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日刊 鬼ノ胃 本日分はこちら
 

2001年06月分(06/01〜

2001/06/30

文責:い 60点

No.534

終わってしまう。
雨も振りやしない6月が、である。

紫陽花が寂しがっている。

2001/06/29

文責:い 70点

No.533

(メルマガの最初にこんなロゴを記載しているのであります)

   ┏┓    ┏┓        ┏┓   
┏┓ ┗┛    ┗┛        ┗┛   
┃┣━┳┳━┳┳━┳┓ ┏━┳━┓  ┏┳━┓  
┃ ┏┫┃ ┃┃┃┃┃ ┃┏┫┃┃  ┃┃┃┃
┃┃┗┫┃┃ ┃┃┃┃ ┃┗┫┃┃ ┏┛┃┃┃
┗┻━┻┻┻━┻━┻┛■┗━┻━┛■┗━┫┏┛


こんなの知ってる人には何てこと無いのだろうけれども、私が知らなかったばかりに利用しなかったのである。
このメルマガの送信には、HTML形式は使用しないで、テキスト形式を使用している。
彩りが寂しいのである。

ところが、URLとメールアドレスの記載には色付けられていることであろう。
通常のメーラー設定ならばの話である。

ということでは、今日のこのメルマガのトップの線二本が色付きの理由が解かったでありましょう(クリックすれば色が変化するでしょう。何度も書きますが、フォントの設定は、プロポーショナルを解除して下さい。未だに、最初に並んでいる記号は何なのかという問い合わせが非常に多いのであります。)。
このように、ちょっと遊べるのであります。

上記の色付き部分をクリックすると、私宛のメールを送るべくメーラーが起動する訳である。
無闇にカラのメールを送られても困るのであるが、ま、これを面白いと思っていただけるかどうか確認したいのである。

さりとて@を囲っての文字列では芸が無いので、今後使用するつもりは無い。

アンダーラインが入るのも、ご愛嬌として欲しい。

ところで、前提としての、”HTML形式は使用しない”がどれほどの読者に意味があるかは知らないけれども、この設定にすることを推奨します。

今日も不思議な内容でありました。

2001/06/28

文責:い 60点

No.532

再認識したのである。

人間の起源を、複数の原人(正確な表現では無いらしいが)に求めて教科書に記載されていた(現在の表現は知らない)。
突然、北京に出現したし、アフリカやジャワの辺りにも出現したのである。

変遷の歴史として、自分のルーツを探りたい願望がある。
これは否定できないにしても、純粋に生物の系統を探索するのに、この願望が邪魔になっている。

進化などしてはいないのである。
変化・変遷のみが存在すると意識に埋め込もうではないか。

個のばらつきと群のばらつきとが、明確に区分できる時、統計的に意味のある事象となるのであろう。
形態が思考に及ぼす影響は無視できないにしても、20年前の私と今日の私とが同一の人間とみなすに充分な特徴というものがあるのか不安なのである。

何を書いているのだろう。
不思議な本日の記載である。
ちと宿酔の度が過ぎたのが理由であることは、皆さんご案内の通りである。
木曜日はこの傾向が強い。規則正しいのである。

2001/06/27

文責:い 90点

No.531

放映権利料(一般に何と称されているかは解からない。例えば、巨人阪神戦野球の放映する権利を取得するための金銭)の相場があるのかないのか知らない。

多分、千葉テレビが中学生の市町村内野球大会を実況放送するとしたときの放映権利料は、限りなく0に近いと思う。
もしかすると、親御さんから”放送してください料”が、入るかもしれないとすら思う。

今、すべての人々が、情報の発信源たらんとしているかのような情況である。
テレビカメラを向けられても、そう緊張することなく、言いたいことが言えているのではないだろうか。

もっとも、放映されているのは、ありのままには違いなくても、編集されているのは間違いないから、映像としての主人公であるものの、情報発信者にはなっていないかもしれない。

私は、映像よりも言語で情報を発信したいという欲求だけで、こんなモノを書いている。
少なくとも、情報を発信したいという気持ちは押さえようが無いのである。
ま、この目立ちたがりは生来のものであるからショウガナイ。

で、何を言いたいのかといったら、こうである。
千葉テレビには、テレビ局としての機材は揃っているのである。
映像を拾い集め、放送するノウハウはあるのである。
残念なことに、視聴者が如何なる映像を欲しがっているのかを知りうる才能の持ち主で、金銭感覚に優れた人材がないと推察させていただくのである。

人材がいないということは、存在するスタッフが幾ら頭を捻ってもロクナ番組はできないということなのである。
俺にやらせろ、と言いたいのをちょっとだけ我慢して考えよう。

先ずは、トップを刷新しなくてはならない。
崇高な理念の無いトップでは、経歴・人柄・人望・集金力のすべてを申し分なく備えていても失格である。

スポンサーによって番組つくりを考えるのではダメだ。
出来上がった番組を観たスポンサーが、契約に乗り出してくるような番組にしなくてはならないのである。

先の中学生の市町村内野球大会の例で話そう。
私の市に来て放映してください、いや、先ず私たちの市に来て下さい。
そんな声に引き寄せられて、機材を抱えて番組つくりに出かけて行くのである。
ライブで放送する必要など全く無い。

そうしてできあがった番組を、誰が視聴するか。
選手たち本人、その親、親類縁者、友達、出身OB。
これだけで充分である。
自社製作番組で生き残るには、こういった草の根で視聴者をすくい上げていくしかないのである。

それでも、この草の根って奴は、侮る無かれなのである。
5000人の視聴者がいたら(それも、常になのである)、千葉テレビとしては成功であろう。
まさか、50万人なんてオーダーを目指して番組制作してはいまい。
逆に、もしそうなら、潰してしまうべきである。

2001/06/26

文責:い 80点

No.530

あの〜、多分止した方が良いと思うんですけど。

自民党の県議の質問。
知事選や県議選の開票速報をより充実させるため、県がスポンサーになったらどうか。

千葉県知事の答弁。
私は放送業界に30年いた。県民に親しまれる番組作りへ、要請があればアドバイスしたい。

千葉テレビを想定しての問答である。

知事は、筆頭株主であるから、経営に口を出すのは当然許されるのである。
しかし、30年の経験が、今まさに通用しなくなっているのが今日の社会なのである。
だから、現知事は知事になることができたのである。
許された権利を放棄する。
これは見識である。
放送業界に対して、口出しは止してもらいたい。

もっとも、この質問は、千葉テレビ側からの要請に依るものであろうことは想像に難くない。
まあ、これは良い。
魅力無い番組しか制作できない体制を敷いたトップの考えそうなことである。

魅力無い番組というのは、自社製作番組についてのこと。
他局からの買い入れ番組の選定は、刮目に値する。
ただし、最近メジャーではないスポーツに目をくれなくなったのは嘆かわしい。
千葉テレビの視聴率を想像すれば(低いという意味である)、視聴対象を狭く限定して番組つくりをすることが可能であろう。

ところで、ことこの問答において笑ってしまうのは、”県がスポンサーになったらどうか”という問いかけそのものである。
これを人間の言葉で言えば、”補助金を千葉テレビに差し上げて、偏った報道をさせよう”、なのである。
政治家の権益については、触れないでおく。

県が筆頭株主になった経緯自体がオカシイのに、県民にとって、更に税金を注ぎ込む理由が無い。
県議選の選挙速報など、つまり”速報”のことなのだが、ごく普通の県民にとって必要無いのである。

この項、個人的に面白いテーマであるから、明日に続けることにする。

そうそう、ヤッパリ、”ちゅらさん”から目が離せない気がしてきたでしょう。

2001/06/25

文責:い 80点

No.529

今週は、”ちゅらさん”から目が離せない。
エリちゃんがそう言っていたからだけでは決してなく、今週はある種山場である。

ゴーヤマン人形の時には、制作の人達を好きになれない気がしていたのであるが、エリちゃんは元気であり、この主人公を演じる役者でドラマが持っている。
最近では、不思議な番組である。

”虹色の時”(近来、記憶力が可也低下している。”虹色のとき”あるいは、”虹いろの時”だったかもしれない。さんまの元嫁さんが主人公を演じ、長野が舞台であった、もう30年近く前の同じ朝連テレビ小説である。)以来の感じがする。
話を複雑にしていないのが良い。

あの時にも、弟が重要な役割を演じていた。
”松本三本松”高校に通う弟であった。
上から読んでも、下から読んでも、”松本三本松”と、挨拶するセリフが、今だ頭から離れない。

今回の弟は、少し前、”三番目の小夜子”に出演していた時に、摩訶不思議な魅力を持っていると注目していたのである。
そういえば、ポカリスウェットのCMに出ている少女が主役であったのであるが、この娘と今回のエリちゃんとは、雰囲気が非常に良く似ている。
簡単に言えば、私好みの役者なのである。

とにかく、今週の”ちゅらさん”は、一日たりとも見逃してはならないのである。

2001/06/22

文責:い 80点

No.526

テレビのニュース番組でちらと聞いただけなので、詳細は解からないが、こんなことを報道していた。
最近の高校生の敬語に関する知識レベルは、非常に低い。

確かにこれじゃあと思わせるインタビューの模様も、映し出されていたのである。
ただし、”高校生の敬語に関する知識レベルは、非常に低い”のは近頃の流行ではない。

”50歳前後の人々の敬語に関する知識レベルは、非常に低い”と書いても、”70歳前後の人々の敬語に関する知識レベルは、非常に低い”、あるいは、”30歳前後の人々の敬語に関する知識レベルは、非常に低い”と書いても、皆、真であろう。

敬語には3種類ある。その三つを言ってみろ、などという質問に対する答えのひねり出しに、奮闘する手合いも映像になっていて、なかなか面白かった。
この3種類が言えることと、敬語の知識の豊富さとは、比例しないであろう。
まして、敬語使いの実践には、その知識すら役を足さないであろう。

私なんぞは、はっきり言って、いやみを言う時くらいしか敬語を意識しない。
自分を謙らないし、相手を尊敬しないし、決して丁寧ではないのである。

警視庁調布警察署交通捜査係の書いたチラシを披露しよう。
たまたま出先で拝見したのである。

”2/8午後5時50分頃、仙川駅周辺でワンボックス車が逃走するひき逃げ事故がありました。
この事故を目撃した方がおりましたら、警察に連絡してください。”

明治以来の伝統なのであろう。
流石に他の官庁では使うのを躊躇うであろうが、おまわりさんは、こう書くことができる。
私がこの文章を読んで、警察発行の文章らしさを感じさせていただけるのも、この一言である。
”おりましたら”

こうなれば、これは一つの文化なのであるから、今後とも、間違っても”いらっしゃいましたら”などという表現に改めたりはしないよう、愚かなる市民である我々は、嘆願書を送らせていただこうではないか。

2001/06/19

文責:い 90点

No.523

みなさんは自由に住むところを変えられるとしたら、どこに住みたいですか。

こんな質問をされたら、ひょいと口を滑らさないだろうか。
”〇〇市”なんてね。
私なんか、即座に”袖ヶ浦市”と答えるところである。

この質問は、微妙な問題を孕んでいる。
この質問の裏には、隠れた意味がある。
現在の場所から、出て行きたいんですね、という酷な質問なのである。
アンケートの誘導質問排除は、難しい。

また、その住みたい理由は何ですか。

続けてこんな質問が待ち受けている。
答えられっこないでしょう。
無視すると、有効回答率を落とすだけである。
アンケートの仕方が悪いとは報道されないのである。

さて、投票率なのであるが、立候補者と政見とをアンケートの質問に置き換えてみよう。
出来の悪い質問には答えられないのは当然である。

決して政治に無関心なのではない。

2001/06/18

文責:い 80点

No.522

全国でペースメーカーを使っている人は30万人いると聞く。
危うく”30万人も”と書くところであった。

で、ここから、医療産業について喋ろうかと思っていたのだが、ふとした切っ掛けで(もちろん一部触れようとは想定してはいたのであるが)、携帯電話の話題にするのである。

知らなかったのである。
本当に困ったことなのであるが、目に見えないモノに関して、想像力が及ばないのである。
具体的にイメージできないから、その道の方にどう言われても、納得した振りをしているだけなのである。
それは、実は今も変わらないのである。

しかし、どうやら危険らしいのである。
いかに便利な道具でも、それが秘める危険性から目を背けるわけにはいかない筈なのではあるが、ここまで書いてもまだ納得していないのである。

病院内で携帯電話を使用するのは憚られる。
しかし、電源を切らないのである。
少なくとも着信履歴を残したいので、マナーモードにしておきはするが、電源は入ったままなのだ。
まま、着信があったりする訳で、その時には急いで室外に出てこちらから掛け直すのである。

使用を憚られるのは、対人関係(自分はマナーを守っていますという主張)を気にしているだけなのであって、実態は恥の垂流しなのである。

飛行機の計器に異常をきたし、えっと考えさせられるほどの頻度で、クルーが慌てる事態が発生していると聞く。
乗客の携帯電話の電源を落とす依頼をすることで、直ちに正常に戻るのだそうである。
これだけのことでは単なる状況証拠なのだが、どうやら因果関係を認めないわけにはいかないらしい。

逆に考えれば、機内放送で、あなたを含めた乗客に対して、唐突に携帯電話の使用禁止を案内するときには、あなたの乗っている飛行機は、かなり危険な情況にあると考えて良い。

携帯電話の一層の普及は国策である。
したがって、ネガティブな報道は”自粛”させられている節がある。
だけれども、こと飛行機に限って言えば、このエレクトリックウェイブに対する防護策は速やかに装備すべきである。

ペースメーカーに関しては、技術的に、経済的に困難さを伴なうと思うし、これを装着した人々の権利の問題が絡むから、考えが纏まらない。
しかし、飛行機に関しては遣り様はあるのである。
現在の基準での携帯電話の一層の普及促進に対する否定的な報道を、規制することだけは止めて貰いたい。

私は、偶にしか乗らない飛行機に、たまたま乗ったときに、原因が携帯電話で死にたくは無いのである。
地震に遭遇してしまった時には止むを得ないと諦めるが、飛行機の場合には諦めきれないのである。多分。

2001/06/15

文責:い 20点

No.519

今日は千葉県民の日。

日刊きのいの内容を、祝日扱いにするかどうか迷ったのである。
当然楽なほうを選択するのが私の主義であるから、(本来は迷うまでも無く)祝日扱いなのである。

しかし、 日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”は使えない。
困った。
気分は既に休日なのである。

こんな日があってもイイッスヨネ。

”鬼ノ胃の大あくび”も休刊日扱いなのである。
今日の気合は
20点。

ははは。

2001/06/14

文責:い 70点

No.518

木曜日は、慶弔問題ナノデアル。
”日刊鬼ノ胃”単独の読者には、一様に、何が何だか一向に解からないのである。

要するに、木曜日には、軽佻浮薄にして成長する正調慶弔論を敬重すべき読者諸兄に清聴頂いております。
整腸剤は不要であります。

公孫樹(”いちょう”と読みます。振り仮名は、”イテフ”と付ける。)は、植物の種類を指し、銀杏はその種のことを指しているのである。

異朝は外国のことであり、移調と変調との違いは未だ解からない。
一張羅は私の持ち服を指し、イ調はA音主流音階である。
こんな言い回しは、一朝一夕には出来ないのであり、辞書の世話になるのは勿論である。

季節が変わる度に、そして、飲みすぎる度に、こんな文章になってしまうのであるのではあるが、何故か今日は嬉しくて仕方が無いので、こんなことを書いているのであって、狂ってしまった訳ではない。

ここのところ愚痴っぽいことしか書いていない。
当地域も、ホンモノの梅雨に入り込んだ模様である。
この鬱陶しい時季を爽やかに乗り切るためにも、明日からの展開に期待して頂いて、本日終了。

2001/06/13

文責:い 80点

No.517

ドコモには、”eビリング”というサービスがある。

毎月の請求額の案内を、郵便ではなく、iモードもしくはインターネット(こうやって二つを区別できるのかどうかは難しい判断だと思う。この二つは、異なる範疇の用語であろう。)で知らせて貰うことで、翌月以降、基本使用料が100円割引されるのである。

口座振替で料金を支払っている方に限るということではあるが、この手の割引は都合が良い。
家族割引のようにもっと極端な割引率にすべきだと思っている。
これは検討の余地があるっしょ。

家庭電話の場合、市内・市外などの区分があって、当然のように遠方に(地理的な距離)かけるほど高い通話料金を支払わねばならないシステムである。

ところが、”当然”ではないのである。
誰かが隣の家の電話にかけるとき、ホットな(使用される)ラインは、場合によっては青森県経由であったり、福井県経由であったりするのである。
少なくとも、この二軒の間にある電話線だけを使用して繋がっているとは誰も考えはしないであろう。

その通りなのである。
通信事業会社の料金体系は、その根本に欺瞞がある。
新規参入なんてそう誰でも出来る訳ではないので、ある種馴れ合いの中で喧嘩(競争)しているのである。

ブレイクしてくれるのは、無線の電話システムしかないと考えているのであるが、これから更に電波の真昼状態に拍車をかけることになると思うと頭が痛い。

電波望遠鏡での観測に、邪魔になるじゃないか。

2001/06/12

文責:い 80点

No.516

対ジャイアンツ戦のチケットが、金券ショップで売れ残るという。
嘗ての”プラチナ”は、ゴミになるのである。

チケットといえば、最近、ネットでのオークションが流行している。
チケットを入手すべくネットオークションに参加した場合、定価以外での売買はダフ屋行為にあたり、違法なのではないのか。
こんな疑問は無いか?
もっとも、買い方が法に触れるかどうかの問題は別にしよう。

ダフ屋行為は、一般に都道府県の条例によって取り締まられている。
しかし、例えば、東京都条例では、”街頭など公共の場での転売”と規定されているため、ネットオークション等には適用されない。

ところが、こ物価統制令という法律を適用できないかが警視庁等で検討されているらしい。

この物価統制令は、終戦後の物資不足の頃に、生活必需品の買占めや暴利行為を禁じるべく制定された、法律である。

ただ、この法律を適用するにあたっては、チケットのような個人の趣味の領域に属する商品が生活必需品といえるか等の問題があり、まだ課題が残されているとのことで、現在取締りを行うには無理があるとの見解が主流だという。

したがって、現時点では、法的規制には触れない。

この話を読んで、恐ろしくないだろうか。
何処にどんな法律があるのかわかったもんじゃないのである。
別件でパクり、官憲が本来想定した犯罪事実が無かった時、威信にかけて、その別件で処罰しようとする危険性はあるのである。

こちらに用意されている回避手段は、入院のみである。
これは、事前に別件逮捕が解かっているときのみであり、かつ、充分な入院費用を負担できる財を持っている方のみが利用できるに過ぎない。

つまるところ、我々には、官憲のなすがままにされるしかない。

2001/06/11

文責:い 80点

No.515

谷川浩司が呟く。
”こんな事で良いのか。”

現在彼は、雑誌”将棋世界”の”詰将棋サロン”を受け持っているのである。
詰将棋には、余詰という魔物が常に潜んでいて、作者・選者を悩ませる。

現在市販されている将棋ソフトは、その殆どが詰将棋を解く。
この能力たるや、最早凄まじいの一言である。

谷川曰く、
”(選者として雑誌掲載予定の詰将棋に余詰があることを編集部に指摘されて)あまりにも簡単な余詰だったので、さすがに自信を失くして、そこで購入することにしたのが「柿木将棋X」”

このソフトにかかると、別に予定していた選題も、次々と余詰を発見してくれたという。

そこで冒頭の言葉。
”もちろん対局で忙しい身には心強い味方だが、こんな事で良いのか____。複雑な気持ちで、今月もパソコンに向かっている。”

コンピュータが、人間の棋士を超えたか、とかいう問題を嘆いているのではないのである。

我々は、道具を使いこなすことを知っている。
優れた道具を製作する職人の業に感動することも知っている。
ただ、あまりに生身の身体一つで勝負する世界に生きる男の感慨には、入り込む余地は無いのかもしれないのであるが、実は、我々一般人も、心底では同じ問題を抱えているのかもしれない。

1時間幾らの世界で働いていても、1個幾らの世界で働いていても、何か感動を与えてくれるモノに対する欲望は尽きない。
自分の仕事に対して、生活だけのためではないという部分を大事にして暮らしていきたいのである。

2001/06/10

文責:い 80点

No.514

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

毎日見ているから、良く解かる。
毎日は見ていないから、よく解かる。

どちらも、正しいのであろう。

端的な例では、自分の子供と他人の子供との成長振り。

自分の性格なんてモノも該当しそうである。

2001/06/09

文責:い 60点

No.513

”ジュンブライド”っていうからには、結婚式が数多く行なわれる月間なんだろうと思っているのだけれども、今月は結婚式出席予定が一つも無い。

懐具合を考えると(これは、大変不謹慎な物言いナノデアルが)、不都合は無いのであるが、何か寂しい。

もちろん結婚の話ではないが、最近、新しい出会いが少ない。
自分の側に責任があるのは承知しているものの、世の中の動きが、こもりがちの個人を作り出している面も否定できないであろう。

出会い系サイト。
使っちゃいたくなるんだろうな、きっと。

2001/06/08

文責:い 60点

No.512

(1)あなたの年令は10歳から65歳までである。
(2)あなたには、高血圧(160mmHg以上)又は低血圧(100mmHg以下)が認められないし、又、圧縮差は、20mmHg以上である。
(3)あなたは、尿検査で蛋白、糖がマイナスである。
(4)あなたは、不整脈がなく、脈拍数が90以下である。
(5)あなたは、心臓、肺、内臓等に欠陥が認められない。

以上の条件を満たし、120万円(4名以内)の費用を工面できるならば、微小重力飛行体験が出来る。

微小重力飛行を実施する実験空域までの往復に約1時間を要するため、1回当り約2時間の飛行となり、約10回の微小重力体験が可能である。

興味があったら、下記のダイヤモンドエアサービス株式会社に問い合わせると良い。
愛知県西春日井郡豊山町(三菱重工業株式会社 名航小牧南工場内)
電話0568−29−0020

ただし、航空局には、訳の解からない許可基準がある。
一般者に対する有償体験飛行は許可をしないのである。
微小重力実験者(研究者)には許可を与え、もう一つは、(笑ってしまうのであるが)懸賞等のプレゼントとして企画して人間を揃えれば許可するという。

当社は、定款の事業目的に”イベント企画”も入っている。
御用の節には、気軽に声を掛けてください。
豊山町までの各種交通機関も手配いたします。

微小重力飛行体験。
やってみたいんだな〜、これが。

2001/06/07

文責:い 80点

No.511

おいおい、困ったことである。
久しぶりに家に帰ると(こういう書き方は、大いに誤解を招く。深く説明しないが、この表現は間違ってはいないから、流す。つまり、イエローカードは無用である)、一本のビデオテープがある。

NHKBS恒例の”フォーク大全集”なのである。
この日(06/06)が、第三夜であるらしい。

何年ぶりなのだろうか。
今までの経験からすると、一夜目、二夜目までが面白いのである。
まあ良い。早速観ることにしたのである。

坂崎・まりちゃんの司会に、なぎらが絡んでいる。
そう、これである。
高田渡がいないということは、矢張り第三夜なのであろう。
それでも、”生活の柄”を、なぎらのカントリー調で聴く事が出来たから、それなりに良かったのである。

紙ふうせんとハイファイセットの共演(これを、世に、”赤い鳥”というのであるのであるのだけれど...)の”翼を下さい”も久しぶり。

ビデオ出演者の、1970年代映像を観ていて、感じたことがある。
私には、例えば小田、例えば遠藤の年齢を知っているし、高校生くらいの時の映像であるし、何度も観ている気がする映像でもあるので、今日日的(きょうびてき)には、こいつ等若いなどとは思わずに、いわば、お兄ちゃんの映像なのである。

どう考えても、今の私より若いのだけれども、そうは思えない。
強盗事件などで、”逃亡する犯人の年齢は30歳前後”なんてやっているが、私にはあの年齢推定はできない。

もっとも、私が犯人で、逃亡しているとして、手配書には何歳くらいと書き込まれるのであろうか。
老いの兆候が次第次第に自覚されてきているのである。
妙に体のことが気になって、元気が出てこない。

唐突に聞こえるかもしれない。
協会関係者は、今日までの歴史を知りすぎている。
対戦相手がブラジルだろうとフランスだろうと、関係無いのである。
自分の中にコンプレックスを持っているからなのである。
(have an inferiority complex)

今の若い子なんぞは、こんなもの関係無いのである。
ただし、私は、そんな無頓着さを好きになれない。
伝統なんてモノに、無性に愛着があるのである。

2001/06/06

文責:い 70点

No.510

北極での残念な死に感じた。

青森歩兵第5連隊が、明治35年八甲田山へ耐寒訓練に出発した。
結果、199名の死者が出たのである。

これが、訓練であったから、此処まで語り継がれたのであろう。
付け加えれば、国内で行われた訓練であったから。

プランをたてるとき、事故とか予想外の出来事を想定しない。
左程困難を要する訓練だとは、誰も思っていなかったのだろう。
物事が順調に進むことを前提として、プランをたてようとするものである。

プランをたてるときは、必ず最悪の事態を念頭におく必要がある。
1行程ごとに、ありうる事故とかミスを想定し、その場合の対策をつけ加えておく。
こうすれば、たとえ突発事故が起こってもあわてずに、調整をするだけで済む。
プランはいつも多角的な設定をしようということである。

ただし、問題なのは、当初設計どおりにことが運んだ時には、全ては無駄になる。
個人ベースの話としては、こんなことまで想定していたのか、なんて笑い話で済むことになる。

しかし、企業ベースの話となれば、担当者は、そもそも予算獲得が出来ずにこのプランそのものがオシャカとなる事が多いだろう。
官庁ベースの話としよう。
闇雲に人間を動員するに違いない。
プランの検討にも、実施の際にも、である。
この場合、内部の人間に要する費用は、このプランの実行予算とは関係無いのである。

費用効果の判断を謳うならば、効果の評価基準の確認の前に、費用項目の決定が先である。
例えば、市長が参加するイベントには、市長の人件費も公用車維持費用も全てコストとして認定すべきである。

2001/06/05

文責:い 90点

No.509

ここ数回の火曜日の本稿を読み直すと、気合の入っていないことが多い。
魔の火曜日なのである。
で、今日も気合の無い文章でお茶を濁そうかという判断も成り立つのである。

我”きのいコーポレーション”は、燻製事業部を発足させることにした。
姫路にある”尾上製作所”と組んで、ベーコンや燻製ポテトといった炙り製品を試作している。

念のために言っておくが、尾上製作所は、この件について何も知らないはずである。
当社が安売り店で燻製器を購入しただけの話なのである。

商品名”いぶしくん”なのである。
説明書きによれば、”スーパーいぶしくん”もあるのだけれども、私の”いぶしくん”の性能は充分に満足行くものなので、これを”スーパー”してしまうと、多分不満な点が多いと推測される。

ただし、改良を施さねばならないと感じた点も幾つかある。
この幾点かの要改良点は、”スーパーいぶしくん”に添加された機能とは全く異なる点であるから、”スーパーいぶしくん”の存在価値に疑問を持つのである。

当社が改良した”いぶしくん改”は”いぶしくんスーパー”という名称を用意しているのである。
販売予定は当面無いので、商標についての争いは発生しないと考えているが、”いぶしくん正(イブシクンセイ)”という名称も気に入っているので、二つを商標登録するつもり....は、勿論無い。
登録料が高すぎるのである。

特許・商標などといった特許庁の扱い品目は、費用が高価すぎると思う。
兎に角届け出制にしておいて、争う時だけ当事者で勝手にやってもらう方式で良いのではないか。

前に、企業に対する補助金を社会保険労務士が搾取することについての不満を書いた。
零細企業の特許申請システムも、同様なことが言える。
特許事務所などを専門家というのは、言葉の綾であって、申請の主体はあくまで申請したいと考えた個人なのである。

ついでに書いてしまえば、税務申告の申告書に”税理士署名押印”欄が印刷されているのもオカシイし、職安に提出する各種届出書に社会保険労務士の”名称・所在地”欄が印刷されているのもオカシイのである。

最初は、ちょこっとその道に明るいことが世間に知れていて、”頼むよ、ちょっと見てみて”なんて依頼をされたときに、”良いよ””じゃ、一杯奢るからさ”なんて会話を付け加えていただけだったのであろう。

やがて、その道で生計を立てようなんて考えたのである。
申告書を受け付ける官庁の方でも、こういった人々からの申告書の方が誤りが少なかったりして楽なのであろう。
遂には、”専門家”に特典を与えるに至るのである。

公務員が楽をしてはならないのである。
今日もこの結論に持ってくることが出来たので、終わりにするのである。

ベーコンは美味いのである。

2001/06/04

文責:い 80点

No.508

±5%の誤差。
これの意味するところについて。

計測の結果、1000mmという長さが表示され、±5%の誤差ありと注記されたとしよう。

”950mm〜1050mmの間の数値を想定してくれ”と、訴えているはずなのである。

では、この±5%の誤差で測定された1000mmの長さを基準(これを、1hennataniとしよう。通常は、これを1mと称す訳である)にしたモノサシ棒を製作して、マラソンコースを設計するのである。

42195hennataniのルートを決定するというこの試みは、上手くいくだろうか。

話はこれで終わりである。

陸上競技場のランク付けは存在するらしいのだけれども、マラソンコースにも必要だろう。
ま、いずれも正確なところ、世界最高記録には意味が無いということになろう。

そこへ行くと、スキーの回転競技は、秒のコンマ3位くらいまで測定しているが、兎に角同じ場所で速さを争うことに徹底している。
サッカーなどの球技も、イコールコンデションと称してサイドを入れ替えたりしている。
イコールではないのだけれどもイコールなのである。
風上有利などという推測は、本当は間違いなのであるから、イコールなのである。

時間との戦いよりも、同時に同じ場所での人間の競り合いに魅力を感じる。
この意味では、スキーの回転競技は面白くない。
アレだけ機械で武装していても、モーターレースには、ワクワクする。

2001/06/03

文責:い 80点

No.507

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

入梅直前の快晴。
まさに夏である。

この日を遊ぼうと考えるのか、外仕事をしようと考えるのか。
家庭での外仕事を、遊びとして認識してしまえばよいのである。

そんな生き方をする人が増えているような気がする。
観光地で生計を立てている人々には打撃であろう。

2001/06/02

文責:い 70点

No.506

面白いセールスマンが来た。

面白い商品を持っていたし、喋りを聞くだけでもお金を払わなくてはと思わせる話術を持っていた。

当方としては、”お金がありません”という理由でしか、断る理由が無い。
しかし、この理由は完璧無比なのであるから、結論から言えば、このセールスマンは無能である。

セールスマンの持つべき資質の第一は、相手が払えるお金を持っているかを嗅ぎ分けることである。
こう認識して私は納得しているのである。

2001/06/01

文責:い 70点

No.505

天気の悪い日が多いこの季節になると、無性に星が見たくなる。
我儘かつ天邪鬼の面目躍如である。
見たいという欲望は、隠されれば隠されるほど募るのである。
ましてや、モザイクのように理論的に可逆性のある隠蔽は腹立たしい。ナンノコッチャ。

CG技術の革命的な発展により、ホンモノとは何かという次元の映像が目の前に提示される機会も増えている。
話50%(半分)、映像90%である。勿論90%割り引けの意である。

”写真は嘘をつかない”も、今は昔。
写真の定義をはっきりさせておかないと、混乱に輪をかける。
UFO写真の鑑定で、”これは合成写真ではない”とか聞かされるが、あの鑑定人たちの判断の根拠は一体ナンナノダ。

好きな星達は大勢いるのだが、木星はその中の一つである。
恒星と惑星との区別は、大いに必要である。
木星のような惑星って奴は、私が自由に出来るお手軽望遠鏡でも面積を意識できるのである。

念のために言っておくと、恒星は何処まで行っても(つまり、現在考えられる最大の巨額の費用をつぎ込んで作製した望遠鏡を使っても)点である。
太陽という身近な恒星は、唯一例外である。

しかし、面積を意識できるという意味では、星の集団は該当する。
星雲(最近では、銀河と称す)の美しさも好ましい。
が、若い星達の集団である星団の、無数の点で構成された姿にはただただうっとりする。

雲に隠れた月こそが...などと秋にノタマウのは、確かに趣があるが、この季節にはそぐわない。
嗚呼、今日こそ晴れてオクレ。
雲間さえあらば、シーイングの悪さに負けずに覗きまくるのである。