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2002年01月分(01/07〜01/31)

2002/01/31

文責:い 80点

No.687

今日はちと長いぞ。

宮沢賢治の”雨にもマケズ”なのである。
戦後に於いても教科書では”一日二合の飯を食い”と記載させていたという(一日三合なのである、念のため)教科書検閲について、などというテーマでもって、もの思いに耽っていた状況をお考え頂く。

時刻は明確ではないが、未明というか早朝というか、まあ一日で最も気温の低いであろう時間帯である。

目薬を点眼する気になったのである。

例えば、10mの高さから自分の目に上手く命中させることが出来るかどうかなどという、特別な技の鍛錬をしようなどと思いついたのではない。

極々当たり前な”目薬をつける”という行為をしただけなのである。
しかし、目が覚めたなんて呑気な話ではない。

私は、仕事中に部屋を暖房するという習慣が無い。
折角澄み切って張り詰めた空気の状況を、滅茶苦茶にしてしまうのは勿体無い。
自分の体での発熱を利用はする。
セーターやオーバーコートを着込んで、場合によっては手袋さえ着用してキーボードに向かうのである。

それでは打ち辛いでしょうなどという心配は無用である。
指は一本しか使わないのであるから、全くノープロブレムなのである。
これは、胸を張って威張って言える。

とまあ、こんな冷え切った部屋にあった目薬を用意して、点眼したのである。
自分の体温は何度なのか良く解からないが、多分36℃くらいであるという教科書の記載はマチガッテイナイと思う。

そんなぬくぬくとした体の一部である目に、水なら凍り付こうかという温度帯の液体が、突然襲い掛かったのである。
不意打ちであった。

この攻撃を仕掛けたのは間違い無く自分自身であるのだが、その効果がどの程度のものかを把握していなかった。
推察さえしていなかったのである。

今日まで、数限りなく”目薬を目に付ける”という行為はやってきたのである。
それはまあ目薬の種類の変遷はある。
変更したての時には、”さて今度の奴はどんなものだろうか”との構えをして点眼作業に入る。

しかし、今回の目薬は、最早半分くらい使用済みの奴である。
こうやれば、即座に効いたような感覚を齎してくれる、そして数秒後に涙が溢れて頬を伝うから、先ずはティシューを用意してと何時もの要領で作業に入ったのである。

ま、失明したなんていうことは無いのであるのだが、教訓を齎してくれたのである。
日常生活とは、斯くも恐ろしい事象の連続なのである。

少なくとも、(不肖にも)私の中では、アフガニスタンで起こっている出来事よりもインパクトのある出来事が、突然しかし当たり前の生活の中に発生したのである。

2002/01/30

文責:い 80点

No.686

巨泉が辞めるとの報道。
これを聞いた時、とある新聞記事を見ていたのである。

垂水市の福崎兼吉収入役は、矢野繁市長に辞表を提出し受理された。
昨年の市職員採用試験に絡み、面接の点数が和田隆次元助役の指示で書き換えられた問題で、福崎収入役は本会議で「(責任を)口先だけでなく態度で示さなければ市民は許してくれないと思い、身をひくことにした」と議員の質問に答えた。

この記事は解かり辛い。
何故助役の行為で収入役が身をひくことになったのか。

ただ、これ以上の内容の記載が無かったから、この点の解明は出来ない。
しかし、本論とは直接関係無い。
責任を取って辞めるという一点に関してが重要である。

なんか清清しいのである。
本当は、何か悪いことをしたから辞めるのであろうから、”清清しい”などという表現とは無関係な事件の筈なのである。

最近のニュースは、辞めるべき人が辞めないという内容だらけだからなのである。
辞めれば良いというモノではないのは勿論である。
だが、辞めなくて良いというモノでは決して無い。
この点に於いて”清清しい”などという表現を使用する可能性が生じてしまうのである。

世の中が狂っているとしか言い様がなくなってしまった。
辞める覚悟無しで就任する人間が多すぎる。
辞任と就任とはセットで考えて行動すべきである。
終わり無き始まりは無いのだ。
醜すぎる。

と、ここまで書き上げて、新聞社のネットニュースに目を通すと、どうやら外務大臣・事務次官・鈴木何某の更迭という速報が記載されていた。
ついでに言えば、雪印の社長の話も。

一言で言えば、辞めればよいというモノではない。
責任を取るべきなのである。
従って、事実関係をうやむやにして一件落着というコトデハナイ。

鈴木何某の奥に潜んだ嬉しそうな顔を見ると、常識的な引責辞任という言葉が空しくなる。
今日書こうとしていたことが、一体何だったのか解からなくなってしまう。

流石にこの決着では、小泉内閣支持率が40%を割る日は近い。
2ヶ月以内。
念のため書き加える。この予想が外れても責任は取らない。

2002/01/29

文責:い 60点

No.685

情緒的な雰囲気のある言葉であるし、日本語表現だと思っていたら違ったのである。

”恋に落ちる”
”fall in love with 〜”の直訳だ。

もう一生使わないことにする。
日常的に使う状況などもちろん無いのではある。

知らなかったから平気で振舞ってしまった事を後悔する時ほど自分を責めることは無い。
”知らない”ってのは、結構平気の平左なのであってコマッタコトナノデアル。

18歳頃までの自分は、国家・国旗には無頓着であった。
今は、殊更に注意して振舞う。
高校時代までの友人に会って、負い目になっているのはこの一点である。

マルクスとかマックスウェーバーとかシュンペータとか喋っていたけれども、実のところ、国家とか国旗とかに関して何も考えていなかったのである。

サッカーの観衆が、フェイスペインティングと称して日の丸を顔面に施すことに抵抗があるのだけれども、これに代わる”何か”を提供してこなかったのは我々の世代である。
ワールドカップまでの数ヶ月でどうともなるものではないが、ドウシヨウ。

私、フェイスペインティングをやりたいのである。
やっぱ、その柄は”カラス”でしょうか。

2002/01/28

文責:い 50点

No.684

つくば市の臨時市議会は、茎崎町の同市への編入合併を知事に申請することなどを何れも賛成多数で可決。
開会から20時間近くに及ぶ異例の徹夜審議の末の採決となった。
市始まって以来の徹夜議会。
市庁舎1階の自 動販売機の栄養ドリンクがすべて売り切れる”議会特需”も。

こんな内容の新聞記事を読んだ。
面白いのは、もちろん”栄養ドリンクがすべて売り切れる”という部分である。
誰が飲んだかもトモカク、誰が買い出しに行ったのかに興味があるのである。

日曜日の朝、田原の番組(伸助の番組)を見た。
夜に近所の会合があって、大多数の人々がこの番組を見ていたのに驚く。
内容は割愛するが、二つばかり気になった。
伸助が大人しくなり過ぎている点。
田原の顔色が悪く、人間ではないような感じがした点。

嘘をついているときにそのことを表情に出さない人間は、本当のことを言っているときにも本当らしい表情をしないことに気付く。
こういう人間とはお付き合いしたくないものである。

今日は別の事を書きたかったのだが纏まらなかった。
故に、こんな記載でお茶を濁す。
私の今の表情をお見せしたいものである。

2002/01/25

文責:い 90点

No.683

次の日本語を辞書で調べて、思いに耽って欲しい。

独擅場(どくせんじょう)
独壇場(どくだんじょう)

あなたの用いた辞書が、普段使用するに耐える辞書であるかどうかの判別をしてみよう。
この二語が記載されていることが第一条件である。
後者には”誤”という記載があること。

もし、この二つの条件が満たされない辞書であったら、即座にゴミとして処理するか、尊いモノをしまって置く場所に奉ろう。
台(うてな)に置いて飾るのも良かろう。

試験シーズンになるとこんなことを思いつく。

オックスフォード、グレンフィディックなどという聞きなれた名詞も、辞書を引いてそれなりの意味を掴むと感慨深いものである。
マイクロソフトに対しては、マクロハードなんて考えて、真面目に法人の商号にしようかと考えたことも有った。
やんなくて良かったのであるが...

日常使用している”プラスチック”が、どんな意味かも調べてみて貰おう。
セルロイドじゃなくて、セロハンでもなくて、ポリエチレンでもなくてプラスチックだよ、なんて会話の無意味さを教えてくれるだろう。

電力会社の用語”低圧電力”が、何故”低圧”なのかを探るのも面白い。
ただし、これは辞書ではなく、電気供給約款を読まなくてはならない。
東京電力の営業所に行って、”電気供給約款をください”と言えば頂戴できる。
逆に、契約時でも、この言葉を喋らない限りくれない。
おかしいのである。

2002/01/24

文責:い 80点

No.682

芝居などに登場する黒子の存在。
何故”黒”なのか。

ある時、作家なり演出者なり役者なりが、”黒子”役がいると不思議な現象を生じさせられることに気付いた。
早変わりとか、矢がスローモーションで実際に飛んでいくとか、舞台セットを幕間無しで変更していくとか、そんな事柄をさせるのである。

多分、薄暗いステージで寸劇をやっていた。
例えば、境内などで夕方に催す劇なんぞがあったのであろう。
ここでは、黒尽くめの装束は、実際に目立たなかったのであろう。

やがて、観客は訓練により(慣れにより)黒子の存在が気にならなくなった。
証明設備がきちんとして、夜陰に紛れて黒子を視覚的に消し去ろうという思惑は潰された時代になっても、文化として黒子を消し去るのである。

実際、人形浄瑠璃などを楽しむことの出来る種類の友人に尋ねてみると、気にならないのだそうである。
黒子役の人が、(もちろん台本には無くて)滑って転んでも、一向に気にならないという。

現に存在するものを、無いものとする習慣が確立しているのである。
きまりであり、約束事なのである。
ただし、知識として”黒子はいないものとして芝居を見る”私のような素人にしてみると、お約束は破りたい気持ちになるのである。
だから、黒子役の人が、滑ったり転んだりしようものなら、多分笑ってしまうのである。

幸いというか、こういった確立したきまりを逆手に取る人間は結構存在するものである。
黒子を役者として芝居に登場させて、笑いを取ってしまったりする手法を採用してしまう。

なんでこんなことを書いたかと言うと、未熟な観賞眼を持つ私の感覚では、現在の黒子の身に纏うべき装束の色は”白”なのである。
(白黒は色ではない、という指摘はここでは容赦の程を)

白装束に三角顔覆いを付けて働くのである。
風にゆられて顔覆いが煽られると恰も幽霊である。
本当に足が無かったりしたら、私みたいな観客の心をクスグリソウデアル。

2002/01/23

文責:い 90点

No.681

メモリなどPCパーツの値段が高騰している。
何故か。

教科書的には、商品の価格が決定されるプロセスは、記載可能なものとして考えられている。
曰く、需要と供給とのバランスで収束決定されると。

実際の場で役立つ教えといえば、要するに、流通している数量が一定で、買い手が多い気配があると売り手は値段を高くつけたがるという一点である。
換言すれば、売っても売っても買い手がつくときには、値段を高くしていくということである。
売れるがために、少々高くても仕入れ買い付けしてくることも高値段付けの要因となる


買い手にとっては、商品の価格は、記載された金額+買い付けに要する(交通費や配送費などの)金額である。
今日は絶対買うぞと遠くの商店に交通費を使って買い物に行ったとする。
商品の金額が想定していたよりも高かったとしよう。
この人は、交通費相当額までのぶれであったら買って帰るべきである。

とすれば、他の条件が何も無ければ、自宅で商品を買い付けることが出来るシステムがあるならば、商品の価格は最初から(交通費分)高く設定してあっても購入行動に出る(もちろん決済と流通との費用は考慮しなければならない)。
ただし、このシステムが常態であることが前提になれば、鼻から交通費なんぞを考えないのであるから、売り手にとっては単純な価格勝負となる。

しかし、ネットショッピングをしていると、何か物足りないのである。
決まった商品を安価に取得するというルーティンワークならトモカク、その商品に代替可能な商品を発見するという喜びが無い。
そして、やはり実物に触れたり、買うつもりは無くても”ジャストルッキング”でぶらぶらするのは楽しいから、近場に箱モノとしての商店が存在して欲しいのである。

実は、我家の近郊には、”ジャストルッキング”でぶらぶらするような店が少ないのである。
単店舗ではあっても、さて次の店はドンナモノダロウとお金をかけずに日がな一日時間をツブスコトノ出来る群としての商店が無い。

必要なモノを、なるべく安く買い求める生活で暮らす。
オモシロクナイノデアル。

2002/01/22

文責:い 80点

No.680

雪下ろしという作業を知識としては知っている。
しかし、生まれてこの方、実地訓練(本番)の経験は無い。
幸いにして、我近隣で、雪下ろしをしなかったが為に押しつぶされた家屋の例を知らない。

昨年は、カーポートの設置などという仕事を幾つか実施した。
今日たまたま取扱説明書を読んでいて、はっとした。

”(寒冷地仕様以外の)普通仕様では、20cmの積雪に耐えられます。これ以上の積雪があった場合には、雪下ろしを実施してください”とある。
更に、”ホースで水を撒くなどしての雪の撤去作業は絶対になさらないで下さい”とある。

これには新鮮な驚きがあった。
確かに、積もった雪がホースから放出された水を抱え込んで、20cmの積雪を解かして屋根から排除する前には、水の重さを加算した重量(雪+水)が屋根に圧し掛かるのである。

積雪の20cmは空気を抱え込んでいるから比較的軽い。
雪質にも依るのであろうが、解かしてみれば水の5cm分位しかないのであろう。
日常生活で水の重さを実感する機会が最近はとんと無い。
学校の廊下で両手にバケツを持たされているの図は、漫画の世界でしかお目にかかったことは無いが、それにしても、嘗ては水を運ぶ機会が結構あったのである。

雨による災害で、水の怖さを見せ付けられることがあるが、(粘度を含めた)液体の恐ろしさの正体は、重量であることを忘れてはならない。
液体のふりをしていて、ある瞬間には固体と同じ振る舞いをする。
ゼリー状のモノに対する妙な感覚。
突然グニャっとしたり、そして突然ガチッとしたりの感じ。

書いているとキリが無い。
本題に戻る。
どう考えても、カーポートの積雪を排除するための施設などあるはずが無い。
家屋の屋根ならば、その屋根そのものに登って作業をすることになろう。
しかし、カーポートの屋根に乗ったら大変だ。
何のために雪下ろしをするのか訳が解からなくなる。

”20cmの積雪以上の積雪があった場合には、雪下ろしを実施してください”
この記述の記載者は、製品利用者に、具体的には一体どうしろというのだ。
一般的に、取扱説明書にはこんな不思議な注意書きが多い。

2002/01/21

文責:い 70点

No.679

鬼ノ胃は最近、怒っていることが多い。

怒られることも、同じかそれ以上の頻度で出現しているのではある。
が、とにかく、鬼ノ胃は怒っているのである。

声を荒らげることはしないようにしているのである。
ただし、このため怒っているようには見えないのだそうである。

所謂暴力団系の方々からの仕打ちで本当に怖いのは、暴力を揮ったりしながら怒鳴り散らすチンピラの仕草より、本当に怖いのは、静かな調子で一言ボソッと耳元に喋る大物の物腰だと聞く。

こんな大物を真似している訳ではなく、暴力を揮うのは自分のライフスタイルに合わないし、怒鳴り散らすのも風邪による喉の痛みのためにできないという、それだけの理由なのである。

対象すら解からないモノに、論理的な理由も無く怒っているのである。
これは困った事態である。
解決の糸口すら見つからない。
”正月だからかな”等と考えたりする。
しかし、ご案内のとおり、これに理由があるとは考えられないし、これを理由と仮定することを発想すること自体がオカシイのである。

一応思い当たる事柄としては、駄洒落(これをおじさんギャグと言うらしいことを最近知った)が冴えないのである。
ここの所の作品と言ったら酷いものである。
招待券でショー体験。
コンナノハは、まだまだまともな口である。

どうしようかしらん。
(如何したら良いのだろうか。如何したら良いのか、知らない。)

2002/01/17

文責:い 80点

No.678

金融機関の名称変更について。

身近なところでは、千葉信金が木更津信金他一信金と合併し、千葉信金を名乗っている。
旧来から存続した”千葉信金”の名称が残っているから混乱が少ないという考えと、故に混乱が多いという考えがあるらしいが、多分前者が勝る。

少なくとも、かかる金融機関にしてみれば、新たな名称を使用するよりも相当経費節約にはなったことであろう。
しかし、利用者にしてみれば、迷惑な話である。

同一名称支店は、一方(または、双方もあり)の名称を変更することで対応したり、一方を閉店して統合した店舗で営業したりする。
ここに混乱の元があって、様々な相手先に登録してある取引銀行口座の変更作業をするだけでも、イヤニナッチャウノデアル。

合併の進行時には、出資者に対する説明など無きに等しかった。
いまだに、私の出資証券の取り扱いに対する明確な説明も無い。

国庫金の注入時に利用した金融システムの混乱を防ぐという大義名分は、一体何だったのか。
金融機関自体での混乱を最小限にすることと、社会全体での混乱を最小限にすることとは同一ではない。
この混乱を費用として捉えてみれば、勝手な金融機関の合併(嘗ての単純な名称変更など論外であるが)は、大いなる無駄使いの典型である。

潰しちゃったほうが経済的だという調査をする機関は無かったのであろうか。
もっとも、”●×総合研究所”などというまことしやかな調査報告をする著名な機関は、概ね金融機関系列の会社であるから無理も無い。
私に10分間の時間をくれれば出来るような予想(予測と称するらしい)を、莫大な時間と費用とを消費して纏め上げるのである。
精度はこの二つに大差ないと言い切れる。

ま、とにかく、三井住友の英文商号にも呆れたが、今回の未確認飛行物体みたいな名称の大都市銀行の誕生は、もっと攻撃されても良いのではないか。

2002/01/16

文責:い 50点

No.677

七転八起。
楽しい人生であろうと思う。

一回も転ばずに過ごす一生というのは、可也凄いなという気がする。
出来得れば、3回くらい転ばって、4度目を起き上がって(その後転ぶことなく)気持ちよく生きて行けたら最高であろう。
七転八倒なんていう、転ばったままってのは、どうも乗り気ではない。

先に書いた、一回も転ばずに生きて行くことができたとしよう。
多分、とてもツマラナイ。

生田敬太郎は歌う。
”退屈な毎日。退屈な毎日。パチンコばかりしているのも考え物だぜ。”

何とかせねばと考えちゃいるんだが、抜け出せない毎日にイラつく。
スウィングジャズしか成立しない今日。
ブルースと同源のジャズを誰か聞かせて。

う〜ん、短い。

2002/01/15

文責:い 70点

No.676

大学、そして社会人(妙な命名である)ラグビーの決勝戦を観戦。
勝った負けたは別の話とする。

どちらの試合も、一方はアスリートとしての勝負で勝ち上がってきたチームであり、他の一方は競技としての勝負で勝ち上がってきたチームであった。

前者の試合を希望する観戦者の一人としては、後者の登場する試合は不満が積み重ねられる試合なのである。
反則にならなければ(反則になっても良いという意識すら感じるのであるが)自軍にとって有利になることならなんでもする。
明らかに指導者がそう教えているのである。
何だかんだ言っても、それぞれ春口と平尾との意思で創られたチームなのである。

口に出てくるコメントは”楽しいラグビー”なのであるが、”勝つ”事のみが楽しいと考えているラグビーであって、私(観客)にしてみれば一向に楽しさの創造とは映らない。

選手個人の能力の限界に向かってトレーニングをしていないのである。
狡さを良しとする風潮から発生した競技能力は、フィットネス以上に評価され、出場選手の選定に重要な要素となってしまう。
もっとも、そんなチームを望んでそんな大学なりそんな会社なりに入ったのは間違い無く個々の選手なのである。
詰まるところ、もともとそんな資質を備えた個人なのであろう。

言いたいことはこれで終わり。
逆説的ではあるが、(またまた様式の変わった)日本選手権一回戦の中で興味深いのは、クボタ対関東学院である。
先の区分けで行けば、両者共に後者に分類される。

クボタは、自軍より明らかに強いチームに何をされても怒り出すことはない。
しかし、逆に明らかに弱いチームに喧嘩を売られたときに、自制するだけの強い意志を持った人間はいない。

(春口ならやりかねないのであるが)本気で勝負を勝ちに行くならば、学生に暴力行為すれすれのプレーの実行を課して、相手を巻き込むしかない。
多分レフェリーは両成敗をしないで、クボタに分の悪い裁定をくだすであろう。
勝機は此処しかない。

国内初の乱闘没収試合にならないことを祈る。
厭な予想をしなければならないのが情けない。

2002/01/11

文責:い 80点

No.675

”改革”ではだめだ。

組織は一度全部解散して、必要なものをまた新しく作らなくては、何等変化はない。
”改革”という言葉の字面だけで考えれば、壊して新たに創ることも含まれているように見えるが、そんなのが虚しいことに気付く。

上記の警句(そんなに気が利いてはいないが)は、所謂”行財政改革”について。
この件は、改めて書きたい。

今日は、市町村合併について。
ただし、思いつきで書いているので、専門家からの指摘は甘んじて受け入れるつもり。
けれども、一般市民というものはこんなものなのであって、専門家はこんな一般市民に対しての説明という点に於いて能力不足・努力不足との烙印を押されるのである。

この論議の面白くないのは、最初に”現在の個々の市町村”という枠組みがあることである。
この枠組みをそのままに、あっちとこっちをくっ付けるという発想がイタダケナイ。

現在の一つのP市の中でも、X地域はQ市とくっつき、Y地域はR市とくっつくということを認めろということ。
これが指摘その一。

その二。
一県一市を、更には、一国一市を認めろ。

市町村合併推進が、妙に弄られた枠組みの中で操られていて、もっと自由な発想の元に地方自治を語ることが出来るようにしなければならないのではないかという話である。

2002/01/10

文責:い 80点

No.674

”シュート!”の売り切れた書店が頻出したかどうかは知らないが、”ガラスの仮面”で試みた人からのメールが届いた。
この人は、可也イケテイル(イカレテイルとは全く意味が逆なので誤読に注意)。

随分前に読んだモノであるらしいのであるが、ディーテイルの確認のための頭の訓練に丁度良いなどとノタマワってくれた。
乾杯モノである。

とまれ、正月連休の後に、またまた3連休が到来する(私は、いまだ長い連休を続けている。困ったものである。もしかすると、節分年越し正月まで突っ走るかもしれない。)のであるからお試しあれ。

で、そろそろスキーの話題も取り上げねばならないし、個人の所得税確定申告・贈与税申告だって触れないわけにはいかない。
もちろんラグビーの日本選手権だってあるし。
私は忙しいのである。

年末に片付けた品物には閉口する。
まさに片付けたのである。
A地点からB地点に移動したのであるが、B地点(2次元投射平面)には最初から品物は存在したのである。

存在した所に新たに別の品物も存在させることになったのであるから、それはそれはもう大変なのである。
3次元の活用といえば聞こえは良いだろう。

私の部屋は私が使うから私の部屋なのであるのだが、その肝腎な私が存在できないくらいに品物で一杯なのである。

捨てるには忍びないのである。
そして一つひとつの品物は、その大部分が、多分一生使われることが無いとの予測が可能なのである。

窓に関しては、空間を窓というのであって、窓ガラスを嵌め込んだ障子で窓を閉め切っては窓を無くしてしまうのである。
部屋は空間があるから部屋なのであって、空間の無い部屋は壁と何等変わりが無い。

よって、私は壁紙の如くヘバリツイテ生活している。
ただし、決して痩せてはいないのが別の意味で悩みなのである。
正月は太るのであった。

2002/01/09

文責:い 90点

No.673

あまり込み入った奴でトライすると、矢鱈混乱する元なのでお奨めできないのである。

単行本化されたコミックを読む方法についての話。
それも、可也ストーリー性に満ちた作品が良い。
普通に考えれば、順序だてて読み進めて行かないと、笑えるところで笑えないし泣けるところで泣けないのである。

しかし、敢えて一巻おきに読むのである。
流石に第1巻は読んで置かないと登場人物のチェックが付かない。
故に、1・3・5・7・9巻と読み進むのである。
で、この辺りまで来たら2・4・6・8巻に向かう。

そして、当然ながら改めて第1巻から順に読む。

で、またまた10・12・14・16・18巻と読み進むのである。
次は11・13・15・17巻である。
さて、此処でどうするかなのである。

改めて第10巻から順に18巻まで読む。
これは、私の流儀に反するのである。
”当然”改めて第1巻から18巻まで順に読むのだ。

で、またまた19・21・23・25・27巻と読み進むのである。
次は20・22・24・26巻である。
さて、此処でどうするかなのである。
.......

此処まで付き合ってくれた方々、正月らしく可也オメデタイ話でありましたでしょ。

さて、実践入門には講談社コミックス大島司”シュート!”を推奨しておく。”トシ、サッカー好きか?”のアレである。
何故コレか、と言えば、理由はある。
”当然”此処ではその理由は書かないのである。

2002/01/08

文責:い 80点

No.672

松が外れたようなので、少し重い話。

”我々を取り巻く厳しい環境の変化”とか、”複雑多様化する住民ニーズ”といったフレーズを、新年の言葉として、産業界や官界から随分聞かされた。

記号化めいた言葉である。
その内容はといえば、何だか解かったような解からないような、なのである。

景気が悪い、という言葉もよく発せられた。
”景気が悪い”、その意味は何なのか。
今一度考えてみる必要がある。

統計的なものとして、”失業率”として発表される数値が、比較的信頼に値する数値であると考える。
しかし、これにしたって、分母と分子に関しての取り決めがはっきりしていて、そこに当て嵌める数字が算出することができるというだけで、一般的に取り決めの内容は知らないのである。
つまり、”失業率”が何を意味する数値なのか知らないのと同義である。

(直近の国勢調査は結果を拝見していないのであるが)我国総人口の数値はどうなっているのか。
発表される数が、例えば、1億3千5百7十9万2千4百6十8人であったとしよう。
そして、この数値をあなたは記憶した。

誰かから日本の総人口を尋ねられた時に、あなたはどう答えるのか。
1億3千万人くらい。
1億3千5百万人くらい。
1億3千5百7十万人くらい。

さあどうする。

2002/01/07

文責:い 00点

No.671

少々ゆったりのんびりしすぎ。
特に、テレビの観すぎ。
それでも、この映像の箱から齎された情報は、この欄で書きたいことを沢山醸してくれた。

2002年という今年も、唯物史観に基づく厭世的自虐趣味を披露(疲労)する事を高らか(高だか)に宣言して、年頭の”日刊鬼ノ胃”に代えさせていただきました(既に過去形)。

今日はこれだけである。

が、一つだけ加える。
”箱根駅伝における法政大学の棄権について”
私の第一感と趣旨を同じくするコメントが見当たらない。
ドナタカ率直な感想は無いモノか?