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2001年07月分(07/01〜07/31)

2001/07/31

文責:い 70点

No.564

先週の金曜日に、メルマガの”★金曜日は、ちょっと訳アリである★で書いた。

”一昨日の雷により、そこここで被害があったと聞く。
停電が齎した影響は計り知れない。
リセットされた電気器具の時計合わせだけでもうんざりした方も多いだろう。......”

今にして思えば、こんな呑気な文章を書いた自分が情けない。
我家の深夜電力を利用した給湯器が、故障したのである。
夏場は2〜3日分の熱湯が蓄えられているので、中々気がつかなかったのである。

土曜日に何か変だぞ、ということになったのである。
風呂に入って使うと、シャワーの水圧が無いのである。
当然低い温度の水しか出てこないのだ。

”夏の水浴び”といえば聞こえはよいが、水の温度は低いので、身体がついていけないのである。
子供たちや妻は、年寄りの離れ家に風呂を恵んでもらいに行った。
私は、意地で(何に対してなのかは不明である)水浴びをしたのであるが、流石に僧が滝に打たれる修行の心境である。

これで悟りでも開ければ、災い転じて福なのであるが、そうはならないのが凡人の常なのである。
で、何をしたかといえば、設備屋さんに電話をしたのである。
一応給湯器をバンバン叩くという古式ゆかりの修繕方法を試みてはみた。

しかし、深夜電力を利用しているのであるから、昼間は、そもそもタイマーによって給電はカットされている。
従って、直ったかどうかの確認が出来ないのである。
瞬間的には直っていたかもしれないが、気が付かずに、次の一撃を放ったが故に、再び故障状態に陥ったのかもしれない。

設備屋さんが来た。
タイマーカットを排除するために、タイマーを経由しないで電気を供給するというショートカットの配電をした。
ヒューズを確認し(これは問題無かった)、テスターによる通電確認をした後に発せられた言葉は、”基盤故障”。
念のためなのであろう、彼も古式ゆかりの修繕方法を試みたのである。

直った。
少なくとも、私がこの給湯器に望む機能は復旧されたのである。
さあ如何しよう。

機嫌を損ねないように、騙し続ける方法を選択したのである。

2001/07/30

文責:い 80点

No.563

参議院選挙終了。
投票率が気になっていたのであるが、(異様な高率になることなく)落ち着いた数値を見せたことを確認して安心している。
まだまだ大丈夫そうである。私の国の人々も。

不法な掲示箇所だとしか思えないのだが、街中で目に付く選挙に使ったポスター類の撤去が、速やかに行われることをお祈りいたします。

衆議院ほどには酷くないのであるが、選挙ポスターの氾濫はどうにかならないものか。
ある報道では、今回の選挙では、認められたポスターの枚数が5万枚とかの数値であり、しかし、これだけの掲示箇所を確保できる候補者は数少ない、とあった。

セブンイレブンには不思議な感じでポスターが貼られていたが、あれは全くノープロブレムなのだそうである。
掲示箇所の権利者の同意があれば、場所を確保でき、当然掲示できるのだ。

ところが、運動員によっては、渡された枚数をこなすのに、無断で掲示箇所を確保して貼り付けてしまう。
従って(ということの根拠は薄いような気もするが)、張りっぱなしで撤去しない。
当然、その場所の権利者は、剥がす義務があるとは考えないから、ポスターに書かれた候補者に文句を言う。

文句を言われるのは堪らないと初めから考えた候補者ならば、妙な場所に貼ろうとは考えないから、ポスターの制作枚数を減らす。

ただし、このように考える方々からの提案で、何万枚ものポスターが必要なのかの議論にならないのはオカシイ。
あれって、候補者の個人負担ではないのである。

選挙そのものにお金がかかるのが、民主主義の弊害の一つなのであるが、候補者(政党)の側から見ると、現在の選挙制度だと、非常に安価にPRができる点を見逃していない候補者(政党)がいる。
これも困った問題である。

2001/07/29

文責:い 60点

No.562

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

睡眠不足と宿酔とで体調不良。
こんな時には痩せるはずなのだが、実態はその逆。
今月中に71kgが66kgになる予定であったのだが....

2001/07/27

文責:い 90点

No.560

一昨日の雷雨以来少し涼しい気もするが、湿度の高さには辟易している。
今年の夏ほどエアコンを有り難く思ったことは無い。

エアコンに纏わる怖い話。
一週間ほど前の連休の最中に、家電量販店での接客会話を聞いたのである。

取付を手配してもらいたいのだけれど...
これは客の言葉である。

解かりました。今朝の情況からすると、大体8月の10日あたりになると思います。
この店員の言葉に、お客は暫く声も出なかったのである。
商品購入をキャンセルしたかどうかは知らない。

この話、笑って読んでいるあなた。
忍び寄る恐怖を知らないから、そんな風にしていられるのです。

明日、突然エアコンが故障してしまうのである。
さあどうする。

先ずは、修理屋さん(エアコンを購入した店が普通か?)に電話をすることになるのでしょうな。
その電話で対応する先様の担当者は、爽やかな声で丁重な言葉使いの持ち主なのである。が、問題の核心に至って、当たり前のように悪魔の言葉を発するのである。
”お伺いできるのは、大体8月の20日あたりになると思います。”

言葉を失わない、強固な精神力の持ち主のあなたは、しかし、怒り出すに違いない。
怒り出しても、事態は一向に好転しない。

次には、近くの電気店に声を掛けてみる。
ま、大体が、今混んでますが、先客が終わり次第伺います、くらいのことを言われ、それで何時頃でしょう何て猫なで声で問い合わせても、それは何とも言えないんです、と返され、他をあたってみます、と溜息とともに喋るのがやっとの状態に陥るのである。
あ〜、ちと長い文章であった。

それで、他の知らない店にあたってもショウガナイと判断したあなたは、ちょっと汚い手段を考えるのである。
そうだ、友達のAの弟が空調屋だったっけ、と気付くのである。
何時から友達と認識したのか知らないが、単なる知人のAは、それなりの対応しかしないのである。
ここであなたは、ヤッパリAなんか友達じゃねえ、何て風に口に出すのだ。

Aは、自分の地位が色々に変遷した事実を知らずに、いつものAであり続けるだけである。

今日は、”季節の商品”というタイトルで、別の事を書くまくらにしようと思って書き始めたのである。
ま、まくらだけの、こんな一席も良かろう。

2001/07/26

文責:い 90点

No.559

4日付の東奥日報によると、みちのく銀行は、2003年冬季アジア大会への寄付金・協賛金として総額1億円の資金協力を行うと表明。

この記事が特殊なのは、これに続く一文である。
県、大会組織委は、1億5000万円の協力を打診していた。

ここに言う”県”は、青森県である。

”寄付は企業が判断すべきもので最初から額を見込むというのはあり得ない”と頭取は、寄附表明のあとを続けたのである。

蓋し正しい認識である。

地元では、各地で花火大会が行われている。
この運営費(主催者は、運営費ではなくて、花火一つ一つのスポンサーであると言うらしい)捻出方法を、各種団体、特に民間企業の寄附に期待している。

寄附をしてくれた団体の代表者らを、当日特別席で接待する慣習がある限り、運営費の支出項目の妥当性に疑問符が付く。
商工観光の施策の一環として行う行事は、妙な名称の主催団体を誂えているようであるが、実態は地方公共団体そのものであることが多い。

収支報告の曖昧な行事に、公金を利用してはならないのである。
はっきりとした顛末を報告していただきたい。
公開に耐えられる資料を作成できることを祈りながら、お願いしておく。

現在の制度のもとでは、そもそもが、公用車で寄附依頼に駆けずり回る市職員・特別職の姿は、市民に見せてはならないのではないだろうか。
隠れてやって欲しいものである。もちろん、上手にぼろを出さないように。

官を巻き込んだ観光行事に、民間の寄附を募るのはオカシイのである。
特定の神社のお祭りという行事に、公共性があるかどうかも問いたい。
”公共性”という言葉で、君津市管財課の窓口担当者と論争したのは私である。

2001/07/25

文責:い 60点

No.558

体の脂肪1gあたりには、約7キロカロリーのエネルギーがあるのだそうだ。
こんな計算をして正しいのかどうかは知らないが、とにかく面白いので成立させることにする。

腹回りについた脂肪を1kgと推定する。
これを取り除くにはどうしたら良いかを考えるのである。
言い換えれば、このくらいの量の脂肪が私の腹回りから消えてくれたら、との願望が込められた問題の解決である。
7,000キロカロリーのエネルギーを、腹回りについた脂肪1kgで充当させれば良いのである。

冬の寒さに耐えるために、無理矢理皮下に装備した脂肪が邪魔なのである。
この蓄積した脂肪だけで、1週間くらいはエネルギー不足になりそうも無いのである。
ただし、食物を摂取しないと、微量だが絶対必要な栄養素が不足する危険性があるから、絶食はダメナノデアル。
通常の1/2の量に規制する。

ウーロン茶には、エネルギー消費を高める働きがあるそうだから、水分補給はウーロン茶に限定し、それも、これでもかこれでもかと飲みまくるのである。
冷たいビールなんかは絶対飲まないのである。

今月一杯で、リニュアルされた私の肉体が出現する筈である。
腹回りの脂肪のみ使用するように、念力で自分の身体に指令することを忘れてはならない。
体脂肪は改善されたが腹回りの脂肪はそのまま、何て事態は好ましくないのである。

私の長年の経験で、好ましくない事態は、最も生じやすい事態であることを知っている。

2001/07/24

文責:い 80点

No.557

京都がとても暑いらしい。
多分正しいのであろう。千葉だって充分暑いのであるから。
今年の鱧が良いらしい。
これは、行って見なければ全く解からない。

いつもなら、こうなりゃ行くっきゃないと、日帰り企画なんぞを披露するのだけれども、今回はそうも行かないのである。
行かないのは選挙と前から決めてはいるのであるが、京都も行かないなんて事態は想定外である。
寂しい夏である。

何が私を京都に行かせないのか。
普通この手の答えは、ポジティブな理由なのである。
ナニナニの事態が発生してしまったとか、コレコレの事態が発生してしまったとか、我行く手を阻む強敵が現れて、残念ながらというのがパタンの筈なのである。

しかし、何と今回は、違うのである。
暇が無いのである。
今日までの2年間、暇が無いなどという言葉を発した記憶の無い私ののスケジュールに関して、極めて稀な現象が存在しているのである。
スケジュール表なんてモノが必要な生活をしていないので、依頼されたらナンデモ請けてしまうのである。

”依頼されたら”とは、体裁の良い言葉を使ってしまったもので、仕事の約束ではないのである。
そう、遊びの約束がスケジュール表に一杯になってしまっていて、これ以上遊びの予定を書き込むことが出来ない、がんじがらめの7月なのである。

今月一杯だけはどうしようもない情況なのである。
念のために書いておくと、ちゃんと仕事もします。
スケジュール表に、仕事の予定が一つ書いてありますから。

2001/07/23

文責:い 70点

No.556

どうなっちゃったんだろう。
暑いのである。
雨が降ってくれないのである。

挨拶としての”暑いねえ”も、飽きてきたのである。
庭の草木も枯れる奴が出てきた。
近場にある山の畑は水遣りができない。
それでも草は生えてくるのであるが、元気があるとは思えない。

幸いにして、自家井戸の水道は健在である。
配管の長さ故に、20秒ほどは、若干生温い水が出る。そのあとに、がつんという音がしたかのような印象で、冷たさの切れが良い水が現れる。
何かこう、至極の瞬間なのである。
屋外の作業を終えて、手足を洗っているうちに、この瞬間が出現すると、ホースの筒先を口に持っていくことになる。

”甘露”とか”甘い水”という表現があるが、これのことを指すのであろう。
炭酸の喉越しや、乳酸菌飲料とかアルコール度数の高い酒の喉への刺激とは全く異様な特異な喉越しと味。

握り飯に何個もがぶりついて、ぐびぐびと喉を通す時の感じに似ている。
田舎暮らしも悪くは無いのである。
ただ、ロケーションとしては田舎なのであるが、都市のための開発は、山の奥にまで達している現状を考えると、我家の水にひたと寄って来る有害成分は心配の種である。

イイトコ取りだけしている訳ではないのだ。

2001/07/19

文責:い 60点

No.552

火星が大接近している。
6月22日に最接近であったので、早くに書くべきであった。
ま、今でも遜色ない明るさなので良しとする。

再接近時(本当は最接近。でも、”再”でもマチガッテイナイなどと言い張るのが最近の流行であるらしい)には、マイナス2等星、今月中にマイナス1.5等星になる、と言えば、雰囲気はお解りいただけよう。

今回の天空上の位置は、へびつかい座にあるのであるが、もう殆どさそり座のすぐ傍で、さそりの頭に位置する1等星アンタレスとならんでいる。


火星といえば、赤い星である。
特に火星の赤さは、血の色を連想させる不気味な赤で、この星がここまで赤いと、昔日の人々は大層気味悪がったことであろう。

一方、アンタレスといえば、恒星中で名にし負う赤い星である。
さそりという名の星座の命名は、この色によるところが多かろう。

何の因果かこの二つが見かけ上再接近するのが、7月20日なのである。
この時ホンの5度の視角度しかないのである。

世の中が大騒ぎしないのは、所謂科学知識の発展の齎すワザなのだろうか。
我々が星に興味を持たなくなったからなのか、はたまた、単に感動する心を忘れてしまった所為なのか。

星を見ませんか。
ついでに言えば、僕と一緒に。

2001/07/18

文責:い 80点

No.551

おいしいご飯を食べたい。
この時季には、米飯が美味くないのである。

うまいご飯を求める人は多い。
うまいご飯を食べたいなら、方法はある。

美味い米を買う。
貯蔵を巧みにする。
炊飯直前に精米する。
良い水を使用する。
良い炊飯器を使用する。

これで、全てである。

炊飯器は、ガス釜が良い、という信仰がある。
いや、やはり、薪直火を使って、最後に藁をくべて...
そんなことが出来る訳が無い。

実際、一升以下の量の米を炊くなら、電気釜が一番である(ま、充分であるの意)。
最近の電気炊飯器は優秀である。
ただし、年を過ぎると極端に性能が下がる。

何処のメーカーの何と言う製品でも良い。
安価な電気炊飯器(もちろんジャー機能付き)を、三年周期で買い換える。
これが一番である。
”良い炊飯器を使用する”、と書いた”良い”とは、”三年以内の”と読み替えてくれればよい。

私は、炊飯器を販売するつもりはない。

この時季の不味さは、とにかく、貯蔵がダメナノデアル。
本当は新米よりも一年位熟成したほうが美味いのではないかと、ひそかに思っている。
穀物は新しいほうが美味いという観念は、貯蔵方法の未熟さゆえナノデアッテ、本当は...という私の予想なのだ。

日本酒の熟成モノを飲んで、こんなことを考えた次第である。

ただし、米は毎日食うという意味で量が多いことと、金額が安いことが必要らしいので、貯蔵にコストを掛けられないのであろう。
それでも、買う奴は買うのであろうから、倉庫業者のドナタカ、一度5年ぐらいの冷蔵熟成をやってみてくれないだろうか。

2001/07/17

文責:い 70点

No.550

悩ましい問題があるのである。
書籍は、ソフトウェアなのか。ハードウェアなのか。

ハードカバーという分類は存在する。
これは、明らかに物体であることを物語っているかのようである。
枕として使いやすい本と、妙に心地悪い本とがあって、昼寝時の気分は本次第ということがある。
文庫版の本を積み重ねての昼寝は、安定感を著しく損ねる。

平凡社の百科事典は、その点頗る評判が良かった。
この百科事典3冊の上にバスタオルを4つ折にして覆い枕にして寝そべり、1冊を両の手で持ち上げて百科事典を読む。
ウエイトトレーニングを兼ねて、頭脳と肉体とのダブルトレーニングである。
これはお奨めであるのだが、百科事典の話をとんと聞かない今日であり、調達は古本屋なのだろうか。

千葉日報一面に、参院選の候補者への質問が載った。
その項目の一つに、”最近読んだ本。感銘を受けた本”との質問があるのである。
本のタイトルと著者名とが併記されているのであるが、ある候補者の該当欄の記載が揮っている。

”新安全保障論の構図(共編著)”とあるのである。
好意的に(勿論千葉日報に対してである)解釈すれば、候補者の回答には一切手を加えていない、とのことであろうが、笑いが止まるのである。

候補者としては、回答に真剣なのであろうが、マスコミの取材にイチイチ答える必要は無いと考える。
質問がマトモでないのであるから、それに対してマトモに答えるのは、マトモな行動ではないのである。

でも、”最近読んだ本。感銘を受けた本”との質問は、裏読み訓練には丁度良いし、これで中々アジがあるものである。

2001/07/13

文責:い 80点

No.546

ちょっと危険な話なのである。
私の風体や普段の生活様式・態度を観察している人がいたら、きっといよいよ危ないぞとの認識をして、尾行に入るかもしれない位なのである。

なに、刃物の話なのである。
何とかに刃物とは良く言ったもので、この言葉が永遠の真実であるとすれば、私に刃物は持たせるべきではないのであるが、しかし、逆に言えば、良く似合うのではないかと思うのである。

刃物と言えば、矢張り包丁であろう。
最近は、鑿と鋸とにも関心があって、(専門店でも大工用具と厨房用具とを隣接したエリアに置いてある)道具売場を見て歩く機会も多い。
”妖艶な包丁”と表現したい包丁こそが私の好みである。
将に危ない世界である。

”高いから良さそうな道具”なのではなく、”良さそうな道具は高い”のである。
長年の道具売場ウォッチャー鬼ノ胃の結論である。

一時、げんのう(カナツチですな)を買い捲った。
大工道具としてではなく、石割用である。
鉱物としての石を叩き割りして歩き回る時に使用するのだ。
自分の腕力とげんのうの重さとが、微妙なところで調和していないと、抱くイメージどおりには割れてくれないのである。

ある一つのげんのうの重さは(多分)何時でも同じなのであろうが、生身の身体に秘められた腕力という奴は万度変化しているのである。
同じ日でも、疲れによる変化も存在する。
やる気が腕力に及ぼす影響も無視できないのだ。
自分というモノは、理解しているようでいてそうではないのである。
従って、外部の道具の協力で自分の能力を引き出してやらねばならない。
好きな道具に囲まれているだけで嬉しいって感じがある。
私が好きなモノは、どうも女性には不人気な対象なのであるが、対象物をブランド物にでも摩り替えてみれば、その感覚は理解していただけよう。

さて、とまれ、これからドリルスタンド(ハンディ型の電気ドリルを装着して使用するアレである)を購入すべく、ジョイフル本田に行くのである。
5,000円位の道具なのであるが、見つけてから半年くらいになる。
まだあるな、まだあるなと、店を訪れるたびに撫で回していた憧れのマシンが私の所有になるのは時間の問題である。

こういうモノは、大体が、買うまでが楽しいんだよな〜。

2001/07/12

文責:い 70点

No.545

所謂潔癖症とはまるで対極に位置するのが私の性癖なのである。
なのであるが、こと掌の汚れに関してだけは、別物なのである。

例えば、インクで汚れていることは気にしないのだが、こと発汗によるべとべと感は堪えられない。
一日に何度となく手を洗うのである。
これでもかと洗うのである。

食事の直前に手を洗うという習慣は無い。
衛生的な面からの欲求ではないのである。
床に落とした食べ物は、”ふっ”と息を吹きかけて食べるなんてのは茶飯事であるし、どなたかの食べ残しをアサルなんてことも全く平気の平左なのである。

大体、食前に手を洗うと、石鹸の臭いが手についてしまって、香りを重視する私の”食うこと”に対するスタイルにはそぐわない。

だけれども、ひたすら手を洗い続けるのである。
特に、机に向かって何かをしようとする時にこの傾向が強い。

何の事は無い。
高校時代からだと思うのだが、何かから逃げたいというシグナルとして、掌に発汗し、それを理由に机の前から移動して手を洗うという、直面する”厭な事柄”から開放される理由付けを、我本能は求めているらしい。

今日は、只管、そう、ただ一向洗いマクッテイルノデアル。

2001/07/11

文責:い 50点

No.544

今日は、ちと反省を込めて。

筆の流れが、自分の考えを作り出す。
考えていることを纏めて、整理して、書き始める。
そんな訳が無いのである。
書くことと考えを纏めるとが、同時進行である。
結論は、書いているうちに付いてくるものである。

矛盾が生じても構わず書く。
どうせ、常日頃の思考なんて奴は、論理に一貫性など無いのである。
そうやって、一つひとつの問題を解決しているのである。

書きながらの思考は、書き終わったモノを推敲するという作業ができるのである。
どうも自分のスタイルと違うと感じたら、その部分を書き直していると、全く逆の結論に達したりして、誠に良い気分である。

他人に見られているという緊張感は、これで結構奮い立たせの栄養剤になるのである。
ただし、それなりに怖い部分もあって、メールによる批判には、はっとするモノ多しナノデアル。

最初は、まあ複数の人間で書き続けることになるだろうというくらいの雰囲気で始めたのである。
が、勿論一緒に書いてくれるなどという奇特な人間なんぞは存在する訳も無く、こちらはこちらで、書きつづけるのが面白いと感じているので、このままのスタイルで今後も続くのである。

ま、そんな訳で今後も宜しく。

2001/07/10

文責:い 90点

No.543

面倒臭いと窮乏とについて。

面倒臭いと窮乏とが結託して、簡素化された、しかし、後に盛大になる行事が勃興する。

些か馴染まない言葉の組み合わせが、オモシロイのである。
生まれつき貧乏で、積極的な活動を好まない性格であるらしい私は、この境遇と性癖が世界の風習を支えてきたことを知っている。

私の住む地域では、今時(7月)から10月にかけて、だらだらだらだらとお祭りが続くのである。
我家が参加することになる(これは、好んで参加するかどうかではなく、昔から我家を一種の氏子として祭りの構成員であることを余儀なくさせている事情によるのである。個人的には、嫌いではない)祭りだけでも5つばかりある。
内4つは、構成員30軒ばかりの、ほんの土着隣組祭りである。

かつて大化の改新の頃(7世紀半ば)、朝廷が地方支配の拠点として置いたのが、国府である。
そこには、中央(朝廷)から国司が派遣されて、地方政治全般を執り行っていた。
政治の最大関心事は、税金徴収と祭祀とである。
税金の取り立てがきちんと行われるためにも、神の怒りによる災厄を起こさないように、一国の中の神社を祀ることが政治なのである。

ところが、平安時代末になると、国司は中央貴族の権益のみの地位となり、本人が国府に赴任しないで、有力な家来を送り込んだ(これが目代と呼ばれる役人である)。

自分の治めているエリアにある神社全ての祀りをするには、手間と供え物とはともに可也の量となる。
それじゃあ、纏めてしまえってなもので、総社制度を作り出した。
国内を廻って、神事を行う手間を省くのである。
一国内の神々の分霊を集めて、新しく総社という神社に祀ったのである。

で、この総社を祀ることをもって全ての神社の神事を行ったと宣言すれば良いものを、何処か後ろめたかったのであろう。
一国内の最も有力な神社を”一宮”と呼ぶようになり、それに次ぐものを”二宮”、”三宮”として、この辺りまでを国司(目代)が祭祀を行ったのである。

ただし、逆に”一宮””二宮”といった神社にしてみれば、権威とお金とを集中的に与えられたがために、隆盛していくのである。

今日は役所の話をしていないのだけれども、現代の役所という組織の活動を、ここに記載した話に当て嵌めてみると、面白い。
まつりごとを骨抜きにすると、税金徴収だけが生き残り、面倒くさいことはやらなくなるのである。

そう、組織に甘んじる人は、時々がつんとやられないと堕落する宿命なのである。
従って、個人が悪いのではなく、組織が悪いのである。
組織が悪いのだから...

ちとばかり蛇足であった。

2001/07/09

文責:い 70点

No.542

アキレス腱を傷めてしまった。
軽度であるのは間違い無い。
この部位に負荷をかけなければ、全く痛みを感じないし、妙に膨らんだりという風に形状が変わってもいないのである。

しかし、歩行に著しく差障りがある。
マトモに歩けないというのは、日常生活には不便なのである。
空気の例を出すまでも無く、普段さりとも感じない事柄は、一旦緩急ある場合には、誠にもって重大事であることに気付くのである。

気付いても、気付かなかった時に比して、何等良いことは無いのであるが、今後の自分の生活において何か異なった感性で世の中を見るための一助にはなる、と思うのである。

当然の積み重ねが、つまり、数学で言うところの”証明”なのである。
その当然なるモノの根源の事象(例えば、平行線は交わらない、という決まりごと。この決まりごとを否定した世界も”当然”あり得るのであって、実際に数学の世界では、平行線は交わるという前提で一つの体系を作っている)を、自分のポケットにどれだけ詰めておくことが出来るかが勝負である。

辛い生活を送っている人々に対して、自分がどんな反応が出来るかは、その詰め込まれた量に依っている。
可哀想である、で終わりの人もいる。
何かをしてあげよう、の人もいる。
自分と同じじゃないか、と考える人もいる。この人は、同朋相憐れむなのかも知れないし、人の振り見て我振り...なのかもしれない。

斯様に、アキレス腱を傷めてしまうと、自分の人格に影響してくるのである。
従って、アキレス腱を傷めてミルベキナノデアル。
皆さんもご一緒に如何。
紙について様々な業者を当っている。

チラシのデザインを請負ったりしてもいるのであるが、文章を基本に仕事をしているので、画像について素人である。
文字だって一緒なのであるが...
それはサテオキなのであって、最近気付いたことがある。

白地に色(黒白を含めて)で何かを描いていくのが、嫌いになりつつあるのである。
何を言っているのかと言うと、色の着いた紙を使用すると、背景は白地ではないのであるから、不思議な感覚になるのである。

レイヤー(層)という概念で一枚の絵を仕上げるとしよう。
最初の一枚には、白地(透明なキャンバス)に赤で円を描く。
二枚目には、一面を赤で塗りたくる。
最初の一枚を前面に、二枚目を背面にして二枚を重ねると、一枚目のレイヤーの情報(赤色の円)は、何も存在しないかのようである。

実は、二枚目を前面に、最初の一枚を背面にして二枚を重ねても、一枚目のレイヤーの情報は、何も存在しないかのようである。
これはただの馬鹿な行為なのであるが、この現象の示唆するところは誠に興味深い。

政治批判でも、隣の子供の批判でも、昼飯の料理批判でもナンデモヨイのだが、自分の批判眼に、今の例で言えば赤色のサングラスを付けて対象を見つめてはいないかということなのである。

赤外線フィルターとかXレイフィルターとかに替えてみると、違った批評が出来そうな気がするのである。
もちろん、薄ピンクのガラスレンズでも一向に構わない。

12345678×98765432×□を計算しようとして、前2つの計算を終えたときに、□には0が表示されていた時に、あなたはどういう感想を述べるだろうか。

2001/07/06

文責:い 80点

No.539

紙について様々な業者を当っている。

チラシのデザインを請負ったりしてもいるのであるが、文章を基本に仕事をしているので、画像について素人である。
文字だって一緒なのであるが...
それはサテオキなのであって、最近気付いたことがある。

白地に色(黒白を含めて)で何かを描いていくのが、嫌いになりつつあるのである。
何を言っているのかと言うと、色の着いた紙を使用すると、背景は白地ではないのであるから、不思議な感覚になるのである。

レイヤー(層)という概念で一枚の絵を仕上げるとしよう。
最初の一枚には、白地(透明なキャンバス)に赤で円を描く。
二枚目には、一面を赤で塗りたくる。
最初の一枚を前面に、二枚目を背面にして二枚を重ねると、一枚目のレイヤーの情報(赤色の円)は、何も存在しないかのようである。

実は、二枚目を前面に、最初の一枚を背面にして二枚を重ねても、一枚目のレイヤーの情報は、何も存在しないかのようである。
これはただの馬鹿な行為なのであるが、この現象の示唆するところは誠に興味深い。

政治批判でも、隣の子供の批判でも、昼飯の料理批判でもナンデモヨイのだが、自分の批判眼に、今の例で言えば赤色のサングラスを付けて対象を見つめてはいないかということなのである。

赤外線フィルターとかXレイフィルターとかに替えてみると、違った批評が出来そうな気がするのである。
もちろん、薄ピンクのガラスレンズでも一向に構わない。

12345678×98765432×□を計算しようとして、前2つの計算を終えたときに、□には0が表示されていた時に、あなたはどういう感想を述べるだろうか。

2001/07/04

文責:い 80点

No.537

試合数を増やすとトータルの観客数を増大できる。

インフラストラクチャの整備が皆無の状態から、勢いをつけて積極的な公共投資により、例えば高速道路を張り巡らすとしよう。
最初に、この政策からもたらされる果実(社会全体の便益)は大きい。
東名高速道がこの例である。
便益が大きいと考えられるルートを選択するからである。
この意味では、公共投資の国内経済に対する貢献度は大である。

ついでながら書いておく。
国や県といった公共団体の事業費は、GDPに算入される。
支払った金額が、そのまま算入される。

つまり、公共投資がもたらしたGDBの伸びは、そのまま経済指標としての意味を持つ。
しかし、アクアラインという高速道建設という公共投資は、如何であっただろうか。

事業費金額が、GDPに算入されたのは間違い無い。
問題は、このGDPの数値が、この建設をやらなかった場合の数値に比べて大きくなっていることに意味があるかということなのである。

今年、1兆円かけて穴を掘り、来年1兆円かけてその穴を埋める。
今年も来年も、GDPを構成するのである。
民間なら、こんな馬鹿なことはやらないのである。
原価(費用)を投げ打つバカがいても、これを発注する主体が無いから、生産活動にはならないのである。
もちろん、原価を構成する労働や機械リース代などは、他の経済主体の売上を構成するから、GDPに算入される。

つまり、最初の、目的である穴掘りそのものの経済行為が、GDPに算入されるかされないかの問題ナノデアル。

民間ではやれないのではなく、やらないのである。
ケインズ施策は、斯様に今日的ではないのである。

何を書いているのやら...
”試合数を増やすとトータルの観客数を増大できる”が、書き出しなのである。
この話は、可也関係していると思うのだけれども、改める。

常識を超えた暑さであった。
常識とは、私の肉体が07/01の気候として記憶している水準の気温その他のアトモスフィアのこと。

七月の始まりである、というので、今日からトレーニングをするのであると決めていたのである。
12:40自宅をスタート。
殆ど修行の世界であった。

スタート前の話。
この歳で、普段の運動不足を抱えた私としては、若干の不安アリなので、バドミントン部の休日部活から帰宅してちょいと寝転がっていた娘をツカマエテ、一緒に走るという件での交渉をした。

交渉には、相互の給付内容が議題になるのである。
当方の要求は、”一緒に走れ”なのであり、これは既に告げてあるのであるから、相手としては、この一般的な”走れ”の範疇を狭めようと努力するのである。

今日からトレーニングなどとノタマウ私にしてみても、他人との交渉によって、その運動量を小さくすることに余儀なく至ったという経過は好ましいのである。

従って、娘の要求により、本日のトレーニング時間は1時間と決定した。
となると、今度は、私が給付すべき事柄の交渉になるのである。

全く子供だと思っていたのであるが、何時の間にか大きくなったもので、交渉事の現場におけるテクニ−クを身に付けてイヤガルノデアル。

スポーツ用品は、高価過ぎる。
ヨネックスは、特にイカン。

2001/07/02

文責:い 80点

No.535

常識を超えた暑さであった。
常識とは、私の肉体が07/01の気候として記憶している水準の気温その他のアトモスフィアのこと。

七月の始まりである、というので、今日からトレーニングをするのであると決めていたのである。
12:40自宅をスタート。
殆ど修行の世界であった。

スタート前の話。
この歳で、普段の運動不足を抱えた私としては、若干の不安アリなので、バドミントン部の休日部活から帰宅してちょいと寝転がっていた娘をツカマエテ、一緒に走るという件での交渉をした。

交渉には、相互の給付内容が議題になるのである。
当方の要求は、”一緒に走れ”なのであり、これは既に告げてあるのであるから、相手としては、この一般的な”走れ”の範疇を狭めようと努力するのである。

今日からトレーニングなどとノタマウ私にしてみても、他人との交渉によって、その運動量を小さくすることに余儀なく至ったという経過は好ましいのである。

従って、娘の要求により、本日のトレーニング時間は1時間と決定した。
となると、今度は、私が給付すべき事柄の交渉になるのである。

全く子供だと思っていたのであるが、何時の間にか大きくなったもので、交渉事の現場におけるテクニ−クを身に付けてイヤガルノデアル。

スポーツ用品は、高価過ぎる。
ヨネックスは、特にイカン。終わってしまう。
雨も振りやしない6月が、である。

紫陽花が寂しがっている。