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2002年08月分(08/01〜08/31)

2002/08/30

文責:い80

No.792

つまりアメリカはイラクを挑発している。
本当に迷惑な国である。
先制核攻撃を仕掛けてくれることを願っているとしか思えないのである。

”世界の警察”を自認しているらしいが、私は彼の国に”世界の警察”を任せる気は毛頭無い。
報復を錦の御旗として戦争を仕掛ける胡散臭さには、矢張り何らかの抗議行動が必要だと思っている。

連日呑気に暑気払をしている私の目の届かないところで、真面目な顔をして戦争を仕掛けようとの相談をしている政治家さんたちには仕事をサボってくれることを願っている。
大体が、”官”が忙しく働く状況は、一般市民にとって好ましくない方向に社会を動かすことが多い。

必要の無い仕事を作り出して、どんどん組織(構成員)を増やす口実にしがちなのだが、市民(少なくとも私)は望んでいない。
余分なことはしなくていいから、人数を減らす方策を探ることが最高の仕事であるとの認識で働いてくれることを望む。

夏休みを充分採って、秋休みも採って、皆が休みボケして採用試験のことなんぞを忘れてしまい、来春は採用0ですなんて事態になれば拍手して差し上げる。
担当課長の一人くらいは責任を取って辞めることになろうが、魅力ある人材であるその方は再就職先は心配いらない。

兎に角のんびりと行きたいのである。
どうも自分に降り掛かってくる厄介事が有りそうな気がして仕方ないのである。

2002/08/26

文責:い50

No.791

不覚にも怪我をしてしまった。
結婚以来18年間嵌めさせられている(この表現は正しくもあり、正しくなくもある)左手薬指のリングで、怪我をしたのである。

ラグビー(の真似事)のグラウンドでは、金属類を身に付けることが禁止されているためにはずしたことはある。
汗疹体質の私なのだが、幸いというか兎に角この部分に湿疹が出現したことも無いし、指のサイズが極端に変化してリングの直径を変更するために指輪屋に渡したことも無いから、ほとんど完璧に20年近く着けっぱなしにしていたのである。

ドアノブに手の甲の部分が指先から引っ掛かって行き指輪でつっかえたのである。
全ての力は指輪を肉を挟んで指の骨の方向に変更された。
指輪のエッジと骨とに挟まれた肉は、皮ごとその力に耐えられなかったのである。

”ウッ”という声が洩れた後に、”この野郎”ととりあえずドアノブにアタッテオイタが、むしろ指輪に対して恨めしかった。
指輪に恨みは無いものの、この指輪に込められた積年の諸々に対し苛立ったのである。

ぶり返した暑さによる汗は、矢鱈とこの傷口に染みるのである。
それだけのことである。
ま、これからも私の指には同じものが嵌められているのであろう。
これを幸せと呼ぶのも悪くは無い。ナンチャッテ。

2002/08/23

文責:い70

No.790

迂闊にも発売されてから三週間も経ってしまった。
次の号が出てしまう前に、書店で読んでください。必見であります。
”将棋世界”9月号の204・205頁、二人の筆者のエッセイである。

今月号は、谷川の1000勝記念特集があってこの部分も読むに値するのだが、如何せん立ち読みではキツイだろう。
204・205頁だけで許します。というか読まないと損しますぜ。
将棋がモチーフとして使われてはいるが、将棋の知識なんぞは無用である。
多分この雑誌ごと買っちゃいたくなる筈である(嘘です。そこまではしないこと。)。

204頁は、流石に落語家の筆者である。
”達者でな!”は笑えるのだが、笑えた話ではないのである。
205頁では、文末が”〜笑った。”なのであるが、清々しい顔をした女性筆者の写真とは裏腹に後味が悪く、笑えた話ではないのである。
勿論この筆者の責任ではない。

さあここまで読めば書店に行きたくなったでしょう。
会社の仕事なんぞホッタラカシテ、今すぐ早退して書店に行くべし。

時間があったら212頁上段にある谷川の文章も読んでおくと良い。
結構彼の人柄が出ていて、彼の人柄の数ある内のある一面(の内、相対する二面というか)を醸している。

2002/08/22

文責:い70

No.789

恥かしながら、漸くペンティアム4のマシンを組み立てることになった。
恥ずかしながらというのは、お寒いマシンしか使ってなかったということなのである。
ただし今回も液晶タイプのモニタにはならなかった。
それでもEIZO19インチは中々良い。

ウキウキ気分でセッティングである。
XPは使う気が無いので98SEでの運用するのだが、今までのマシンを一台没にして全てのソフトを入替なのである。

なのであるが、本当にこの行為が正当なものであるのか自信が無い。
一本一本のソフトの使用許諾契約書を読み返すほど酔狂ではないので、我社のローカルルールに則って(明確な基準は変動する?)自分を納得させながらの作業である。

周辺機器のドライバも問題である。
パワーユーザーなどと自負するほどの使い手ではないから、まあ動いてくれさえすればよいのだ。
ところがドッコイショなのである。
基本的にホットプラグの機器しかないのだが、極力社内LANに負荷をかけない方法で(ほとんどスタンドアロン状態である。インターネットに繋がないで、今までのマシンとは根本的に違う用途に限定しようとしているのである。別の従来マシンは外部に開放しておくのは言うまでも無い)独立のセットにしたいのである。

明確な理由は無いのだが、何故か今回は”神の声”がそう囁いている。
こういった勘は大切にしたいのである。
もっとも女房は、このマシンを導入したことそれ自体に”またまた無駄使い”と囁いているのである。
困ったものだ。

2002/08/21

文責:い80

No.788

万機公論に決すべし。
民主主義の要諦というかルールである。
逆に言えば、完全な多数決の制度を確立することが民主主義に与えられた試練である。

不完全な形の民主主義である議会制民主主義では、議会人(通常これを議員と称す)の誤解によって非民主的な決議に至る。
議員とならんとする人は、選挙時に選挙公約を掲げる。
通常選挙公約は複数に及ぶ。
掲げられた選挙公約によって判断されて得票を得、当選した議員は、自分の選挙公約を達成しようとするだろう。
(可也好意的に現在の選挙を語っているつもりである)

複数の選挙公約(これをA/B/Cとしよう)のうち、私はCについては反対である。
しかし、最大公約数(不思議なことに漢字が同じである)として、AとBとについて真に達成を期待して私はこの候補者に投票する。

ここで困ったことが起こるのである。
当選した議員のセンセは、全ての選挙公約が受け入れられたと勘違いしてしまうのである。
AとBとを蔑ろにして、Cの実現のために積極的に働いてしまったりするのである。

投票した私としては大誤算である。
Cの実現は寧ろ避けてもらいたいのである。
間接民主主義はこんな点が苦しいのである。

直接制は良いことばかりではないのだけれども、少なくとも議題を絞り込んだ時には有効である、というか、参加者は納得できるだろうと思うと、住民投票の有効性は今少し見直す必要があると思うのである。
市町村合併の問題が念頭にあるのであるが、中々本題に行きそうも無い。

2002/08/19

文責:い80

No.787

仕事をしない日を休日と呼び、夏の間の休日を夏休みと呼ぶのであれば、少し長めの夏休みを過ごしたのである。

子ども会育成連絡協議会なる少々胡散臭い集まりがある(私が地域単位で選出されてこの会の構成員になったのはこの4月であり、長く役員をしている方々に藪睨みで様々な質問をした上で未だに胡散臭さが払拭されないという意味である)。
この会の催事で、宿泊を伴なう形式で大勢の小学生と寝食をともにした。
何時の間にか自分の子供達が大きくなっていたので、小学生という年代の少年少女と時間を共有するのが新鮮であった。

この場には、大勢の私と同じ立場での参加者がいたのである。
この人々は、頭の下がる思いのする行動をする人々なのである。
ボランティアという言葉には誤解が生じかねないので”無償の”参加者と呼ぶことにするが、義務感で参加しているのではなく、積極的に自分が楽しんでいるのである。
この趣旨たるや私の信念に通じるので俄然興味深く観察していたのである。

ところが、参加した小学生が夜中に熱を出してみたり、怪我をしてみたりと、中々手強いのである。
責任の所在は、などという議論をしていないのである。
”無償の”参加者間での指揮命令系統もはっきりしない。
今日まで大きな事故が無く、裁判沙汰などに発展するような経験は無いのだそうである。

今日まで大丈夫だったから、明日からも大丈夫である。
この経験則だけで催事を運営している。
そのくらいのオバカサンなのであるが、頭の下がる思いのする行動をする人々なのである。

慣習が文化であると事あるごとに喋る私としては、このままにしておくべきなのかもしれないが、アブナッカシクテ”無償の”参加者ではイラレネェノデアル。
どうしたら良いのだろうか。

2002/08/07

文責:い80

No.786

頭の悪い奴が多すぎる。
誤解の無いように言っておけば、”頭が悪い”とは頭を使って考えるべき時に何も考えないで行動するということである。
考えても結論の出ないであろう事柄に対しては、何も考えないで良い。
しかし、ちょっと疑問に思うことが大事なのであって、単に結論を求めることでは無いし、間違った論法でミスリードしてもそれはそれで一向に構わない。

昨日21:00ほんの少し前、白鳥の翼の付け根辺りからサソリの頭にかけての大流星を目撃。
ゴンという音と共に流れたのである。
同時に”おお〜”という声、これは私が発したものである。
久しぶりに出くわした見事な流星であった。

昨日は観測会でもなんでもなく、たまたまほぼ360度見回せる場所で待ち合わせがあり、この集合時刻が21:00であったので、手持ち無沙汰に3分間ほど空を見上げていた僅かな時間に起こった僥倖である。

流星だから”流れた”と表現する。
地平線から天頂に向かって”昇ってくる”流星を初めて見る人にとって、この表現がしっくりするものかどうか。
極端な話では、観測者自身に向かって真っ直ぐ流れる流星は、あたかも恒星のように点で光りそして滅する。
未だ写真でしかお目にかかっていないが、”静止流星”と呼ばれるこの種の流星は、私には”流れた”と表現する自信は無い。

どこの市町村にも存在するであろう青少年相談員が実施している青少年健全育成パトロールと称する夜の見回りに、協力を求められて青少年相談員たる身分無しの私が参加したのである。
この行事のくだらなさを書こうとしたのであるが、止しておく。
その集合場所と時間とが、私の流星観測史に喜ばしい1ページを加えさせてくれた訳であるからである。

2002/08/05

文責:い70

No.785

知識としては有ったのだが、実際に観て驚いた話。
写実すると食事中の人には厳しかろう。

玄関脇の石の上に蛙(足を折りたたんだ通常の状態で2CMサイズ)がいた。
何故かは知らねど夏の日差しで干からびていた。
手足を放り出した格好で干物になっていた。
これに気付いたのが昼前である。
急いでいたのでそのままにして外出した。

そのまま忘れていたのだが、夕方何気なく石を見たら、骨の標本が残っている。
まさしく完全発掘された恐竜の如く、そっくり骨格が残されていたのである。
関節で離れることも無く、まんまである。

蟻の仕業であろう。
その時は全く蟻の姿は見えなかったのだが、自然にできた(?)骨の標本も珍しいだろうとそのままにしておいたのであるが、夜になって再度眺めに出てみると、5mmサイズの蟻が奮戦している。

此度はこの骨一切を一匹で動かしているのである。
自分の巣が何処にあるのかは知らないが、少し動かすと蟻から骨から全部が一緒になって石から落ち、芝生に転がったのである。

こうなるとあばら骨の棘棘が草に引っ掛かって思い通りの方向には動かなくなってしまった。
さてどうしたかというと、骨の分解を始めたのである。
歯なのかどうかは知らないが前頭部のヤットコ状の部分で器用に展開する。

ま、それだけの話なのであるが、中学生時代ならば、充分に県知事賞が狙える自由研究の素材であったろうと考えると口惜しい。

2002/08/02

文責:い80

No.784

びっくりするニュースが朝のテレビで伝えられた。
2年後に紙幣(1万円・5千円・千円札)が新しくなるという。
自然に新しくなる訳ではなく、新しくしようという決定がなされ、期日を定めて実施されるのである。

漱石の後は樋口さんかということはドウデモヨイ。
この新札発行の目的のコメントとして(これはマスコミ報道者の解釈として伝えられたが、あきらかに政府サイドのコメントと了解してよい)、幾つかが取り上げられていた。

偽造防止の新技法を取り入れる時期がきた。
もっともらしい説明ではある。
新札に対応する自動販売機等の需要で、数兆円規模の経済効果が見込まれる。
これもまたもっともらしく、そして、好ましい事として発表された。

馬鹿を言ってはいけないのである。
所謂”無く穴を掘って、即座にその穴を埋める”作業を国が企画して、労働の場を失業者に与える雇用対策のごとき試みである。
他の意味は無く、ただ単にお金をばら撒くのとの違いは無い。

公共事業で雇用創出すること自体を否定する考えがあること、そして、その理由にも耳を傾けるべき点があることは承知しているが、私はその行為そのものは肯定すべきと考える立場である。
しかし、その事業はあくまでも(人間の)社会生活に資するものでなければならないのである。

新たな自動販売機を購入せざるを得なくすることに(外観を変更せずに、追加の金種の識別システムを導入する場合でも同様)よって、潤う人々は発生するだろうが、消費者にとってより高度な利便性が発生する類の話ではない。

つまらないことを考えるものである。
矢張り、我々は馬鹿なのである。
こういう発想の政治家と公務員とを抱えているのであるからである。

2002/08/01

文責:い90

No.783

市役所の環境保全課から広報無線で知らされる。
”当地域に光化学スモッグ注意報が発令されました。”で始まって、やれ屋外での運動は控えろ、火燃しや自動車の使用を控えろと命令が続く。

先ず、誰から発令されたのかを明らかにして欲しい。
発令されちゃったから、ショウガナクテ通知していますという感じがするところを見ると、発令されると”せねばならない”決まりを強制する方からであろう。

私の健康を心配して屋外の運動は控えた方が宜しいと労わってくれるのはともかくとして、問題は何処にあるかというと、二つの側面がある。
根本は、何故に光化学スモッグが”当地域”で発生しそうなのかなのである。
そして副次的には、私たち市民の(商工業ベースではない)活動を抑制することで、本当に意味のある程度に光化学スモッグの発生を抑えることができるかなのかである。

言葉を選ばないで言えば、商工業ベースの活動に対して何らかの働きかけをしているかどうかを問いたいのである。
もちろん、商工業に分類されないかもしれないが、仕事として従事する人の活動である。

例によって役所を題材にして大変ツマラナイ話をすれば、光化学スモッグ注意報が発令されている間、公用車はエアコンを使用禁止にするのである。
ただし、”暑くてたまらない”を理由にして自動車での外出を自粛してはならない。予定通り公用車を利用してもらってよいのである。

まあ、これによって不機嫌になった役所の担当者に少しくらい虐められても、日本市民としては我慢する覚悟を持つくらいは協力する。