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2003年03月分(03/01〜

2003/03/25

文責:い 80

No.874

我が家の庭に鶯が来ている。
今日ともなると、流石にさえずりがとても上手になった。
”法華経”と聞こえる。
彼岸の時期に相応しいものだなどと、爺臭いことに気が付いてしまった自分に照れ笑いである。

アカデミー賞授賞式にてのこと。
”信じる神が異なっても”というフレーズには感心させられた。
ブッダを神というカテゴリーに入れるのが、この日本で当て嵌まるかどうかは別にしても、強烈で新鮮な考え方の持ち主がアメリカに存在することを知った。
私は神を持たないから、そして、それ故便利に神を利用しないからまともなものだと思ってきたが、他人に対する思いやりに欠けていたようである。

昨日、話には聞いていた”善意”を利用したサイバーテロ、戦争反対のメール署名活動を呼びかけるメールが入った。
”末尾に名前を入れて、できる限り多くの人に転送してください”なのだそうだ。
ある程度の人数(数百人)が集まった時、ホワイトハウスのアドレス宛てに送るよう指示されている。

この種のチェーンメールは嫌いなのである。
しかし、今回だけは参加しちゃおうかなどと思わせられてしまう。
もちろん控えさせてもらう訳だが、この手のことのアジテイター(扇動家)は、殆どブッシュ並みの頭を持っているからである。

全く”善意”ではないのである。断言する。

のんびりしたことを、のほほんと書く積りだったのにやっぱりこの話しになってしまった。
困ったものである。

2003/03/18

文責:い 90

No.873

たった今、ブッシュの演説を(通訳の言葉で)聞いた。

今日は何月何日なのだろうか?
世界はどの年月日まで戻されたのだろうか。
この間のアメリカの動きは、政治的には時間をかけて世界的に正当化されていくのであろう。
が、国家というものに釈然としない感情を抱く人々は確実に増えているだろうし、現在力を持つ人々の足掻きを笑うことが不自然ではなく日常的になる。

国連の役割を子供たちに教えるための教科書の記載は、どうなるのか楽しみである。
教科書は言わずと知れた検閲の仕組みが確立しているのであって、検閲する立場の人間と今回の一連の出来事を正当化すべく画策する立場の人間とは同じグループに属する。

歴史の教科書は確かに史観の相違で片付けることができるが、”国連の役割”を説くのにそんな便法は成立しない。
ま、これは私の住む国の問題である。
官立の学校教育なんぞに多くを期待しないで、自分の周りに住む子供たちを私たちの手で教育すればよいのである。

何故、フセインとブッシュとは直接会って飯を食いながら話をしなかったのだろうか。
真昼間、大勢の人が見ている前で酒を酌み交わし美味い飯を食えば、目の前の男と対立しようという気持ちを高めるなんて事態は想像できないのである。

ブッシュは余程不味い飯を食っているに違いない。
食事の効能をご存知無いらしいからである。
進言するべき取り巻きも同様なのであろう。

2003/03/17

文責:い 90

No.872

本日復活の狼煙を高々と焚き上げて、意気軒昂なところをご覧に入れる予定だったのである。
しかし、こんなときはそんなものなのであって、雨は降っているし、寒いし、イキナリ意気消沈である。

酒に浸っていたのである。酒池なのである。
残念ながらというか、”肉林”とは無縁だ。
漱石の猫の最期のように、甕に落ちてモガイテイタノデアル。

タマちゃんは、妙な団体の抗争に巻き込まれるし、武力行使と戦争との違いを一番理解していないブッシュは浮き足立ち、妙に扇動された市民団体が”自主的な戦争反対デモ”を行っているし、こちらは良く理解した上でフセインは世界の市民が味方だと強弁するし、もう滅茶苦茶である。

イラクの問題(アメリカがイラクに武力を以って好きなことをしようとすること)が実現すると、何故株が下がるのかの明確な理屈を私に理解させること無く新聞テレビは”下がる、下がる”と囃し立てる。
実際のところ、その根拠を、その因果関係を説明できる方がいらっしゃったら連絡を欲しいし、当然その理屈を私に解かるように説明して欲しいのである。

ま、概ね、こんなテーマを酒で神経を覚醒させて悶々と考察していた次第である。
自分の頭の中で、結局何も解決していないのだが、ちと一仕事しないことには女房との戦争状態になることが避けられそうも無いので、今日は酒を飲まずに過ごそうとしているだけの理由でこの文章を書いて発信するのである。
困ったことである。