あっさりメニュー
日刊 鬼ノ胃 本日分はこちら
 

2002年10月分(10/01〜10/31)

2002/10/31

文責:い80

No.815

”深謀遠慮”。
あまり芳しくない意味を持つ言葉だと思って今日まで接してきた。
ところが、どうやらそうではないらしい。
こういう感覚上のズレが困るのである。

”ばか”と”あほ”との違いなんてモノを、関西人に説明させると喜んで説明してくれるのだが、私には、全く意味不明である。

で、同郷で同世代の友人と田舎言葉で喋っている時には、安心してしゃべることができる。
そして、細かいニュアンスの違いのある表現を理解してくれるから、何か胸にツッカエタまま伝達できないモドカシサでイライラしないで済む。

ところが、テレビなどで外国語の通訳の言葉なり訳した文書を、その言葉を発した人の表情とか音声とかと同時に見聞きさせられると、本当にそんなこと喋ってるのかヨと感じることがシバシバデアル。

残念ながら、英語といい仏語といい(これらの言語は、曲がりなりにも相当の期間学習させられた記憶があるのに、なのである)、まともに外国の言葉を理解できないので、そんなことを言っていないぞとは指摘できない。
それでもこんな風に感じるのは、明らかに乱暴な喋り方をしている兄ちゃんの言葉を、舞妓さん言葉で通訳されている感じ、と言ったら少しは理解して頂けるか。

ところで、”強か(したたか)”をある人の性格に関して使用するときは、悪意は有るや無しやナノデアル。

2002/10/30

文責:い90

No.814

サブさにうろたえた私は忘れていたのである。
オリオンがその日のうちに(ま、夜中の12時前に、という意味である)昇ってきてくれる時節が訪れていたのである。
そう、すっかり忘れていた。
天文ガイドを文章で追いかけていたなんて、誠に馬鹿げていたのである。

そんなことはドウデモヨイのだ。
双眼鏡を三脚にしつらえて、どの方向でも良い、両方の眼で覗きさえすれば、素晴らしい世界が出現するのである。
サブいけれど、そうしさえすれば幸せな情景が間違い無く現れる。
でも、サブいのだから防寒はしっかりと。

今年の11月20日前後のしし座は、満月に邪魔されるのだ。
もう少し正確に言えば、もし満月がなくても(満月に該当するという月日の巡り合わせでなくても)半日のヅレで前後のピークに出くわさないのである。
そのピークス(二つあるらしい)たるや、もしかすると昨年以上かもしれないのである。

いやいや冷静になろう。
しし座の流星群の出現は、宇宙空間としてはまっこともって汚れたエアリアに地球が飛び込むことによって醸し出されるのである。
彗星の撒き散らした塵(スモッグと呼んで良い)と言うべきその彗星の足跡に、私とあなたとの住む地球の軌道が重なると言うのだ。
そう、しし座流星群の出現とは、ゴミの問題ナノデアル。

一生懸命に、質量をエネルギーにしようと努力している人間の営みを笑おうではないか。
二つの酸素と一つの炭素との集合体を作り出す行為を止そうじゃないかなんて議定書を京都で作っても、そうだよねと喋ってくれない力のある馬鹿がいる限り、そう、その馬鹿こそが質量をエネルギーにしようと努力する最大勢力なのだから、無駄である。

Eはm×cの二乗という現実の前に平伏しながら、夜空を見上げているのが一番である。
投票日に投票に行くなどという行為をするよりヨッポド良い。
投票は最低限の国民の義務だなどとホザク女性知事のいる県に住むのは本当に厭なものである。

今回の選挙の総括としては、”30%以下の投票率でしたので選挙無効であり当選者は無きこととします”というのが本筋であろう。
念のために言っておくと、今回の選挙のように首長選挙以外の場合には、再選挙無用である。

更に念のために言っておくと、カネテ述べてきたところの白紙投票論とは矛盾しません。

2002/10/29

文責:い70

No.813

サブくなった。
明け方が、自分の起きている時間であることが多いので、低い方の気温の推移には比較的敏感である。
どうやらどの季節でも05:00位の時刻が最も気温が低く感じられる様子である。

未だに質問して明確な答えが返ってこない単純な理屈がある。
真夏の太陽南中時(別に真夏でなくても良いのであるが)が、その地に降り注ぐ日差しが最も強いのに、一日の最高気温となる時刻が2〜3時間後ろにずれるのは何故か。

この理屈と、先の最低気温と感じられる時刻がどの季節でも05:00位というのとでは、実は理屈が異なるのである。
最低気温を示す時刻という事であれば、同じ理屈で説明できるのであるが、”感じられる”などという人間の感覚を介在させてしまうと考察しなければならない要素が多くなり過ぎるからである。

で、人間の感覚器官がイイカゲンなモノであるなどと言うつもりはないのであって、むしろ、極めて物理的な(フィジカルなんて言葉を充てると訳解からなくなる事を請負います)モノであることに毎日思い知らされているのである。

熱いお湯をこぼせば火傷する。
乾燥した紙が刃物となって切り傷となる。
金槌で釘を打とうとすれば指がヒシャゲル(”ひしゃぐ”と書こうとしたのだが、自動詞下一段活用の動詞であるとの記載がある)。
以上全ての場合に於いて、痛くて涙が出るのである。
涙こそ最高の感情表現である。
言葉にしたら嘘が出るが、涙と笑いとは正直である。

サブくてくしゃみが出るのも正直だし、風邪を引くのである。
頭がガンガンしている。鼻水なんか、水道のようである。
あ〜あ。嗚呼。

2002/10/24

文責:い60

No.812

さて、言訳である。
怠り心を戒めて、再開したと思いきやまたまたの休刊である。
ま、こんな心がけの持ち主が書いているのである。

で、ニフティなのである。
最近お付き合いをしている人々のプロバイダでも、結構この会社を拝見する。
あそこは、(多分現在も)単純なインターネットプロバイダではないというのが売りである。
所謂”パソコン通信”という言葉が存在した時代があった。
そして、この時代、確かにニフティの存在価値はあった。

とは言え、1988年9月1日発行との記載のある”美味しんぼ”16巻96頁には、”N−FTY”と載っている。(正確には、縦書きでアルファベットを記載してあり、”I”が”−”になっている節もあるので、校正が巧く機能していないのかもしれない。)
そんな塩梅だから、”パソコン通信”そのものが一般的ではなかったのかもしれない。
(オタクだったという表現だと一発で済ますことができる。そんな輩を結構知っている私は一体....)

そうそう、で、ニフティなのである。
ここ1〜2年で初めてインターネットに接するようになった人々で、パソコン通信なんぞを夢中になっていたような古くからの友人に相談した結果、ニフティの会員(プロバイダ契約者)になっている人が多いのに気付いたのである。

はっきり言って、このプロバイダさんは高価な価格設定である。
それを知ってか知らずか(は知らないが)、プロバイダ変更をしたがらない。
携帯電話の番号にしてもそうなのであるが、eメールアドレスも変更するのを嫌っているのであろうが、本当に継続に意味があるかどうかを再考すべきと考える。

同じ携帯電話を購入するのに、機種変と新規との価格差がありすぎるのである。

2002/10/22

文責:い80

No.811

様々な会の会員となる機会がある。
任意登録したものばかりではない。
住まいの地域における代表として推挙されて(実際には、構成員が少ないためにほぼ年齢順に就任していくのである)、しかし決して渋々ではなく出席させてもらっているなんてものがあるのである。

こういった会には、概ね年行事があるのだが、ここに困ったことが多々在るのである。

私もこの年まで生きてくると、個人的な年中行事というものがある。
私主催の行事なら、平日にでも催す事にして、他の行事との重なりを無くすべく調整するのである。
しかし、単純に何方かが主催する行事に参加させて頂いているのであり、その日程は主催者の意思によるのであって、私の都合などを考慮してくれない場合が大部分である。

例えば、11月23日の祝日には”ラグビー早慶戦”が秩父宮で、また、12月の第一日曜日の国立競技場といえば”ラグビー早明戦”と決まっているのであり、我が家のカレンダーにはその年の正月の内からこの日には書き込みがあるのである。

新参者として入会した組織での行事が、こういった個人的な行事と重なると、重複して参加する事ができない以上、どちらかを選択しなければならない。
もちろん、会の構成員として、日時を決定する場所に出席し思うところを発言することはできる。
重ならないでくれさえすれば、どちらも参加したいのである。

しかし、”ラグビー早明戦”観戦という行事が
、他の者を説得するのに充分な理由とはならないらしいのである。
私としては、重要度が相当上位のランクに分類されているのであるが、どうやら世間の評価は今一つである。
これが5年6年とその会の構成員を務めているうちには、私にとって如何にこの(極めて個人的な)行事が大切かを、他の会員に知らしむるべく根回しをするのであるが、如何せん初年度の新参者なのだ。

従って、嘘も方便とばかりに、仮病を使ったりすることも考えるのだが、そんな嘘は深みに嵌る事が多いことを経験上良く知っている。
正直に理由を述べるのが、長期的には一番良いのだが、非常に短期的には中々辛い思いをすることになるのである。
どないしまひょか。

2002/10/21

文責:い80

No.810

寒いという表現が使用できてしまう今日である。
昨日までは、あと10日ばかりであるから、自宅では半袖Tシャツ・ショートパンツスタイルを今月一杯通す予定であったのだが、如何せん無理である。

ちと頑張っただけで、鼻水が出てきてしまった。
矢張り年を重ねたのである。
最近、無理をして良かったと思えることがない。
逆に、無理の後始末が大変なのである。

どちらかというと、執念で事にアタッテキタタイプだと考えている自分は、今後オリジナリティというかアイデンティティというかを前面に押し出すことができないのではないかと危惧している。
さほどに、兎に角無理が利かないのである。

例えば、耳の良さで群の危機を救ってきたA君がいたとしよう。
多分彼は、他の仕事に従事する義務を免れて、その耳を利用する役割に特化した仕事をその集団の中で与えられるであろう。
社会の分業の切っ掛けなんてモノはそんなものであろう。

ところが、一分野一人で分業をしていると、その特定の一人が巧く機能しないと、全体が機能しなくなるのである。
安全を期して、一分野二人での分業体制にすると、効率が悪くなる。
それでは如何するのか。

集団としては分業するのだけれども、その構成員全ては、どの分野の仕事に割り振られても機能するだけのスキルを各自が所持していれば良い。
田舎暮らしというのは、コンナ集団の中で暮らすということなのではないかと思い始めているのである。

2002/10/18

文責:い70

No.809

”この間の大風”と書いてしまったのである。

確かに、あの台風の強い風が巻き起こした災害の処理の顛末書を書いていたので、大風(おおかぜ、です)であったことを主張したかったのではある。
言い訳もならないが...

指摘されたときに(提出先の人間にではなく、私に先ずはお前が文面を綴れと言って私のボールペンの先をずっと見ていた輩にである。私の肉筆文字が良くぞ判別できるものである。凄い)恥かしかった。

”雨の川”。これもやったことがある。

音訓の読み間違いも気を付けていないといけない。
次の漢字の訓読みを述べよなのである。

”敵”。これは、”てき”ではない。かたき。
”鉄”。これは、”てつ”ではない。くろがね。
ま、これらはなんとなく、なるほどなのである。

”式”。これは、”しき”ではない。のり。
”駅”。これは、”えき”ではない。うまや。
”席”。これは、”せき”ではない。むしろ。
”肉”。これは、”にく”ではない。しし。

はっきり言って、そうとも読むという知識はあったのだが、音訓の違いであるという認識がなかった。
何故かというと、一文字で通用する名詞で、音読みで表示する名詞は少ないからである。

”関西学院大学”の読み方を注意しなければならない理由とは根本的に異なるのである。
あれは漢字を読むときに、中国のどの地方の読み方を採用するかなのである。
念のためであるが、”カンセイガクインダイガク”である。

2002/10/17

文責:い80

No.808

復活のつもりなのである。
”HUNTERxHUNTER”第15巻は、(少なくとも)20回は読んだのである。
その間、日刊鬼ノ胃は休刊していた。
前触れをしていたという記憶がないから、無断欠刊である。

幸いにして、無断欠刊により世の中に混乱を招くような影響力はない。
従って、大した事ではないのであって、無断欠刊は正当なのである。

それでも心配してくれる奇特な方はいらっしゃるもので、この方々には如何返事をしたものかと悩んだものである。

煙草を止めたのが全ての原因である。
大袈裟に言えば、精神障害を起こした様子である。
思考がマトモナノデアル。
自分で面白くないのだ。
他人が面白がってくれるより何より、自分が面白くなくてはならないのである。

さりとて、喫煙を復活させてしまってはならないのであって、精神(気合)で精神障害を克服しなければならないのである。
気合充実のためには体力が必要であって、結果、半月で6kgばかり増量してみたのである。
で、増量による気力漲りにより精神障害を克服したつもりになった今は、此度10kg減量に努めなくてはならない。
掛かり付けの女医曰く、”煙草を止めたのはナイスだ。しかし、体重増は、その効果を相殺して更に悪い方向に向かっている。”

ということで、当面は体重との戦いなのである。
常に敵は己である。
特に、”怠け”という名の自己である。

2002/10/01

文責:い80

No.807

オクト・ばあ、の始まり。
オクトは”8”なのであり、何故10の月になったかは、割り込んだ2つの月の物語として有名なので割愛するが、頭で語学をやってきたものとしては厄介な問題であった。
デカ・せんばーが12月なのは、原因は10月と同じなのであるが、デカが12(10ではなくて)という一纏めをも表現することになるからイヤラシイノデアル。

とまれ、10月に入った。
あと3つ寝ると、”HUNTERxHUNTER”第15巻の発売日となるのだ。
猿としてのゴンと猫としてのキルアとの描かれ方が最も好きなのであるが、このコミック、ちょっと不思議なのである。

読者による登場キャラの人気投票を行なうと、明らかな主人公であるゴンは首位に立たないのである。

あしたのジョーでは、力石最盛期(それが、擬似葬式を行なった時期であるのも皮肉だが)が確かに存在した。
異常な人気であり、子供だった私は得体の知れない畏れに、少しの間少年マガジンを見たくなかったと記憶する。
(当時私は少年サンデーを買っていた。隣家がマガジンで、その又隣家がキングの購入担当であり、発売2日でぐるっと廻し読みしていたのである)

ただし、それでもとりあえず登場キャラの人気投票のトップはジョーだった。

で、改造内閣の話に持っていくのである。
竹中平蔵が柳沢のポストまで得てしまった。
その上、日銀の独立性を排除して(まあ、速水じゃしょうがないのだが)訳の解からない公的資金投入に突っ走るとは、塩爺を含めた一橋慶応義塾らしいなどと笑っていられなくなってしまった。

首相が辞任するという、小泉流の滅茶苦茶内閣改造を実は期待していたのである(もちろん閣僚全員留任させる事を条件に、頭を変更するのである。本気でトップダウンで改革を進めるならば、閣僚は誰でも良いという気がするのである。竹中でも良い。この論議には、首相変更の手続き上の問題など如何とでもなろうという前提も含まれる)

ということで、あと3つ寝るだけが当面の楽しみになってしまったのである。