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日刊 鬼ノ胃 本日分はこちら
 

2001年11月分(11/01〜

2001/11/28

文責:い 70点

No.660

東京ディズニーランドのチリトリ(と書いたが、此処には行ったことが無いのであり、テレビの画像で垣間見ただけのことである)と同型のそれを使って、20代前半と思しき女性が、店舗前の掃除をしていた。

見るからに嫌々な雰囲気でその作業をしていたのであるが、ヘンナノデアル。
その店舗とは、青空の下、墓石を展示しているのである。
風に吹き集められた木の葉と土とを箒で掃いてはチリトリに入れている。
ところが、30cm弱の妙な直線状の跡が其処此処に残されているのである。

暫く観察していると(私、要は暇なのである)、その原因に気が付いた。
チリトリの底が腐食して洩れているのである。
箒でゴミを入れては、チリトリを持ち上げる。
この作業ごとに、地面には中身の一部が落とされるのである。

私が気が付いても、決して教えてあげることは無いのである。
もしかすると本人は気付いているのかもしれない。
掃除した跡を見れば直に解かるはずではある。
まあ、気付いていないし、従って原因不明であったのであろう。

黙々と作業を続けているのである。
”黙々と”という表現は、”嫌々な”様には相応しくないのであろうが、お喋り・鼻歌の類は聞こえてこないので間違ってはいない。
兎に角、この作業が延々と続くのである。

流石に私もタバコ2本分の時間はお付き合いしたが、終わる目途もつかないご様子であったのでその場を去ったのである。

さて、何が言いたいのだろうか。
私にしろ、様々な道具・機械の類を利用している日々なのであるが、実は同じ様なことをしていないだろうかと思ったのである。
チリトリにゴミを掃きこめば、ゴミはチリトリに収まっているはずである。
ブレーキを踏めば、車は止まる。
子供に”勉強しろ”と言っておけば、子供は勉強している。

どうやら笑い事では無さそうである。

2001/11/26

文責:い 80点

No.659

世に言う11月の三連休が終了した。
国立(霞ヶ丘ではなく西が丘である)と秩父宮と、一日に二つのビッグゲームの観戦で始まったのである。

この二つの競技場は、地下鉄の乗り継ぎで80分は要するのである。
ほぼ2往復してアフターファンクションにまで付き合ったのであるが、有意義であった。

この日は、日の光をまともに受ける場所では汗ばむくらいであった。
ほとんど無風状態で、用意したオーバーコートは無用。否むしろ荷物になって邪魔な存在であった。
しかし、日陰のバックスタンドでは、こんなにもありがたいものはないという状況がやがて訪れたのである。

幸いにして、この日の二つのゲームは、どちらも私のノリのチームが勝利した。
特に、西が丘の方は感動的な幕切れのゲームであり、祝いの会には最後まで付き合うこととなったのである。

唐突ではあるが、この場において、”いい人”とはどういう方々なのかを思い知らされるのである。
そして、日々お金に奔走させられて生きていく状況が、自分にとって苦悩ではなく、むしろ幸せなのであるということにも気付かされたのである。

生きがいをどんなものに求めるのか。
どんな職業についていても、一生涯現役であり続けることができるならば、苦しみは少ないのかもしれない。

年寄りに安寧とした日々を保証することが老人福祉と考えるのは止めなければならない。
彼らにも、日々苦悩や煩雑という一般的には負とミナサレル荷物を背負わせてあげることもまた必要である。

具体的な論理無しの記述であるが、邪魔者として隔離して扱ってはならないということを書きたいのである。

感情が先走ると酷い文章になる手本のような本日の”日刊鬼ノ胃”である。

2001/11/21

文責:い 70点

No.658

前回を引き継ぐ。

本来存在する必要が無いモノが存在していて、更に拍車をかけてそれを食い物にする輩が居て、悪いことに存続させる財政的余裕があったから今に至っているのである。
存続させる財政的余裕が無くなったら廃止する。
明確な論理である。

国が財政的に破綻してしまうならば、国を作り直せばよい。
現在の国境線を仕切りなおせばよい。
指導者(グループ)が悪かったのだから、指導者を選定し直せばよい。

招聘という手段もある。経営者を雇うのである。
もちろん株主である国民は絶対的な力を持つのであるが、一方株式を売り払って別の国家の株主になる選択権を有する。
実際日本国から国籍を外国に移す動きが富裕な若者にある。
このままだと貧乏人だけがこの国に残って積み上げられた国の借金を返済する日が来る。
(どうやら私は、返済組なのである。何とかしなくては。)

国家は国債等の借金をしてはならない。
こう憲法に記載すれば良い。
この意味での私は”改憲論者”である。

アフガニスタンの来るべき政権の有り方を述べる前に、自分の国の反省をする必要がある。
少なくとも我国の実力は、他国を思いやる余裕は無い。
余裕が無い故に、形を変えた侵略に政治が色めき立っているのであろうが、足元は可也脆弱であることを忘れてはならない。

ホント、アナーキズムに走って行きそうな鬼の胃である。
ナケりゃナイで何とかなるものでっせ。

2001/11/20

文責:い 70点

No.657

神奈川県宮ケ瀬ダムの本格運用が4月から始まったが、開発水量のうち実際に取水される量は半分弱にとどまっていることが、県内広域水道企業団の調べで解かった。

同企業団によると水需要の伸び悩みが主因。
96年の大渇水を契機に、県民に節水意識が広く浸透、定着したなどと分析している。

ここでは、水需要の予測をした担当者に対する批判などをするつもりは無い。
もちろん建設計画そのものの推進者の意向について云々も無い。
言いたいのは、ナケりゃナイで何とかなるものなのではないかということである。

不況不況と騒いでいるが、例えば歳入が少ないならば、そして、どうしても借入が出来ないならば、歳出を押さえるしかないのである。
そして、過去の借入の返済が(歳入を越えない限りに於いてである)その歳入の大部分を占めてしまっても仕方ない。
固定的支出である公務員の人件費は削減できないなどという言い回しは、空しいのである。

無い袖は触れないのであって、削減ヤムナシとすべきなのである。
”止むを得ない”とか”仕方ない”とかの論法は、こういう時に使うのであって、特殊法人等の改革は、全て廃止の方向で押し進めるべきである。
検討なんぞをしている内に、どんどん情況は悪化する。

以下次回。
今日はちょっと書き溜め。明日は書いている余裕が無さそうなので。

2001/11/19

文責:い 90点

No.656

驚愕の一言。
空を覆う雲を透けさせてまでも輝くとは、流石に思いもしなかった。

2001/11/16

文責:い 70点

No.655

年賀状を作成した。
と言っても、マシン上に出現しただけであって、印刷はしていない。
従って、当然ながら、宛名は後で書くことになる。
この時に、宛名別に(つまり、その人の顔を思い浮かべながら)文章を挿入するのである。

と書くと、随分マメなようであるが、実のところ、大部分は文章の挿入無しで(つまり、今日出来上がったままで)ポストに入れることになる。
年々この傾向が強くなる。

年賀状止めちゃおうかなと思うことがある。
電子メールでいいじゃん、と考えるのである。
しかし、正月に届く年賀状は嬉しいのである。
朝からの酒で気持ち良くなった丁度頃合いに、アルバイトの郵便屋さんが配達してくる。

大人にとって、新聞配達と郵便配達というアルバイトは、何故か中学高校生に好ましいアルバイトと認識されているようである。
職業に貴賎無し、職業選択の自由などと謳うが、(法律で禁止しているかどうかに関係なく)勤め先が風俗店では、健全なアルバイト(皿洗いなんかがあると思うのである)でさえも処罰(停学など)の対象にしがちであろう。
私でさえも(これは単なる言葉の綾。私は、で良い)、高校生の娘がソープランドの窓拭きのバイトに行くと言ったら、ヤメサセル。

もう少し話を掘り下げてみよう。
自分の家では商店をやっていて、例えばそれが八百屋さんであったとしよう。
この家で中学生の娘が店番をする。
買い物に来た近所のオバさんは、”お手伝いして偉いねえ”くらいのことを言うであろう。
実際偉いと思うのである。

さて、ところがである。
例えばそれがパチンコの換金所屋さん(本当は、単なる物品販売業であろう。不特定の人から換金用の品物−−フリントロックだったりする−−を買い取り、パチンコ屋さんに売り渡す。当然その差額が利益である。)であったとしよう。
この店の手伝いと称して中学生の娘が店番をする。

親もさせないであろうし、この光景を見たご近所さんも良い顔はしないだろう。
こういう主観的な見方を記載した私も、実は、WHYなのである。
納得が出来かつ正論であるという確証を持つに足る説明が出来ないのである。

WHY?

2001/11/15

文責:い 90点

No.654

さて、しし座流星群である。
輻射点である天空のしし座の頭部(首?)から、あらゆる方向に飛び出してくる流星が一時間に数千という数になったとしよう。
どんな光景なのだろうか。

35年程前の記録では、観測者は、あたかもその輻射点に向かって猛スピードで突っ込んでいるような気分にさせられたという。
本当は、”あたかも”という表現はこの場合適さないのである。
実際に地球が猛スピードで突っ込んでいるのである。

流星群を生み出す塵をばら撒いた母彗星であるテンペル・タットル彗星は、太陽の周りを33年で一周する。
1998年2月に太陽に最も近づいたこの彗星は1865年に発見されているのである。

軌道計算の結果、しし座流星群の母彗星であることが解かった。
発見以前にも何度も同一軌道を通っているので、この軌道上に塵のチューブが出来上がっている。

地球の軌道とは162.5°の角度を成しているのであるが、幸運にも地球はこの彗星の軌道(即ちチューブ)と重なる部分がある。
更に幸運なことに、162.5°の角度は地球の進行方向と逆の流れであることを意味するので、遭遇する相対スピードが増している。
従って、明るい流星である可能性が高い。

先に”テンペル・タットル彗星は何度も同一軌道を通っている”と書いたが、実は様々な要因でほんの少しづつではあるが、ズレた軌道を描いている。
今回11/19未明に遭遇するのは、1699年の軌道の塵(02:31)、1866年の軌道の塵(03:19)の二回がメインとなる。
それぞれの1時間あたり流星出現予想数は、9000個、15000個である。
念のために言えば、1時間あたり50個のピークを持つ流星群ですら年間幾つも無い。

ただし、天文学の予測というのは可也の精度を持つに至っているのであるが、星の爆発時期と流星の出現予測とは明確に予測できないものの二大スターである。
もう一つは、風邪をひく可能性が高い。

裏切られることも快感と感じ、風邪をひかない自信と装備とを味方にして今回の流星を観るのである。
観なくてはダメナノデアル。

2001/11/14

文責:い 90点

No.653

夜半過ぎに帰宅して空を見上げる。
01:15頃だった。
先ほどまで車のウィンドウガラスに水滴を落としていた空は、これでもかと晴れ上がっていた。

星が近い。
我家で眺めるこんな美しい星は久しぶり、という状況下である。
しし座の群であると思しき流星が飛び交う。
それに混じって、群に属さない散在型の流星もちらほらと。

多分空がもっともっと澄んでいて、下界の光害も無ければ、もっと暗い流星も観ることが出来るのであろう。
金銭に換算できないモノを切り捨ててきたのが繁栄という名の好況状態であったとすれば、この不況時こそそれらを取り戻しておくチャンスなのではないか。

行政は、何もしないで宜しい。
残業する換わりに、地域のゴミ拾いをしようではないか。
電気も節約しよう。
東京電力が、節電のコマーシャルを流す(実はこれこそがこの会社の戦略である。ピーク時電力供給維持のために経費がかかっているのだというのである。)傲慢さを追求しよう。


横道に逸れてしまった。
とにかく、”しし座流星群”の出現を期待して、18日の夜中は完全防寒装備で(寝ッ転がって)空を見上げよう。
当然、19日の月曜は休暇届を出して置くのである。
当社は休業である。こういう理由のある休業は芳しい。

2001/11/12

文責:い 70点

No.652

何ということだ。
バターは手に入ったし、もちろんサツマイモは収穫した。
今日は朝から焼き芋を頬張る予定であったのに。

天気予報は人一倍気にしていた。
大丈夫、大丈夫。
05:00現在降雨無し。
”いざ”とばかりに外に出たのである。

と、ざあーという音とともに、大粒の雨である。
DASH村では、濡れ新聞紙に刳るんで落ち葉の焚き火に入れていたが、私はそんなことはしない。
かりかりにコゲタところは食わないにしても、その周りが頗る好ましい箇所になるのである。

考えてみれば、ご飯を炊いてコゲ飯に醤油をぶっ掛け、握って喰らうのを好きだという人は多い(電気釜ではこうはいかない、などと呟きながら、キャンプの朝を過ごすのである)が、それだって、真っ黒の炭みたいな一握りを食いきる奴はいないだろう。

そう、芳ばしくコゲたのが美味いのである。
極限まで追求してはならない。
増して、素人は材料を惜しんではならないのである。
この素人なる者は、駄目な部分を作らないと、自分の欲する部分が出来ないのである。
ただし、趣味である以上、駄目な部分までも使用しようなどと考えてはならない。

欲しいところだけを拾って頂戴するのである。
そして、お誂え済みの取って置きのバターを塗って食べる。
明日の朝は、こんな楽しみの行為をやっている暇が無い。
レポートは、明後日を乞うご期待。

2001/11/09

文責:い 80点

No.651

アメリカの理屈で、つまり彼の国の利益を損ねるものは全て正義ではないという理屈で、邪魔な存在を否定する。
これは矢張り非常に怖いことであると思う。

アメリカは、一度は支援した相手を今度は叩かねばならない。
ご都合主義以外のナニモノデアロウカ。

残念なことに、アメリカを脅威と感じる国々の首脳は、この理屈に賛同してしまう。
ミサイルなどの爆弾ゴミを不法投棄するのに賛成していて、ゴミの分別を励行しようのスローガンはないだろう。
政治的な判断であるならば、せめて京都議定書を取引に使うくらいはやって欲しいものである。
(焚き火をささやかな楽しみにしている私の理屈も変ではある)

”やむをえない”とか”しょうがない”とか”そうせざるを得まい”などという言葉で語る立法・行政の人々には、具体的な事例での申し立てが無い限り司法の判断を聞かせられない。
司法の判断も相当怪しいが...

本当に日本人個人の総意はアメリカ支持なのだろうか。

議会制民主主義というが、これは理念的には民主主義の一つであろうがその最高の形態ではありえない。
まして”現在の日本の”議会制民主主義が、優れた形態であると認識してはならない。

制度改革の俎板に、国会を載せてはどうか。
行政改革ではないので、担当は国会そのものである。
廃止という結論が出たりして...

2001/11/08

文責:い 80点

No.650

幸いにして、私は背が低い。
不幸にして、目方は少なくない。

方や幸いで方や不幸であるこの体形は、世間的に見てあまり格好の宜しいものではないらしい。
らしいなどという不遜な物言いをしたが、実際鏡に映っている私らしい人物の体形学的な見地からの観察では頗る芳しくないのである。

最近特に食い物が美味くて、この体形に研きがかかっている節がある。
冒頭”背が低い”ことを”幸い”と記載したが、大した意味は無い。
鴨居に頭をぶつける心配が無いとか、眼が地面に近い所為でお金を良く拾うとか説明したいところであるが、こんなものに積極的な因果関係があるとは思えないのである。

第一、座高は頭一つ分高い身長を持つ人と大差無いのである。
先に着座して人を迎えると、お互いが起立するまでは慎重さが気にならなかったりする。
自慢にはならないことは解かっているが、さりとて卑屈になることも無い。

2001/11/06

文責:い 70点

No.649

あたりまえのことを必死な表情と声で叫ぶ。
当然のことを感動的に喋るのである。

このとき、”あたりまえのこと”とか”当然のこと”とかというのは、取り立てて口に出すようなことではない事象の事である。
何故なら、理に適った事しか出現しないのであるからである。

あの角度であの強さで降り抜けば、200ヤード先のホールに入るのは、ボールに聞かなくても解かるのである。
問題は、あの角度であの強さで降り抜くことができる技術を身に付けていたことなのである。
結果オーライではない、意図的なプレーを選択した人間については、誠に賞賛に値するのである。

大勢の人々が見落としがちであることを、実はコレコレが重要な要素なのですと指摘する場合には、特に必要だ。

外出する人に対しては、”気を付けて行ってらっしゃい”と声を掛ける。
本人が”行って来ます”という言葉を発する。
この二つのセット会話が重要なのである。
室内と外とでは、神経を緊張すべきモードが異なるのである。

愛情を込めた挨拶は、ほんと大事なんですぜ。

2001/11/05

文責:い 70点

No.648

まっこと焚き火の楽しい季節が到来した。
今朝から2時間ばかりかけて、昨日の作業で出てきたゴミの数々を焼却したのである。

芋掘り作業(既報の予想とおり、今年のトロロ芋の出来は良かった)で邪魔になったので伐採した小枝や、所謂日曜大工で制作した整理棚の切りクズ、そして当然日用生活ゴミといった我家のゴミは、私の喜びの相手をして煙になっていったのである。

来週の日曜日は、サツマイモの収穫である。
サツマイモと焚き火とをセットにして考えると、今日以上の喜ばしい時間が来るのである。
”ふかし”は言うに及ばず、”石焼”でさえも、あの少し炭化した部分を生じた”焚き火”芋の美味さにカナウモノは無い。

微妙なタイミングで焼き上げられたサツマイモには、バターを塗って食うべし。
従って、今週の後半には、バターを調達しなければならないのである。
バターこそ鮮度が命である。
これから電話で牧場に予約するのである。

願わくば、日曜の昼頃出来上がる製品を廻して貰えるように、工場のおじさんにお願いするのであるが、今回は上手くいくかどうか。
このおじさんとの会話も楽しみの一つ。
この交渉次第で、バターの鮮度と価格とが決定するのであるから。

お蔭様で、この季節は色々と楽しみは尽きない。