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2002年05月分(05/01〜05/31)

2002/05/31

文責:い 90点

No.750

結論は今月上旬に決まっていた。
公式には5月20日決算確定の日とした。

なのに、今朝まで申告書及び明細書を書いていた。
午前中(つい今先ほどである)に、税務署・県庁税務課・市役所(ここは何度行っても何課が窓口だか解からない)を廻って申告書を提出してきた。

均等割の納税も済ませた。
均等割の納付義務の発生根拠については、一言あるが今日の話題では無い。
ま、これを以ってヒトカドノ納税者ぶる訳には行かないのであるが、しかし、納税者であることは間違い無いのであって、まして、窓口で税理士さんの署名が無いですよなどと言われる筋は無いのである。

一般に法人の確定申告書には、税理士署名があるだろうことは知っている。
私には懇意にしている税理士さんは複数いるし、彼等の仕事には敬意を払う。従って、税理士さんに対してどうのという話ではない。
官庁の申告受付窓口の担当者が喋っても止むを得ない言葉(決して良いとは思わないが)と異なり、絶対に喋ってはならない言葉が存在すると思っているのである。

申告納税制度、それも本来納税主体が独自に申告することを建前としたこの国の税システムなのである。
この作業を助けてくれる我らが味方が税理士さんなのであって、税理士さんが申告事務を行なうのはむしろ例外扱いとするべきなのである。
たまたま例外のほうが事例が多いというだけである。

ところが、建前での申告者に対して、例外の事例に適合しないことを以ってそれを指摘するのは言語道断である。

ま、それだけのことなのであるが...

2002/05/30

文責:い 80点

No.749

鬼ノ胃国立のピッチに立つ。
昨日縁あって、あの照明に照らされた国立(霞ヶ丘)競技場の芝生に足を踏み入れた。
残念ながら如何なる競技のスパイクも履いてはいなかったが、スタンドを降りて芝生の感触を確かめることができた。

ここ二週間ばかりの間に、ラグビー式とアソシエーション式(所謂サッカーである)との二度にわたるフットボールのインターナショナル試合があった関係もあって、短めに刈り入れられたこの競技場としては最高の状態であろう芝生に初めて立つ機会を得たのである。

かえって解かり辛い喩えになってしまうかもしれないが、私の近隣では誰でも知っているものを以って喩えれば、機械植え用に箱栽培された田植え時の稲の苗を、好みの長さにまっ平らにカットした様相である。
ここまで密にびっしりと集積した芝だとは思わなかった。

もちろん品種も異なるのであろうが、ゴルフ場のグリーン・フェアウェイ或いはラフの芝生とは全く異質なものである。
我家の芝生とも大違いだ。
維持費用の違いだけで説明できるのかもしれない。
もっとも、我家に関しては、愛情だけで育っている植物であるから比較の対象から外すべきかも知れないが...

率直に言って嬉しいのである。
もうこうなれば、ほとんど準決勝まで残って、漸く戻ってきた高校サッカー選手のようなものであってイイカンジナノデアル。
スタンドからの印象とは随分違って、すり鉢状の競技場は思ったより浅い。

また、グランドから観客席を見ると、観客一人ひとりははっきりと識別できるし、声が発せられれば、誰がそうしたのかも解かるという感じなのである。
自分に対する声援があれば、多分ジンジンしてしまい、その感触は忘れることができないだろうことは想像に難くない。

こうなりゃ、秩父宮の芝も確認し、更にはトウィッケナムもなのである。

2002/05/29

文責:い 80点

No.748

ちょっとほっとしたい話。

私の容貌(体形といった方が自然か)をご存知な方には失笑を誘うであろうが、実は毎年この季節、夏に向かってボディをシェイプアップしなければならないシーズンと位置付けているのである。

プール・海水浴といった地肌を露骨に露出する状況はもちろん、薄着の着衣では、体形の醜さを隠せないのである。
特に、腹回りがイタダケナイ。

しかし、私の耳に聞こえてくる悪魔の囁きは、所謂シェイプアップのための運動を躊躇わせる。
”中年の運動は脳溢血の元です””心臓肥大を招き今後の更年期障害を助長します””関節を傷めて更に運動できなくなります””ただの年寄りの冷や水”...

うむうむ、運動なんぞこりゃあ身体に良くないなと、少し早めの晩酌をしながら、テレビの番組をBGM的に聴き込むのである。

すると、”食事で痩せる献立”などという興味深い放送をしてくれるのであるが、いかにも美味くは無さそうである。
まして、4人分のレシピを紹介してくれるのであるが、どう考えても1人分の量目である。
食事の楽しさは量に有ると考える私にはソグワナイノデアル。

まあ、アブラ分は少し控えた方が良いらしいというのが、”食事で痩せる献立”に共通した理論根拠であるらしいので、それもそうなのだろうとは思うのである。
それでいてしっかり豚バラや鳥皮に箸を付けるのだ。

先に書いたように私の食事というものは、食事をする以上は量が必要なのであるから、量を減らすには食事をしなければ良いのである。
一日一食(もちろん最近実践してはいない)。
ところがナノデアル。
”一日のうちに同じ量の食物を摂取すると、回数を多くして食べた方が皮下脂肪がつきにくいとされています”
こんな常識が邪魔をする。

でも経験的には、食事の回数を増やせば、一日の食物摂取量は絶対に多くなる。
”同じ量の食物を摂取する”という環境に置かれている人なんていやしまい。
従って先の常識は役に立たないのである。

2002/05/28

文責:い 60点

No.747

”取って置きの品物”という表現について。

口語的な”とっときの”への変化は興味深いのである。
totteokiのeがはずれてしまった。
こんなことは驚くに値しないが、初めて使いトチリをした人間がいたであろうことを想い起こすと中々味がある。

まあ、ほとんど”ひおしがり”の世界である(潮干狩)。
”しすくいねぇ”なんてのもある。

本題に戻すと、”取って置きの品物”を提示する状況というものは、”取って置”いた人にとって予め想定していたのかどうかなのである。
店晒しにしっ放しにしていたところ、たまたまの巡り合わせで今回提示しますなどという状況を、取って付けたのではないのかという意味である。

”ただいま取って置きの品物を出してきます”と老舗の店先で言われ、蔵の奥から埃をハタイテ持ってこられたりすると嬉しいものなのである。
なのではあるけれども、多分、私だけのために何年も蔵に入れて置いたわけではなく、たまたま目論見が外れて売れ残ってその時に至ったに違いない。

こんな風に考えると虚しい。

2002/05/27

文責:い 70点

No.746

自宅庭にて交通事故に遭う。
玄関先、運転者のいない無人の自分の自動車で怪我。
下半身が車の下に入り込んでしまった。

昨日は、夕刻物凄い夕立であった。
当地域は、雷と集中雨とが襲い掛かり、暫くのち突然直径8mmほどの雹に見舞われた
車庫から出しっ放しになっていた自分の車を、大慌てで仕舞おうと思い、サンダル履きで玄関から飛び出したのである。

足を揃えて運転席ドアに対峙し、ドアノブを握り開扉のために引っ張った途端の出来事であった。
突然両足がすくわれて、腰まで車の下に滑り込んだのである。
ほんの僅かではあるが、脛(弁慶さんが泣く所である)がボディに衝突し擦傷と共に打撲を受けた。

この一部始終を妻と長女とが目撃していたのであるから困ったことである。
丁度”サイボーグ009”のテレビ放映を観ていたのを中断して、外の様子を覗っていたところなのであった(それほど雨の勢いと雷との様子が凄まじかったのである)。

まさに009が加速装置を作動させた時の動きであった。
突然私の身体が消えたのだそうである。
ま、ヨウスルニ尻餅をついてしまったのであるから、下半身はびっしょりである。
もう車に乗り込む気にもなれず、車の屋根なんぞぼこぼこになっても良いやとの思いで玄関に駆け込み、下着から全ての着替えを要求。

もちろん妻に要求したのであるが、笑っているばかりなのである。
”他人の不幸は蜜の味”(こんな話をこの間書いたばっかり。厭な言葉である)状態であった。

矢張り、妻と私とは”他人”なのであることを痛感した。
自動車保険請求しようかしらん。

2002/05/23

文責:い 60点

No.745

他人の不幸は蜜の味。
厭な言葉である。
何故厭かというと、これがコマッタコトナノデアル。

自分自身の経験上思い当たる節があるのである。
特に自分が落ち込んでいる時に、自分以上(そんな比較自体、無意味なのであるが)に不幸な人の傷に塩を揉み込んで、虐げられたと思い込んでいる気持ちを癒そうとするのである。

実際、瞬間的には癒されてしまうのである。

少ないが事を恨むことは無く、等しからざる事を恨むのである。
等しければ(本当は、自分より下だと思われる人々の存在であって、”等しい”を望んではいない)、少なくたって耐えてしまうのである。

また、知らなければ不幸だとは思わないのである。
グレンフィディックを知らない年代の時、サントリーレッドはそこそこ飲めたのである。

逆に、今現在がどんなに豊かであっても、自分がより豊かであった時代を有する人間にとっては、今の生活は不満なのである。
しかし、その豊かさとは何かとの問いに対する答えとして、金銭の額(ストックとフローとの両方)を考えてしまっているのが問題である。

消極的な思考だと批判されそうな気もする。
が、自分の価値観を変更してみると、不満は解消するかもしれないのである。
ただし、サントリーレッドがグレンフィディックより美味いなどというのではお話しにならない。

と、今日ここまで書いたのは”テーマ”なのであって、こんな直裁的な文章はモノカキのすることではない。
具体的な、そして、日常的な出来事を綴ってこの”テーマ”に挑むのである。
私をトリマク毎日は、そんな素材に満ち溢れているのであるから。

今週は訳の解からないことを書く週。まだまだ継続中である。

2002/05/22

文責:い 70点

No.744

とにかく今週は訳の解からないことを書く週、との宣言を継続。

九州のある市でこんなことがあったとの記事を読む。

前市長(現在はある汚職事件の被告である)汚職事件の舞台となった市職員採用問題で、97年の試験で採用された受験者について、県議・市議計18人が事前の口利きをしていた疑いが県警の捜査で浮かび上がった。
与党市議らは、”市議は1人ひと枠”の採用割り当てが慣行化していた。
名刺の裏に依頼者の受験番号を書くなどする手口であったそうである。

もう一件は中部地方。

土木業者からカズノコなどの贈与を受けていた市の建設部の課長らが、土木工事の指名競争入札前に、業者に入札予定価格の根拠となる設計価格を事実上教えていたことが関係者の話で発覚。
業者の言う額に対し、それより上とか、下とか言ったり、うなずいたりしたという。
”教えてはいないという形式を採っている”ということであろうが、そんな小賢しさは通用しない。

要するに、まだまだカズノコには魔力があるなどという話ではない。

私の耳に入る限りでも、ほとんどこれに類する話は身近な地域での話でもあるのである。
証拠は無いから、検察の方々に訪ねられてもお話することはありませんが...

2002/05/21

文責:い 80点

No.743

汲ォのい って知ってます?

言うまでも無く、当社であります。
3月決算である。
っまっ(誤記ではない、”っまっ”)零細企業の通則の通り、5月中に確定申告をすることになる。
まあ、要するに決算結論の時期なのである。

大儲けを目論んで設立した当社も、第3期の決算をするのだ(三期連続の赤字決算をするのである。まあこれはドウデモヨイ)。
出資者諸氏を集めて総会を催すことを求められている(商法ではなく有限会社法である。従って株主総会ではなく社員総会と称する)ので、大出資者であるかあちゃんに、当期の報告をする必要がある。
出資者は私とかあちゃんとの二人であり、私が総会の議長をやるのだから、筆頭出資者の私が、それ以外の大出資者であるかあちゃんに(二人しかいないのである)報告して承認してもらわねばならない。

ここからは、少し嘘の記述をすることになる。何処が虚偽なのかはご想像に任せる。

議長は代表取締役である私が務めることになっている。
通常の場合、当社の議長は議決権が無い。
議長の出資金に応じた議決権の行使は、委任状により当社に委ねるのである。
このため筆頭株主(出資者)の私には議決権が無いのである。

出席の出資者の所有する出資金の総額は、当社の出資金の総額と同じである。故にこの総会は適法に成立している。
委任状による議決権の行使は、会場の決議の優勢方に組み入れることにしているので、全てはかあちゃんの判断に委ねられているのである。
従って、私としては、とにかく礼を尽くして、承認願うべく努力するのである。

で、本当の収穫を前に試し掘りを兼ねて手入れに同行させてもらった。
山の手にある畑に、かあちゃんが初めてジャガイモを栽培したのであり、北海道のバターは調達してあったのである。
これにより、中々良い社員総会となったことを報告しておく。

さて問題である。
通常でない場合、当社の議長は議決権を持つ。議長以外に出席者がいない場合である。
この総会にかあちゃんが出席しないで委任状による議決権の行使を当社に委ねてきたとしよう。
議長である私は議決しなければならない事柄全てを決定することができる(また、決定しなくても良いことを決定しないこともできる)のであるが、どのような意思決定を行うことになるかなのである。

民主主義は難しい。

2002/05/20

文責:い 70点

No.742

今週は訳の解からないことを書く週。
ツマルトコロ、いつもと同じだという指摘は鋭すぎるので、ご容赦を。

国会に於いて生み出される法律によって、全ての国民が縛られている。
ということは、国会議員選挙によって間接的に民主主義が行なわれていると錯覚することで、この国が成り立っていると言い換えても良いだろう。
国会議員選挙の方法についての議論に欠けている視点を一つ。

投票権を有する人間の資格についてである。
20歳未満の人々は、錯覚している間接的な民主主義の制度にも組み入れられていない。
法律は適用されているのにである。

もっとも、私の年齢では、そして外国籍問題に関わらない私としては、今現在は間接的な民主主義の制度に組み入れられているものの、私がこの制度に組み入れられるずっと以前に作られた法律にも縛られている。
敢えて言えば、私の参加させてもらっていない民主主義によって作られた法律に縛られている。
納得していないのである。

ということは、20歳未満の人々もまた、既成の法律に納得していないだろう。
お前も一緒に決めたんだよ。確かにお前の意見とは違った方向に決定されたかもしれないが、会議には参加していたのであり、この民主的な決定に従わなければいけないんだよ。
こう言い含められることは無いのである。

ただし、それじゃあ選挙権を3歳以上の国民に与える(誰が与えるのか?つい書いてしまったが、”与”という語には若干の抵抗がある)とすれば良いのかとなると、これも、2歳の国民と3歳の国民とを別ける根拠が無い。

具体的な提案としては、20歳未満の人々をそのまま選挙権無しにしておくとして、例えば60歳以上の人々の選挙権も無しにするということは考えても良いだろう。
これに該当する人々は、既に間接的な民主主義の制度によって数々の法律を作ってきたのであるからである。

ある年齢以下とある年齢以上とを一緒くたにするのは乱暴に見えよう。
でも、”60歳以上の人々の選挙権も無しにする”という制度ができたら、何となく今現在より明るい社会になりそうな気がしませんか?
(被選挙権を有する人々の年齢の上限を決めるともっと効率的かもしれない)

2002/05/17

文責:い 80点

No.741

昨日の話題の続き。

”コジマ”に比して、”ヤマダ電機は安い”という先入観である。

こう記載した。
しかし、どうもこの頃ヤマダ電機は安く無いんじゃないかという”感じ”を持ちはじめていたのである。
もっと有体に言えば、ヤマダ電機はちょっとオカシクなってるんじゃないかと感じている。

たまたまヤマダ電機を例にしているが、これはユニクロでも同じなので言葉を選ばずに書いてしまう。
新興企業では、ある一定の期間(はっきり言って短期である)の躍進時の勢いは凄まじく、同業他社には脅威であろうし、消費者にとっては誠にありがたい存在である。

この間に創業者は充分な創業者利益も得られるであろう。
例えば、株式上場にかかる株式売却利益である。
これが莫大な金額になるのであるから、経営者としてその企業にかかわることを放棄して、経営者を雇い、本人はオーナーとして(大株主として)の道を選択すべきなのである。

”すべきなのである”などと口が滑ってしまったが、”そうした方が良いですよ”くらいの意味である。
この段階では最早、創業者は経営のスキルに欠けているのである。
大きな企業を経営するのは無理なのである。
ダイエーの失敗は如実にこの事実を物語っている。

ただし、創業者たちは企業を大規模にしていくことに命をかけている節があるのだけれども、本当にそれが”良き事”なのかどうか疑問にならないのだろうか。
ちょっとだけ小金を持って気楽に生きていった方が面白いと思うのである。

ところが残念なことに、その小金が作れないでアクセクしている”鬼ノ胃”なのである。

2002/05/16

文責:い 80点

No.740

1600円の商品の1割引価額は1440円である。
1800円の商品の2割引価額は1440円である。
この奇妙な一致が私の頭を悩ませたのである。

ここからの記載は、何となくその説明なのだけれど、実際にはこの事実が書きたかっただけ。
興味深いでしょ。

うろ覚えのプリンタ消耗品の価額だったためについつい買ってしまったのである。
その定価を1800円と思い込んでいたのである。
1440円ならば2割引であるから、まあこんなものだろうという判断で購入した。

ところが、1600円だったのだ。
実はこの購買行動には伏線があって、つまり、”コジマ”に比して、”ヤマダ電機は安い”という先入観である。

ヤマダ電機では1500円台の金額だったと記憶していた。
で、コジマでは1420円なのである。
買ってしまった。

まあ当然、品物によっては二つの電器屋で高いものがあったり安いものがあったりする。
まして、特に一般購買者向けで無い商品に於いてその傾向が強いのだが、そもそも値段のつけ方に気合が入っていないのである。

おっ、面白ぇじゃんてな具合でつい買ってしまう消耗品というものに惹かれてしまう私のような性格の人間の存在を意識しているのかいないのかは知らないが...
そんな自分が嫌いではないが、情けない。
貧乏人としての意識の欠乏。
何処かにツケが廻るのである。

2002/05/15

文責:い 90点

No.739

逆転の発想。
しかし、真っ向法の発想があるのかどうか解からないのである。

好き嫌いの根本部分では、理屈での説明が覚束ないのと似ている。
好き嫌いについては、確かにある部分理屈によるものがある。
辛い日々に、どうしてもそれを食べなくてはならなくて毎日食べていたために、辛い日々の記憶からその食物を嫌いになってしまう。
アリソウデアル。

だが、逆に、そんな日々を凌いだ食物としていとおしく、好みのモノとなる場合だってありうる。
原因が同じで結果が異なるのである。

他の要素は同一にしておいて、ある要素を弄ると画一的な結果が得られるとき、理屈となる。
ただし、何故そうなるのかという説明は出来ない。
だから”見えざる神の手”が登場してしまったりするのである。
念のためであるが、マラドーナのゴールの話ではない。

業界(様々である)の人々と話をしていると戸惑うことがある。
選択肢のある問題に突き当たった時、私を除く複数の人たちは当然のように意思決定するのである。
例えば建設業の人々。
雨漏り(水を入れたくないところに水が廻ってしまう状況)を防ぐためには、水の浸入を妨げようという選択をするのである。

私は、入ってしまった水を上手く逃がしてやったらと言ってみたのであるが、皆に笑われて終わり。
別に逆転の発想をしている訳ではなく、単に大事なものを水から護るという目的のための手段の一方策を述べただけでこうである。

ま、安価にできるとか、耐久性の問題とか様々な要素を経験的に知識として備えているのであろうけれど、部外者の人間としては結構不可思議ではある。

役所仕事についても...なんてことは今日は無し。

2002/05/14

文責:い 80点

No.738

先月書き損なったこと。

加藤紘一の参考人質疑の時だったと記憶する。
数十万円にものぼる加入している議員連盟の会費が、毎月の議員歳費から天引きされているとの発言。
こんなものを天引きする給与事務をさせているのかとの驚き。

まさか手処理で給与事務をやってはいまいが、給与事務というものは思いのほか煩わしい事務である。
財務省が所得税の源泉徴収・年末調整といった国税徴収事務を(税務署でなく)各給与支払い者に委ねた手法は見事である。

それでいて税務調査で最も指摘されるのは、この所得税の源泉徴収・年末調整といった国税徴収事務に関する事柄である。
(源泉徴収した所得税を未納する、ありていに言えば流用してしまう不逞の輩は論外であるが)

加入している議員連盟の数が120を超える議員を知っている。
つまり、少なくとも議員連盟は120を超える数があるのである。
間違えて天引きなどしたら大変なお叱りを受けることは目に見えている。
こんな事務は公務員にやらせてはいけない。
無駄遣いである。

給与を自信の預金口座に振り込んだ上で、各議員連盟別に口座振替をすれば良いのである。
余計な話だが、この口座振替事務が上手くいかなかったのなら、みずほ銀行ももっと慌てただろう。なにせ、諸センセイ方から脅されるだろうから。

ムネオ君は各議員連盟を辞めたであろうか?

2002/05/13

文責:い 80点

No.737

貴人も鳴かずば撃たれまいに。
このデダシを思いついて10日間。
上手く繋がらないので宿題宿題。

GW休みが明けたら(昨日までGW休みを消化していた私としてはGW最終日との認識でもある)、今度は母の日がきたのである。

母というものは、何時まで経っても母であるらしいのである。
我家の場合、”母”という地位に就いている人は、私にとっての”妻”なのであるが、この日ばかりは”それぞれの母”なる人物が登場する。

幸いにして、私も妻も両親共に健在である。
私の両親は同居であるし、妻の実家である両親の家とは数kmしか離れていないので、私もショッチュウ行き来している。
図式としては女房の実家行き、これが楽しいのである。

歓迎されていると思わせてくれるに充分なモテナシをしてくれるのであるから、当方非常に満足なのである。
”毎日行っても良い”などと喋ると、元の住人である女の方が”何をノタマわっているのやら”という眼をして睨むのである。

そうそう、母の日なのであった。
普段から不断の努力をして母には感謝しているから特別なことはしないのである、などという論はもちろん通用させないのが文化なのである。
日頃遠方に離れている母には、電話をして差し上げると喜ぶとのことである。

独身なんぞで、遠方に赴任しているあなた。
そう、あなたのことです。
今まで何度携帯で母の声を聞きましたか。
まさか番号登録していなかったりして。
ここは潔く反省して、母の日を一日過ぎてしまった今日でも良いから声を聞かせて遣りたまえ。

で、世の中一般では何時だったか忘れたが、父の日という記念日があるらしいのであるが、我家(”父”という地位に就いている人は私である)ではその文化圏外であるらしい。

長らくの休刊、失礼いたしました。今後ともご贔屓に。

2002/05/02

文責:い 50点

No.736

今日も昨日と何等変わらないGW中なのである。
電話番をしながら、明日からの準備をして下さい。

先生という職業の方。
子供はどうですか。何となくハシャイデマスカ。
宿題なんぞ出さないで下さいよ。
親に恨まれます。

ってなことで、今日もオシマイ。

2002/05/01

文責:い 50点

No.735

今日もGW中なのである。
一般的には、GW最中の出勤THREE DAYSの中日であろう。

おタルミ下さい。
月も替わったことであるし、こんな日に気の乗らない仕事をしたりすると、間違いを犯し、寧ろ後で余計に手間がかかるものである。

ってなことで、今日はオシマイ。