日刊 鬼ノ胃 本日分はこちら |
2001年07月分(07/01〜07/31)
2001/07/31 |
文責:い 70点 |
No.564 |
先週の金曜日に、メルマガの”★金曜日は、ちょっと訳アリである★で書いた。 |
2001/07/30 |
文責:い 80点 |
No.563 |
参議院選挙終了。 |
2001/07/29 |
文責:い 60点 |
No.562 |
日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。
睡眠不足と宿酔とで体調不良。 |
2001/07/27 |
文責:い 90点 |
No.560 |
一昨日の雷雨以来少し涼しい気もするが、湿度の高さには辟易している。 |
2001/07/26 |
文責:い 90点 |
No.559 |
4日付の東奥日報によると、みちのく銀行は、2003年冬季アジア大会への寄付金・協賛金として総額1億円の資金協力を行うと表明。 |
2001/07/25 |
文責:い 60点 |
No.558 |
体の脂肪1gあたりには、約7キロカロリーのエネルギーがあるのだそうだ。 |
2001/07/24 |
文責:い 80点 |
No.557 |
京都がとても暑いらしい。 |
2001/07/23 |
文責:い 70点 |
No.556 |
どうなっちゃったんだろう。 |
2001/07/19 |
文責:い 60点 |
No.552 |
火星が大接近している。 |
2001/07/18 |
文責:い 80点 |
No.551 |
おいしいご飯を食べたい。 |
2001/07/17 |
文責:い 70点 |
No.550 |
悩ましい問題があるのである。 書籍は、ソフトウェアなのか。ハードウェアなのか。 ハードカバーという分類は存在する。 これは、明らかに物体であることを物語っているかのようである。 枕として使いやすい本と、妙に心地悪い本とがあって、昼寝時の気分は本次第ということがある。 文庫版の本を積み重ねての昼寝は、安定感を著しく損ねる。 平凡社の百科事典は、その点頗る評判が良かった。 この百科事典3冊の上にバスタオルを4つ折にして覆い枕にして寝そべり、1冊を両の手で持ち上げて百科事典を読む。 ウエイトトレーニングを兼ねて、頭脳と肉体とのダブルトレーニングである。 これはお奨めであるのだが、百科事典の話をとんと聞かない今日であり、調達は古本屋なのだろうか。 千葉日報一面に、参院選の候補者への質問が載った。 その項目の一つに、”最近読んだ本。感銘を受けた本”との質問があるのである。 本のタイトルと著者名とが併記されているのであるが、ある候補者の該当欄の記載が揮っている。 ”新安全保障論の構図(共編著)”とあるのである。 好意的に(勿論千葉日報に対してである)解釈すれば、候補者の回答には一切手を加えていない、とのことであろうが、笑いが止まるのである。 候補者としては、回答に真剣なのであろうが、マスコミの取材にイチイチ答える必要は無いと考える。 質問がマトモでないのであるから、それに対してマトモに答えるのは、マトモな行動ではないのである。 でも、”最近読んだ本。感銘を受けた本”との質問は、裏読み訓練には丁度良いし、これで中々アジがあるものである。 |
2001/07/13 |
文責:い 80点 |
No.546 |
ちょっと危険な話なのである。 私の風体や普段の生活様式・態度を観察している人がいたら、きっといよいよ危ないぞとの認識をして、尾行に入るかもしれない位なのである。 なに、刃物の話なのである。 何とかに刃物とは良く言ったもので、この言葉が永遠の真実であるとすれば、私に刃物は持たせるべきではないのであるが、しかし、逆に言えば、良く似合うのではないかと思うのである。 刃物と言えば、矢張り包丁であろう。 最近は、鑿と鋸とにも関心があって、(専門店でも大工用具と厨房用具とを隣接したエリアに置いてある)道具売場を見て歩く機会も多い。 ”妖艶な包丁”と表現したい包丁こそが私の好みである。 将に危ない世界である。 ”高いから良さそうな道具”なのではなく、”良さそうな道具は高い”のである。 長年の道具売場ウォッチャー鬼ノ胃の結論である。 一時、げんのう(カナツチですな)を買い捲った。 大工道具としてではなく、石割用である。 鉱物としての石を叩き割りして歩き回る時に使用するのだ。 自分の腕力とげんのうの重さとが、微妙なところで調和していないと、抱くイメージどおりには割れてくれないのである。 ある一つのげんのうの重さは(多分)何時でも同じなのであろうが、生身の身体に秘められた腕力という奴は万度変化しているのである。 同じ日でも、疲れによる変化も存在する。 やる気が腕力に及ぼす影響も無視できないのだ。 自分というモノは、理解しているようでいてそうではないのである。 従って、外部の道具の協力で自分の能力を引き出してやらねばならない。 好きな道具に囲まれているだけで嬉しいって感じがある。 私が好きなモノは、どうも女性には不人気な対象なのであるが、対象物をブランド物にでも摩り替えてみれば、その感覚は理解していただけよう。 さて、とまれ、これからドリルスタンド(ハンディ型の電気ドリルを装着して使用するアレである)を購入すべく、ジョイフル本田に行くのである。 5,000円位の道具なのであるが、見つけてから半年くらいになる。 まだあるな、まだあるなと、店を訪れるたびに撫で回していた憧れのマシンが私の所有になるのは時間の問題である。 こういうモノは、大体が、買うまでが楽しいんだよな〜。 |
2001/07/12 |
文責:い 70点 |
No.545 |
所謂潔癖症とはまるで対極に位置するのが私の性癖なのである。 なのであるが、こと掌の汚れに関してだけは、別物なのである。 例えば、インクで汚れていることは気にしないのだが、こと発汗によるべとべと感は堪えられない。 一日に何度となく手を洗うのである。 これでもかと洗うのである。 食事の直前に手を洗うという習慣は無い。 衛生的な面からの欲求ではないのである。 床に落とした食べ物は、”ふっ”と息を吹きかけて食べるなんてのは茶飯事であるし、どなたかの食べ残しをアサルなんてことも全く平気の平左なのである。 大体、食前に手を洗うと、石鹸の臭いが手についてしまって、香りを重視する私の”食うこと”に対するスタイルにはそぐわない。 だけれども、ひたすら手を洗い続けるのである。 特に、机に向かって何かをしようとする時にこの傾向が強い。 何の事は無い。 高校時代からだと思うのだが、何かから逃げたいというシグナルとして、掌に発汗し、それを理由に机の前から移動して手を洗うという、直面する”厭な事柄”から開放される理由付けを、我本能は求めているらしい。 今日は、只管、そう、ただ一向洗いマクッテイルノデアル。 |
2001/07/11 |
文責:い 50点 |
No.544 |
今日は、ちと反省を込めて。 筆の流れが、自分の考えを作り出す。 考えていることを纏めて、整理して、書き始める。 そんな訳が無いのである。 書くことと考えを纏めるとが、同時進行である。 結論は、書いているうちに付いてくるものである。 矛盾が生じても構わず書く。 どうせ、常日頃の思考なんて奴は、論理に一貫性など無いのである。 そうやって、一つひとつの問題を解決しているのである。 書きながらの思考は、書き終わったモノを推敲するという作業ができるのである。 どうも自分のスタイルと違うと感じたら、その部分を書き直していると、全く逆の結論に達したりして、誠に良い気分である。 他人に見られているという緊張感は、これで結構奮い立たせの栄養剤になるのである。 ただし、それなりに怖い部分もあって、メールによる批判には、はっとするモノ多しナノデアル。 最初は、まあ複数の人間で書き続けることになるだろうというくらいの雰囲気で始めたのである。 が、勿論一緒に書いてくれるなどという奇特な人間なんぞは存在する訳も無く、こちらはこちらで、書きつづけるのが面白いと感じているので、このままのスタイルで今後も続くのである。 ま、そんな訳で今後も宜しく。 |
2001/07/10 |
文責:い 90点 |
No.543 |
面倒臭いと窮乏とについて。 面倒臭いと窮乏とが結託して、簡素化された、しかし、後に盛大になる行事が勃興する。 些か馴染まない言葉の組み合わせが、オモシロイのである。 生まれつき貧乏で、積極的な活動を好まない性格であるらしい私は、この境遇と性癖が世界の風習を支えてきたことを知っている。 私の住む地域では、今時(7月)から10月にかけて、だらだらだらだらとお祭りが続くのである。 我家が参加することになる(これは、好んで参加するかどうかではなく、昔から我家を一種の氏子として祭りの構成員であることを余儀なくさせている事情によるのである。個人的には、嫌いではない)祭りだけでも5つばかりある。 内4つは、構成員30軒ばかりの、ほんの土着隣組祭りである。 かつて大化の改新の頃(7世紀半ば)、朝廷が地方支配の拠点として置いたのが、国府である。 そこには、中央(朝廷)から国司が派遣されて、地方政治全般を執り行っていた。 政治の最大関心事は、税金徴収と祭祀とである。 税金の取り立てがきちんと行われるためにも、神の怒りによる災厄を起こさないように、一国の中の神社を祀ることが政治なのである。 ところが、平安時代末になると、国司は中央貴族の権益のみの地位となり、本人が国府に赴任しないで、有力な家来を送り込んだ(これが目代と呼ばれる役人である)。 自分の治めているエリアにある神社全ての祀りをするには、手間と供え物とはともに可也の量となる。 それじゃあ、纏めてしまえってなもので、総社制度を作り出した。 国内を廻って、神事を行う手間を省くのである。 一国内の神々の分霊を集めて、新しく総社という神社に祀ったのである。 で、この総社を祀ることをもって全ての神社の神事を行ったと宣言すれば良いものを、何処か後ろめたかったのであろう。 一国内の最も有力な神社を”一宮”と呼ぶようになり、それに次ぐものを”二宮”、”三宮”として、この辺りまでを国司(目代)が祭祀を行ったのである。 ただし、逆に”一宮””二宮”といった神社にしてみれば、権威とお金とを集中的に与えられたがために、隆盛していくのである。 今日は役所の話をしていないのだけれども、現代の役所という組織の活動を、ここに記載した話に当て嵌めてみると、面白い。 まつりごとを骨抜きにすると、税金徴収だけが生き残り、面倒くさいことはやらなくなるのである。 そう、組織に甘んじる人は、時々がつんとやられないと堕落する宿命なのである。 従って、個人が悪いのではなく、組織が悪いのである。 組織が悪いのだから... ちとばかり蛇足であった。 |
2001/07/09 |
文責:い 70点 |
No.542 |
アキレス腱を傷めてしまった。 軽度であるのは間違い無い。 この部位に負荷をかけなければ、全く痛みを感じないし、妙に膨らんだりという風に形状が変わってもいないのである。 しかし、歩行に著しく差障りがある。 マトモに歩けないというのは、日常生活には不便なのである。 空気の例を出すまでも無く、普段さりとも感じない事柄は、一旦緩急ある場合には、誠にもって重大事であることに気付くのである。 気付いても、気付かなかった時に比して、何等良いことは無いのであるが、今後の自分の生活において何か異なった感性で世の中を見るための一助にはなる、と思うのである。 当然の積み重ねが、つまり、数学で言うところの”証明”なのである。 その当然なるモノの根源の事象(例えば、平行線は交わらない、という決まりごと。この決まりごとを否定した世界も”当然”あり得るのであって、実際に数学の世界では、平行線は交わるという前提で一つの体系を作っている)を、自分のポケットにどれだけ詰めておくことが出来るかが勝負である。 辛い生活を送っている人々に対して、自分がどんな反応が出来るかは、その詰め込まれた量に依っている。 可哀想である、で終わりの人もいる。 何かをしてあげよう、の人もいる。 自分と同じじゃないか、と考える人もいる。この人は、同朋相憐れむなのかも知れないし、人の振り見て我振り...なのかもしれない。 斯様に、アキレス腱を傷めてしまうと、自分の人格に影響してくるのである。 従って、アキレス腱を傷めてミルベキナノデアル。 皆さんもご一緒に如何。 紙について様々な業者を当っている。 チラシのデザインを請負ったりしてもいるのであるが、文章を基本に仕事をしているので、画像について素人である。 文字だって一緒なのであるが... それはサテオキなのであって、最近気付いたことがある。 白地に色(黒白を含めて)で何かを描いていくのが、嫌いになりつつあるのである。 何を言っているのかと言うと、色の着いた紙を使用すると、背景は白地ではないのであるから、不思議な感覚になるのである。 レイヤー(層)という概念で一枚の絵を仕上げるとしよう。 最初の一枚には、白地(透明なキャンバス)に赤で円を描く。 二枚目には、一面を赤で塗りたくる。 最初の一枚を前面に、二枚目を背面にして二枚を重ねると、一枚目のレイヤーの情報(赤色の円)は、何も存在しないかのようである。 実は、二枚目を前面に、最初の一枚を背面にして二枚を重ねても、一枚目のレイヤーの情報は、何も存在しないかのようである。 これはただの馬鹿な行為なのであるが、この現象の示唆するところは誠に興味深い。 政治批判でも、隣の子供の批判でも、昼飯の料理批判でもナンデモヨイのだが、自分の批判眼に、今の例で言えば赤色のサングラスを付けて対象を見つめてはいないかということなのである。 赤外線フィルターとかXレイフィルターとかに替えてみると、違った批評が出来そうな気がするのである。 もちろん、薄ピンクのガラスレンズでも一向に構わない。 12345678×98765432×□を計算しようとして、前2つの計算を終えたときに、□には0が表示されていた時に、あなたはどういう感想を述べるだろうか。 |
2001/07/06 |
文責:い 80点 |
No.539 |
紙について様々な業者を当っている。 チラシのデザインを請負ったりしてもいるのであるが、文章を基本に仕事をしているので、画像について素人である。 文字だって一緒なのであるが... それはサテオキなのであって、最近気付いたことがある。 白地に色(黒白を含めて)で何かを描いていくのが、嫌いになりつつあるのである。 何を言っているのかと言うと、色の着いた紙を使用すると、背景は白地ではないのであるから、不思議な感覚になるのである。 レイヤー(層)という概念で一枚の絵を仕上げるとしよう。 最初の一枚には、白地(透明なキャンバス)に赤で円を描く。 二枚目には、一面を赤で塗りたくる。 最初の一枚を前面に、二枚目を背面にして二枚を重ねると、一枚目のレイヤーの情報(赤色の円)は、何も存在しないかのようである。 実は、二枚目を前面に、最初の一枚を背面にして二枚を重ねても、一枚目のレイヤーの情報は、何も存在しないかのようである。 これはただの馬鹿な行為なのであるが、この現象の示唆するところは誠に興味深い。 政治批判でも、隣の子供の批判でも、昼飯の料理批判でもナンデモヨイのだが、自分の批判眼に、今の例で言えば赤色のサングラスを付けて対象を見つめてはいないかということなのである。 赤外線フィルターとかXレイフィルターとかに替えてみると、違った批評が出来そうな気がするのである。 もちろん、薄ピンクのガラスレンズでも一向に構わない。 12345678×98765432×□を計算しようとして、前2つの計算を終えたときに、□には0が表示されていた時に、あなたはどういう感想を述べるだろうか。 |
2001/07/04 |
文責:い 80点 |
No.537 |
試合数を増やすとトータルの観客数を増大できる。 インフラストラクチャの整備が皆無の状態から、勢いをつけて積極的な公共投資により、例えば高速道路を張り巡らすとしよう。 最初に、この政策からもたらされる果実(社会全体の便益)は大きい。 東名高速道がこの例である。 便益が大きいと考えられるルートを選択するからである。 この意味では、公共投資の国内経済に対する貢献度は大である。 ついでながら書いておく。 国や県といった公共団体の事業費は、GDPに算入される。 支払った金額が、そのまま算入される。 つまり、公共投資がもたらしたGDBの伸びは、そのまま経済指標としての意味を持つ。 しかし、アクアラインという高速道建設という公共投資は、如何であっただろうか。 事業費金額が、GDPに算入されたのは間違い無い。 問題は、このGDPの数値が、この建設をやらなかった場合の数値に比べて大きくなっていることに意味があるかということなのである。 今年、1兆円かけて穴を掘り、来年1兆円かけてその穴を埋める。 今年も来年も、GDPを構成するのである。 民間なら、こんな馬鹿なことはやらないのである。 原価(費用)を投げ打つバカがいても、これを発注する主体が無いから、生産活動にはならないのである。 もちろん、原価を構成する労働や機械リース代などは、他の経済主体の売上を構成するから、GDPに算入される。 つまり、最初の、目的である穴掘りそのものの経済行為が、GDPに算入されるかされないかの問題ナノデアル。 民間ではやれないのではなく、やらないのである。 ケインズ施策は、斯様に今日的ではないのである。 何を書いているのやら... ”試合数を増やすとトータルの観客数を増大できる”が、書き出しなのである。 この話は、可也関係していると思うのだけれども、改める。 常識を超えた暑さであった。 常識とは、私の肉体が07/01の気候として記憶している水準の気温その他のアトモスフィアのこと。 七月の始まりである、というので、今日からトレーニングをするのであると決めていたのである。 12:40自宅をスタート。 殆ど修行の世界であった。 スタート前の話。 この歳で、普段の運動不足を抱えた私としては、若干の不安アリなので、バドミントン部の休日部活から帰宅してちょいと寝転がっていた娘をツカマエテ、一緒に走るという件での交渉をした。 交渉には、相互の給付内容が議題になるのである。 当方の要求は、”一緒に走れ”なのであり、これは既に告げてあるのであるから、相手としては、この一般的な”走れ”の範疇を狭めようと努力するのである。 今日からトレーニングなどとノタマウ私にしてみても、他人との交渉によって、その運動量を小さくすることに余儀なく至ったという経過は好ましいのである。 従って、娘の要求により、本日のトレーニング時間は1時間と決定した。 となると、今度は、私が給付すべき事柄の交渉になるのである。 全く子供だと思っていたのであるが、何時の間にか大きくなったもので、交渉事の現場におけるテクニ−クを身に付けてイヤガルノデアル。 スポーツ用品は、高価過ぎる。 ヨネックスは、特にイカン。 |
2001/07/02 |
文責:い 80点 |
No.535 |
常識を超えた暑さであった。 常識とは、私の肉体が07/01の気候として記憶している水準の気温その他のアトモスフィアのこと。 七月の始まりである、というので、今日からトレーニングをするのであると決めていたのである。 12:40自宅をスタート。 殆ど修行の世界であった。 スタート前の話。 この歳で、普段の運動不足を抱えた私としては、若干の不安アリなので、バドミントン部の休日部活から帰宅してちょいと寝転がっていた娘をツカマエテ、一緒に走るという件での交渉をした。 交渉には、相互の給付内容が議題になるのである。 当方の要求は、”一緒に走れ”なのであり、これは既に告げてあるのであるから、相手としては、この一般的な”走れ”の範疇を狭めようと努力するのである。 今日からトレーニングなどとノタマウ私にしてみても、他人との交渉によって、その運動量を小さくすることに余儀なく至ったという経過は好ましいのである。 従って、娘の要求により、本日のトレーニング時間は1時間と決定した。 となると、今度は、私が給付すべき事柄の交渉になるのである。 全く子供だと思っていたのであるが、何時の間にか大きくなったもので、交渉事の現場におけるテクニ−クを身に付けてイヤガルノデアル。 スポーツ用品は、高価過ぎる。 ヨネックスは、特にイカン。終わってしまう。 雨も振りやしない6月が、である。 紫陽花が寂しがっている。 |