によっては祝辞すら披瀝するらしい)を延々と続けるのは止めた方が良かろう。
まあ、昨日の成人式報道を見てのコメントはそんなところ。

ところで”支援”って、何の支援だったか。
確か、アメリカ軍に対する支援であったと記憶する。
こう理解すると、政治の動きが納得でき、新聞を読んでいて話の筋が良く頭に入ってくるのである。
イラク復興支援の”支援”と理解すると混乱するから注意したいものである。

2004/01/08

文責:い 80

No.945

昨日は、新しい年になって早々だというのに休刊してしまった。
まっ、今年もこんなものでしょう。
毎日発刊されるなんぞとは、まして、必要不可欠なものなんぞとは誰も期待していやしないのであるからこれで良いのである。

と、言い訳をしたところでまたまた昨年末から正月にかけての雑感。
買い物の失敗は記載したが、この間、悪いことばかりではなかった。

その一。
少年サンデーコミックス”焼きたて!!ジャぱん”と出会ったこと。
そして、この単行本は、既刊が10巻を超えていたこと。
これは重大なポイントである。
第1巻を面白そうだと手にとってそれを読み終わった後、次の巻を待ち続けるのは相当なフラストレーションが募るのである。
10巻分くらいをまとめて読んで、一息ついて今一度最初から読み直すのを3〜4回繰り返すのが心地良いのである。

その二。
昨年の流行歌の売れ筋がオブラートに包まれたプロテストソング(プロになるためにはどうしても歌って認められなくてはならない歌。モチロン嘘)――特に反戦歌――であったこと。
一般の人々の多くが戦争なんぞをしたくないと、忍び寄る好戦的な政治家の力に対して、心の底ではある種無意識に反抗した証であろう。

その三。
餅がウマカッタ。
全国的には豊作でなかったし、米の質も今一つだったらしいが、こと手に入れることの出来た餅米に関してはほぼベストであったし、機械搗きで私の大好きなベロベロ餅に仕上げたのである。

2004/01/06

文責:い 80

No.944

昨年暮から新たに購入した品物には、どうも共通して不具合が生じるという曲者が多かった。

如何せんコリャダメだは、パソコンの切替器。
一台のディスプレイで複数のパソコンを使いたいと考えたのである。

少し前まで、私の環境でスペースユーティリティなどという考えを持つ必要性を考えたことはなかった。(液晶ディスプレイは、”軽い”という面で考慮の範囲に入ったこともあったが、現在使用中のEIZOの19インチ以上の”金額ユーティリティ”――コストパフォーマンスを見出せなかった)

ところがである。
諸般の事情で此度私の仕事場として妻から与えられた空間は、え〜〜っというくらいに狭いのである。
詳らかに言えば、20畳相当から4畳半(この言葉の持つ響きは好きなのだが...)収納無しの空間へ封じ込まれたのである。

で、切替器を購入し、そして、EIZOだけを残して、そして、複数のマシンは当然残さないと仕事にならないのであるから、空間のレイアウトをしたのである。
つまり、切替器の機能を活用することを前提にしたのに、切替器がまともに機能してくれない。

これは、言葉で表現すればこれだけのことであるが、実態はサニアラズナノデアッテ、畢竟ずるに私は、今一度仕事をするための準備から始めなければならないのであって、従って仕事始めはまだまだなどと呑気な調子で喋っていた昨日までと異なり、まっこと何時からになるのだとの問いと答えとを自分自身で繰り返しながら、この暖房のない世界空間で地団駄踏みを繰り返すのである。

とまれ、お天気の良い正月ではある。

2004/01/05

文責:い 90

No.943

新しい年が普通にやってきました。
本年も宜しく。

この、普通にやってくるのが良いところであります。
特別にやってきたりすると、受身の私はとっても辛いのでありまして、”また今年も来てしまった”などと、新年早々悩まなければならないのであるから、まっこと”普通”は有難いのである。

正月二日にラグビー中継を見せないという協会の方針であったので(地上波。大学選手権の形式変更による。これが今期の早稲田にとって幸いしているのである)、正月の過ごし方のリズムが狂って今日五日に至っている。
怠惰な生活を他人の所為にする典型的なパタンなのであるが、とにかくいまだに正月野郎を演じていて、まだまだ当分続きそうな予感がする。

とまあ、こんな感じで今年も”普通”に過ぎていっていただきたいものである。