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2003年05月分(05/01〜

2003/05/07

文責:い 90

No.894

インフォプラントの調査によると、家に五月人形があるのは全体の4割強、こいのぼりがあるのはほぼ6割で、その半数近くが実家からの贈り物だった、とのことである。

先ず第一に、五月人形にしろこいのぼりにしろ、そんなに所有比率が高いとは驚きである。
第二の驚きは、実家からの贈り物でない半数はどういう経路で所有するに到ったのか疑問なのであって、つまり、実家でない方が贈ってくれたあるいは親が買ったのかという驚きなのである。

こういう調査は、主催者にしてみればある方向に導かんとする誘導尋問をする意識は決して無いにしても、結果的に設問の仕方で実態と異なる結果が出現する時があるのである。

私はアンケートに答えるのは好きである。
全ての設問に必ず答えなければならず、かつ、答えが与えられた選択肢からのみに限定されていると、一旦は立ち止まってしまうが兎に角その中から選んでしまうことがまま有る。
”その他(具体的にお書きください)”という項目を選択肢に必ず設置しておいてくれないとそうなるのである。

で、”家に五月人形があるのは全体の4割強、こいのぼりがあるのはほぼ6割で、その半数近くが実家からの贈り物だった”という調査結果を齎すアンケートがどんなものだったかを想像してみるのである。

極端な例のみ書く。
第一問。
”あなたの家には、実家から贈られたこいのぼりまたは実家から贈られた五月人形がありますか”
答えの選択肢は”ある””ない”のみ。

そして、第二問の前に次のコメントがある。
”第一問であるとお答えになった方だけ次の質問にお答え下さい。それ以外の方のアンケートは終了です”
第二問。
”家にこいのぼりがありますか”
答えの選択肢は”ある””ない”のみ。
”第二問であるとお答えになった方は、第四問にお進み下さい”
第三問
”家に五月人形がありますか”
”第三問であるとお答えになった方は、第四問にお進み下さい”
答えの選択肢は”ある””ない”のみ。
第四問。
五月人形またはこいのぼりは、実家からの贈り物ですか。
答えの選択肢は”はい””いいえ”のみ。

このアンケートの内、単純に第二問における”ある”と答えた比率、第三問における”ある”と答えた比率、第四問における”はい”と答えた比率を記載するのである。
”家に五月人形があるのは全体の4割強、こいのぼりがあるのはほぼ6割で、その半数近くが実家からの贈り物だった”と、なりそうな気がしませんか?
これならそんなもんじゃろってのが私の感ナノデアル。

2003/05/06

文責:い 70

No.893

地震に見舞われたトルコにお見舞いに行く計画は白紙にして、1千万(1百万ではない。本当はギリギリもう一桁上げたいのだが諸般の事情あり)トルコリラ程度を寄付することに決定した。
残念ながら、手元には現地通貨で1百万トルコリラしかないので日本円で地元のお役所に持って行ってみることにする。
どういう対応をしてくれるか興味深い。

市民生活に関わる事柄は、遍く市役所の担当部署があるのである。
受付の人間が、掃き溜めをどの部署に持って行くかは(つまり、訪れた市民の問題解決をしてくれそうな担当部署を案内する先を決定するのである)受付の手腕なのである。

従って、詳細に訪問理由を述べないといけない。
何故なら、此処でこの作業工程を手抜きしてしまうと、紹介された担当者に会うことができても、”お話をお聞きするところ、私の管轄ではなさそうです。XX課に行ってみて下さい”くらいの事を言われて、これから先長くて永い盥回しのタライとなる旅が始まることになるのである。

タライならば、廻されていくのは一向に構わないのだろうが、タライ化した私は歩かなければならないのである。
途中喉が渇けば、自動販売機に向かって、お金を入れたり、ボタンを押したり、出てきた”ぢゅうす”を取り出したり、プルタブをやり損ねて指を怪我したり、飲んでみたらあまり美味くなく隣のお茶にしておけば良かったと後悔したり、最後の一滴までと欲張って勢い良く缶を逆さまにするのと同時に頭を後ろに下げて壁にシコタマぶつかったりして....
と、大変なのであるから、先ず、受付には詳細に訪問理由を述べないといけないのである。

さてどうなることやら。

2003/05/02

文責:い 80

No.892

仕事は丸に抱え込んでいてやらなくちゃならぬこと多々あり、そして、遊びには行かなくちゃならないし”たいへんだあ〜”。

もちろん、遊びが優先であることは当然なのであって、どんなに仕事の遣り残しがあっても遊びには行かなければならないのは言うまでも無い。
もう一段深い本音を書けば、今日の空を見たまえ、こんな上天気に仕事なんぞをしている場合ではないのである。
なんたってゴールデンウィークなのである。

(ゴールデンウィークをGWと表記するのに抵抗は無い。しかし、ナノデアル。今日の朝のニュースバラエティ番組でゴールデンカップス再結成の話があった。タイトルは”Gカップス公演”。私は目を見開いてその映像を心待ちにしたのであるが、出現したのは老けた男達の姿であった。”Gカップス”は”Gカップ”の方々の複数形で無ければならないはずだ!)

少なくとも過去に生じた現在における負の負債と無関係に生きている限り、現在の日本を動かしていると錯覚している人たち(その負債を生じさせた張本人である。そう、彼らは責任を取っていないのである)は、遊びをしなかったから間違いを犯したことを認識すべしと申し上げることができる。

勤勉に勝るもの無し。
つまり、”遊ばなくちゃ”という教えである。

2003/05/01

文責:い 90

No.891

第二は、これもまた土地鑑の無い街を訪れた際、飲食店街のように数多ある飲食店の前を行ったり来たりしてみた上で、美味そうな”臭い”を感じ取って涎を垂らしながら入ろうとするケース。
このケースは、この場では説明しない。
別に改めて書くことになるはずである。

第三は、地域的に自分のテリトリーに属する界隈に、新規の店が開店したケース。
これはもう一人で行くに限るのであるが、兎に角行ってみなければならぬというある種義務感で入るケースなのである。
初日を避けるのは客側として当たり前であるが、新規開店なのであるから、店主は力が入っているのが当然であって、それでも不味いという評価を与えなくてはならない店は”論外な店”というレッテルを貼り付けるのである。
二度と行ってはならない。

なお、初めての店では食うものは決まっている。
中華(風)の店では、チャーハンと焼き餃子(故に中華ではなく”風”)とである。ラーメン専門なら別だが、所謂ラーメン屋ならラーメンは食わない。
蕎麦屋では、蒸篭・おでん(味噌田楽)。
日本料理屋は、雲丹・豆腐。別に季節の品を一品。
ごっちゃな店では、豚または牛の内臓料理(通常はモツ煮)・トロロ芋(月見のマグロ抜き)。
お好み焼屋では、お好み焼を食うのであるが、自分で焼いてはいけない。必ず店の人に作ってもらうこと。
あと思いつくままに書くと、日本酒を出す店で、日本酒メーカーの協賛看板を掲げていたら入らない方が無難。

言いたいことを言ったら少し気持ちがスッキリした。
実は昨日ちょっと美味いモノを食ったのである。
正確には、気分良く時間が過ごせたのである。