日刊 鬼ノ胃 本日分はこちら |
2003年07月分(07/28〜07/31)
2003/07/31 |
文責:い 90点 |
No.898 |
可也世の中を甘く見て生活している。 公官庁に提出する(”させられる”が実感に近い)書類が、普通の人が普通に生活していこうとするだけでも相当数に達する。 書き方が良く解からない場合、即座に担当部署に問い合わせる。 ”書き方が良く解からない”のは、何故か知らないが記載例が付記されていたりする場合が多い。記載例がどう見ても間違っているとしか思えなくて、余計に混乱するからである。 訪問することもあるし、電話で済ますこともある。 すると、こんなことも解からないのという顔をされるのが常である。 訪問する当方が、ミスボラシイ身なりであるほどかかる横柄な態度は露骨である。 とはいえ、尋ねられたことについては回答するのが仕事であるとの認識はお持ちの様子で、先様(担当者)は、ま、そりゃ、日常的に扱っておられるのであろうから、間違っていたってこれで通りますってな按配で、ちゃちゃっとばかりに書き方を教えてくれる。 ところが、ちょっといやらしく(だって、この書き方の欄を見るとそんな風に書くことを求めているとは推察し辛い日本語が記載されていますよ。この日本語の記載が間違いですか。などと質問する訳である)、もちろん私にできる限り馬鹿丁寧な言葉で以って問うのである。 すると、担当者は仕事であるから充分な時間をかけて上司なんぞと相談してくれる。 しかし、答えになっていないのでその点を、少し視点を変えて質問するとまたまた充分な時間をかけて上司と相談。 だんだん面倒になるのである。 (おめーさ。おめーが私と上司との間に入っているから、頓珍漢な答えが出てくんだよ。直接喋らせろ)という意味の内容を、またまた丁寧に言って差し上げる。 とはいえ、こんなときに出現する(お互いに、さっきから其処にいることは知っているのだが)上司ってのが、大体先に”おめー”と私が記載した担当者と同レベルなのである。 違うのは、解からないと言わないことである。 こんな風に書いていると、お役所さんを馬鹿にしたいという私の希望の存在を裏読みされるといけない。 そうじゃないんだよ、の一言を最後にして明日に続く。 |
2003/07/30 |
文責:い 80点 |
No.897 |
水稲が泣いている。 全国的なのかどうかを存じ上げないが、我南総地区では出穂が10日程度は遅れている。 低気温と日照不足との影響と推定される。 茄子・胡瓜の類が、昨年の5割程度の値段で取引され、それなのに(それと故同じくして、の方が適切かもしれない)品質は悪いというテレビ報道を見た。 で、私の興味は、今年の米が旨いかどうかということと、お値段の水準とに向けられるのである。 生産者ではないので、購入したい品質の米の量目当り単価が問題なのであって、単価X数量である総生産額には関わり無い。 などと無責任な話をしてしまう訳なのであるが、米不足を真剣に心配などしていない証拠である。 飽食などいう言葉が叫ばれて久しく、近場の某国では国民が飢えに苦しんでいるらしい様子で可哀想と、全く自分に関係無い話として、少なくとも自分とその家族には”食糧不足”状態になったらなどという想像すらしなくて本当に大丈夫なのだろうか。 この頃私が食事に利用する幾つかの飲食店では、お任せのコースなんぞを注文すると、店側の対応に共通した傾向があるのに気付く。 最後に”お腹一杯になりましたか?”と聞かれるのである。 その位、量が充実した献立である。 味において客を満足させる自信がある店ほどその傾向が強い気がするところを見ると、ツマルトコロ味には自信があるから、今日の料理の味が如何だったかなどとは尋ねないのである。 太ってショウガナク、何とかしなくてはなどと行動を起こさないながらも焦っているのだが、何、直に否応無しに痩せざるを得ない食料状況になることだろう。 そのときに到って、無農薬だとか遺伝子組替無しだとかを声高々に叫ぶ自分の姿を期待している。 現在そんな行動をしている人々が、その来るべき時代にどんな態度を採るのかを冷静に観察できるよう、肉体と精神とを鍛えておかねばならぬ。 |
2003/07/29 |
文責:い 80点 |
No.896 |
1.日本語は英語ではない。 この日本語は、(恐らく)日本語文法上の問題点は無い。 そして、論理的にも理解できる。 2.このラグビーの試合はラグビーの試合ではない。 これもまた文法上の問題点は無い。 しかし、論理的には矛盾に満ちている。 ”ラグビーの試合”だと書いた舌の根も乾かないうちに、”ラグビーの試合”ではないと書く。馬鹿者!って感じ。 だのに、なのである。 1.の場合、さてこの文の作者は何を言いたいのだろうかという訝りの感じだけが残るだろう。 2.の場合は、言わんとする意味が解かる。 さて、それこそ私は何を言いたいのだろうか? HUNTERXHUNTER 17巻(今回は、6月上旬の発売日を勘違いしていて一日遅れで購入するという失態を演じてしまった)の最後のシーンはこうである。 ”お前はオレだ” 爆弾魔(ボマー)ゲンスルーがゴンに向かって叫んだ言葉である。 凄まじい発言ですよ、これは。 お前がお前でなくて、オレがオレでないのである。 お前がオレだと断定しているのである。 困ってしまいませんか? 私は、何時も私である積りで、眠ってみたり、鮭を食ってみたり、お前と呼びつける親しい仲間と喋ったり、女房子供に親父は臭いなどと言われたり、どうもありがとうと御礼の言葉と共に頭を下げられたり...している。 それなのに、もしかすると”オレはオレではなかったのか”と自問せねばならないのかもしれないのである。 これは大変だ。 事実ウロタエテイル。 |
2003/07/28 |
文責:い 70点 |
No.895 |
結論。 高校野球は面白くない。 正確には、面白くなくしてしまっている。 審判がオカシイ。 例えばその1。 ストライク、ボールの際どい投球があったとする。 この時のコールは”ボール”。 ややあって、同じ投球に対して”ストライク”とコールする例が多いのである。 一回目のコールで、打者は(優れた打者であればあるほど)審判員の癖(言い換えれば、その日のストライクゾーン)を確認するのである。 しかし、審判員の頭の中では、”今のはちょっと辛かったか、まあ次はストライクを採って、チャラにしよう”程度なのである。 打者にしてみれば堪らない。 概ね、ストライクとコールされるであろう2回目の一球は最初の一球より重要度が高いのである。 自信を持って見逃した際どい投球を”ボール”であると見切って、微動だにせず見逃す。 つまりが見逃しの三振。 ”2ストライク後の際どいボールは手を出すべきだ”などという解説は、二流の選手上がりの者の言葉であって、一流はそんな曖昧な態度で打席には立っていないものである(私がそうであった、と書くことが出来れば説得力があって良いのだが...) 最初が”ストライク”と判定された場合には、投手の側に同様の不信感が生じる。 政治的な(保身的な)判断をしてはならないのである。 プロ野球の場合なら、例えばショートストップが三塁手の裏の深い打球を処理してファーストに向かってギリギリ間に合うかのタイミングで送球した時、こうせねばならぬことがある。 ファーストを守る者はベースを踏んでいなくても良いから、思いっきり伸びて捕球し、すぐさまショートに向かってボールを投げつけ、華麗に内野陣の中で、キャッチボールして廻すのである。 塁審は、ファーストミットにボールが到達する寸前に”アウト”とコールしなければならない。 これが興行の掟である。 審判に関してもう一点。 ボークを採らない。 多分、野球規則をご存知無いのだ。 これは、選手・監督についても同様なのかもしれない。 ボークに関してだけでなく、ルールブックを捲ったことの無い高校野球関係者(もちろんプレーヤーを含む)が大部分なのではないか? 教育の一環としての高校野球を標榜するならば、もしこの推測が正しければ(恐らく正しい)、関係者の猛省を求める。 長くなっている。もう少しだけ。 選手諸君が監督の顔を気にしすぎる。 管理野球は嫌いではないが、この世界で”岩城”みたいなプレーヤーが活躍できることもまた必要だと考える。 ガキの遊びなのだから、試合に出てしまえばこっちのもんだい位の気持ちで、のびのびとしたプレーを見せてくれた時代の高校野球に戻って欲しいのである。 本日、千葉県大会決勝。 |