日刊 鬼ノ胃 本日分はこちら |
2001年02月分(02/01〜02/28)
2001/02/28 |
文責:い 50点 |
No.415 |
2001/02/01日刊鬼ノ胃No.388にて記載した内容。 −−−−−−−−−−−−− いまだ電力会社からの説明がないのは困ったものだが、面白くないことがある。 上記連続停電の前に、数分間隔で二度ほど短時間停電があった。 どうやらこれが、長時間電気の供給を断つ合図として、電力会社が発生させた停電らしいのである。 −−−−−−−−−−−−− (ここまでをAとする。) −−−−−−−−−−−−− 当市内に火力発電所が誕生してからは、めっきり減った。 喜ばしいことである。因果関係があるのか無いのかは知らないけど。 −−−−−−−−−−−−− (ここまでをBとする。) これらに対して、知人からの投書あり。 お名前は伏せるが、電力会社の方である(ただし、彼曰く、プレス対応でないものが情報を発信してはいけないのですが、とりあえず、個人的情報としてお知らせいたします、との添え書きアリ)。 念のためであるが、私には、電力会社に勤務する知人は複数存在することを報告しておく。 −−−−−−−−−−−−− 停電では大変ご迷惑をかけました。 ...中略... 今回の停電の真の原因は、...中略...、情報として流れてきません。 したがって完全な解明になっていないことをお許し下さい。 これ(註:鬼ノ胃記載のAの件)は違うと思います。停電のお知らせを短時間停電で行うことはありません。 電気の事故は一過性のことが多いので、「一度電気を切って再度入れて見る。」 ということを自動的に行うようになっています。 このため短時間停電が発生するものです。 これを我々の世界では再閉路と呼んでいます。 実際には以下のようなものです。(想定ですが) 雪で樹木が垂れ下がった→電線に触る→一度切る→再閉路→また雪が→再び遮断→再閉路→再閉路失敗→最終遮断 まあ短時間停電があるということは危ない状態にあるということには変わりがないのでお知らせしているとも言えるのかもしれませんね。 (註:鬼ノ胃記載のBの件について)因果関係は全くありません。富津火力の電気は佐原の変電所に送られています。 したがってこの地域の安定度には直接的に寄与していません。 もちろん全体としては大きく寄与しています。 −−−−−−−−−−−−− この投書は、2001/02/02に頂戴した。 今日現在、いまだ電力会社からの公式説明がないので、2月中にけじめをつける意味で掲載することとした。 |
2001/02/27 |
文責:い 90点 |
No.414 |
アリストテレス(紀元前384〜322年)は、古代ギリシャの哲学者という分類だけれども、私にとってはむしろ、彼は自然科学者であるというイメージが強い。 森羅万象の哲学に、自然科学を対比させるのも何ではありますが... 余計なことですが、私の頭の中では、哲学者というと、”古い寺を巡礼”している和辻のオッサンを思い浮かべている所為だと思うのであります。 彼は言う。 物質は、土・水・空気・火の4元素に、熱・冷・乾・湿が関係して成り立っている。 この説のお蔭で、その後ず〜っと錬金術士が活躍するのである。 天体の運動は、地球のまわりを55個の天球(星ではない)が回転している。 この説は、プトレマイオスの天動説に引き継がれ、これまた、その後ず〜っと。 落下運動では重い物が速く、軽い物が遅く落ちる。 これまた、ガリレイの実験があんなにも有名になるほど、その後ず〜っと。 約500種類の動物を、いくつかのグループに分けて表に纏めている。 当時イルカやクジラは魚類であると考えられていたが、それらを他の哺乳類と同じグループに分類した(その根拠は、肺で呼吸し胎生であることのみ)。 今の分類と基本的に合致する。 ここまで見て、もちろん、彼の業績は上記で全てではないが、アリストテレスの偉大さって何?、という疑問が湧かないだろうか。 ”その後ず〜っと”と記載した”ず〜っと”という期間は、千年という長きにわたるのである。 この間彼の説は、生まれては死んでいく多くの人々の常識として存続していったのである。 その説は、誤っているものが多かった(現在の常識とは異なるという意味)のである。 しかし、科学する心と手法とには、彼の偉大さを現在でも認めることのできるモノが存在するのであろう。 逆説的に言えば、アリストテレスが提唱した学説の誤りを正すために新しい自然科学がスタートし、発達したと言ってしまっても良い。 ....デモナイカ。 4つの説を紹介したが、初めから3つは誤りらしい。 最後の四つ目は、単純に分類の問題だから、どうでも良いのである。 動物の系統図という奴は、どうしても”人類”を進化の頂点に据えたいがための分類図だから、妙な研究だと考えているのである。 白色か黒色か黄色かによって優劣の分類をする集団の根底に流れている思想(私は、これが動物の系統図を作ろうとする人々の源流だと考える)は、もう止めにしてもらいたい。 |
2001/02/26 |
文責:い 80点 |
No.413 |
現役スッチーの日記帳-- http://www.f55.co.jp--(このスッチーという名詞が生きているのかどうかは知らないが、そう表示されていた)から抜粋して引用する(02/07の記載分)。 ”どこの国だったか思い出せないのだけど、ヨーロッパのトイレ、駅の公衆トイレなんですが、ブルーライト一色なのご存知の方いらっしゃいます? 先輩と駅でフラフラしてたときに発見したのですが、「気持ち悪いトイレですねー」っていってたんです。中にいた人に、なぜか聞いてみたくなって聞いたら、麻薬予防だって言うんですね。 どういうことかっていうと、ブルーライトだと腕の静脈が見えないから注射うつことができなくなるっていうんです。なるほどーって、感心しました。 確かに、麻薬が多い国なんかでは、麻薬をめぐって犯罪や感染症が起きないように夜になったら駅前で注射針とか配ってるって話も聞いたことがあります。” こちらも少し前のことになるが、千葉日報(02/17)の4面に、ベルリン15日共同発の小さな記事。 ”ドイツ政府当局者は15日、狂牛病汚染の拡大に伴ない同国で大量に処分される牛肉の供与を、朝鮮民主主義人民共和国が打診してきたことを明らかにした。 ...中略... (この打診に対して--鬼ノ胃加筆)ドイツ政府で検討している。” 以下略。 ドイツ政府は、一体何を検討しているのであろうか。 私は、この二つの話に得体の知れない不安を抱いたのであるが、その”得体”が何なのかが解からずにいることに苛立ちながら、かつ、震えているのである。 今日は、マイナーな話を掲げただけで、自分の意見表明ができないままにて終了。 |
2001/02/25 |
文責:い 90点 |
No.412 |
日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。
戦略と戦術 |
2001/02/24 |
文責:い 80点 |
No.411 |
なかなかレポートを書いてくれない京都支局滞在の三上支局員(♂)なのである。 しかし、彼のお蔭で、京都に陣地があると思うと、ついつい何時でも行けるわいと、京都にある様々なお寺や旧跡、そして、新しい施設を訪れる予定を頭の中で組み立てている。 先日、華厳寺(通称鈴虫寺)に行ってきたばかりの人の発言に出会った。 お寺の中で鈴虫が鳴いていた。一回に200人を入れてお坊さん自らが由来等の説明をされます。 観光寺院ではありませんとは言いながら、すごい行列のお寺でした。 500円(拝観料)×200(1回に入れる人数)×30回?(一日) お坊さんの説明もお札やお守りの値段のことばかり・・・ 坊主丸儲け・・商売熱心すぎるお寺でした。 数えてみれば、もう15年も鈴虫寺に行っていないのだ。 嘗てはそんなことも無かったと記憶する(嘗てはそんなことがあったとは記憶しない)。 それが今、こんなに楽しいお寺になっていたとは。 その坊さんがいるうちに、急いで観に行かねばなるまい。 |
2001/02/23 |
文責:い 70点 |
No.410 |
今日は、少しばかり当社配信のメールマガジン”鬼ノ胃の大あくび”のPRをすることになる。 ”日刊鬼ノ胃”の読者であるK氏から、初めてのメールが入った。 ありがたいことに、彼は随分前から(とは言っても、400号程度であるから、最長の方でもまだ一年と少しばかりではあるが)付き合ってくださっているとの事である。 ”最近、ゴミの話が登場しないが、どうしたのか?”という内容であった。 彼は、 http://www.kinoi.co.jp/dailykinoi/today.htm をブックマークしてくれていて、我HPのトップページを経由せずに、”日刊鬼ノ胃”の本日分のページに入ってきて、この駄文を読んでくれているのだという。 これは、別に特殊なインターネット利用法でもなんでもないのだけれども、HP制作者・運営者にとっては、結構盲点を衝いているのではないかと思うのである。 私自身、よく訪問するサイトへは、トップページを経由することなく侵入、ではなくて、進入する。 しかし、HP制作者・運営者である私は、 http://www.kinoi.co.jp/ から、皆さんがそれぞれのコンテンツサイトに入ってきてくれることを前提にして制作・運営をしていることに気付いたのである。 当然毎日のログ解析(それほど大層なものではないが)によって、承知していることなのだけれども...なのである。 これに気付いたからどうするのだ、は、これからの課題であるし、まあ置いておくとしよう。 ”火曜日は、ゴミの問題である”のコーナーを”鬼ノ胃の大あくび”で展開するようになった今年からは、このゴミの話題を”日刊鬼ノ胃”では取り上げなくなっているのである。 これでK氏と同様の疑問が解消した皆さんには、メールマガジン”鬼ノ胃の大あくび”の購読をお願いする。 配信依頼メール1本送りつけるだけで、明日からの充実したメルマガ受信を約束されるのである(充実とは、受信メールフォルダが膨れていく様を形容している)。 HP上のコンテンツが寂しいのである。 というか、今はメールマガジンで手一杯の情況なのである。 HP上でやりたいことは沢山あるのであるが、特に、HP上で商売をやらないことには愚妻の愚痴を聞き続けることになるのであるが、思ったようには行かない。 とりあえず、そう遠くない日に、我社の商売の内容をトップページ上に掲げますから、暇なときに見てやってくださるようにお願いして、本日これまで。 |
2001/02/22 |
文責:い 60点 |
No.409 |
相変わらず”すきにいき”ているのだけれども、”すきにい”けないのである。 嗚呼、”すきにいきたい”。 宝台樹では、残されたシーズンは、あとひと月半でしかない。 雪は何度も見せられている今年の冬である。が、滑っていない。 我家では、今、”滑る”は、禁句真っ盛りである。 春が見えてきている。 冬が、”暮れてしまう”。冬”隠れてしまう”。 さて、俳句の話題が中々登場しないとお嘆きの貴方。 そう、貴方である。第一生命の川柳は楽しめただろうか。 今年の百選では、万人が一様に感心する作品が減少しているように感じた。 それに代わって、特定の句が、特定の人の心の琴線に触れて、笑いの前に絶句する類の作品が集められた様子である。 選者が意図的にそうしたのかどうか。 あるいは、選者集団の構成員が大幅に変更になったのか。 はたまた、そもそも応募された作品の傾向が変化したのか。 この疑問を解くためにも、百選に選ばれた作品以外(選ばれなかった応募作品)を、ホームページに掲示して公開してくれないだろうかと意見メールを送ってしまうくらい、興味のカタマリとなって百選を楽しんだのである。 山頭火崇拝を辞して、柳多留に鞍替えしてしまおうか。 もともと、柳樽は大好きである事でもあるし。 (念のため”柳樽”の意味は、ご自分でお調べください) 此処の所、ちと長い文章の日が続いたので、本日はこんなとこで... それにつけても、”すきにいきたい”のである。 |
2001/02/21 |
文責:い 80点 |
No.408 |
−−−昨日の続き。 社会保険労務士が、とある企業を訪れ、補助金獲得を手伝うとの申し入れをしていたのである。 その場で、報酬の件になって、獲得する補助金の20%を要求する旨喋るのである。 法律に抵触するなどということは無いのであろう。 しかし、ナンカヘンナノデアル。 素直に情況を認めがたいのである。 社会保険労務士という特定の職業の方の例を掲げたのには、他意は無い。 税金で報酬を払っているのであり、見方を変えれば、本来の目的に充当されない税金の使い方がされているということである。 よって、税金の使い方としてはどうかとは思うのであるが... 要するに、申請が煩雑であるということを、申請書を受理・審査する側が認識していないのも原因の一つではないかということを言いたかったのである。 ”積極的な営業”に、”申請事務のお手伝い”まで含めてはどうかという提案でもある。 例えば、補助金ではないのだが、指名入札参加資格審査という制度がある。 ある企業の事業所が存在する市町村(長)に審査申請をする場合、添付書類として、その市町村税の納税証明書を要求される。 その企業は、納税証明書交付申請を同じ市町村長に提出して、交付を受ける。 使用目的は、”貴市指名入札参加資格審査”である。 こんなものは、申請書を受け取った市町村長の側が庁内処理すれば良いのである。 納税証明書交付料金は、不要である。 対外的な証明効果を期待する必要が無い(指名入札参加資格審査の場合、申請先が複数の場合もある。例えば、市長・水道事業管理者・下水道組合長の連記。しかし、一枚の申請書で申請させるというのは、取りも直さず、皆同じ穴のムジナとの意思表明であろう。)のであるから、”証明書”である必要も無い。 もう一言付け加える。 添付書類として、その市町村税の納税証明書を要求されるのに、この証明書に記載された如何なる項目(所在地・名称は除く)も、申請書に記載する欄は無い。 この事実の意味するところについては記載を省略する。 ...ことにしようと思ったが、続けよう。 嘗て何らかの意味があった事柄(ある添付書類の必要性など)を、前例に倣うというだけの理由で継承しているのではないか。 審査の基準を詳らかにしていないので、非常に重要な要素として扱われる情報が隠れているのかもしれないが... ここでもまた、情報公開の必要性を叫ばねばならない。 そう、施策のPR(つまり、特定の情報の公開)なんぞは、胡散臭いのであり、情報の完全公開が必要なのである。 そうすれば、”情報を活用してもらいたい人や関係団体に正確に伝わる”ように、民間は競って情報を求めるから、心配しないでいただきたい。 |
2001/02/20 |
文責:い 80点 |
No.407 |
地方公務員の人の話。 自治体の施策、事業について”知らない”と言われる。 もちろん、施策についてはホームページ、パンフレット、広報誌等でPRしている。 なのになぜ認知されていないのか。 政策の実施結果は件数に表れてくるものであり、それが十分に活用されていない場合、ニーズにあっていないということが考えられる。 これに加え、根本的に制度を知らない、認知されていないということも考えられるのではないか。 制度を活用してもらいたい人や関係団体に正確に伝わっていないのではないだろうか。 今後は、積極的に広報、いわゆる営業活動をしていかなければならないのではないか。 営業すれば、その制度の長所も短所も生の声として確認することができると思うし、さらに別の埋もれている施策のヒントが得られるかもしれない。 待ちの姿勢ばかりでは、制度を熟知している人だけの偏った制度になりかねない。 まあ、こんな話であった。 考え方は間違っていないと思う。 ここからは、私の番である。 各種補助金制度・優遇融資制度の運用が、”官”によってなされている。 所謂大きな会社では、各種補助金制度を探索して積極的に利用するための部署を設置しているという。 インターネット上でも、社会保険労務士による雇用関係助成金(補助金制度の一つ)の説明などが、まま目に触れる。 ところが、現実の話として驚くべき姿を目の当たりにした。 明日に続く、ということにする。 |
2001/02/19 |
文責:い 80点 |
No.406 |
二つのデータを引用する。 一つ目。 1月のコンピュ−タウイルス発見届け出件数は2440件で、昨年11月の2778件に次ぐ過去2番目の高水準だった(経済産業省関連団体である情報処理振興会--IPA--による)。 このうち実際に感染したのは、全体の2割にあたる469件であった。 届け出があったウイルスは46種類で、昨年発見された”MTX”、”Hybris””Navidad”の3種類で全体の7割を占めた。 二つ目。 友人に電子メ−ルを送ったり、個人の趣味上の情報を得るために、仕事場でインタ−ネットを私用に使った社員は67%に上り、米国の47%を上回ることが、米ウェブセンス社の調べで明らかになった。 同社によると、ネットの私用に対し懲戒処分を行ったことのある米国企業は64%に上るのに対し、日本企業はわずか3%で私用が放置状態。 米国では、インタ−ネットの私用により1999年に540億ドルの損害があり、日本でも同様に生産性低下現象が存在すると警告している。 簡単に言って、日本の会社は、私用インタ−ネット天国状態である。 まあ、むしろ、まだまだインタ−ネットを利用して仕事をする機会が少ないという点と、個人的な使用であれインタ−ネットを利用するスキルを磨くことが将来会社にとって有意義であると見越して、学習の場を与えているのであるとみなす点とを確認するに止めよう。 なのだけれども、なのである。 インターネットモードの携帯電話は別にしても、個人が会社を離れてインターネットを利用する環境では、コンピュ−タウイルスに限っても、セキュリティにどの程度の関心があるのだろうか。 添付ファイルを無造作に開く習慣を、つまり、添付ファイルを開く際に不安を取り払うこと無しに一連の作業手順で当然のように行っている人々が大勢いる情況を、私は好ましく思っていないのである。 情報という財産の格納庫であるパーソナルなコンピュータが、あまりに無防備なのではないか。 添付ファイルを開くことによる感染が、感染経路としては全体の9割にも達するという噂(巷間流される統計数値を信頼してよいかどうかは、判断のしようが無いのである。上に記載したデータにしても然りである。)を信じれば、個人の財産は常に危険な情況に置かれているのである。 確かに、会社においては、ある程度のセキュリティ(あくまでもコンピュ−タウイルスに限っての話をしている)を確保しているのであろう。 しかし、可也高度なセキュリティシステムを導入していると考えがちな会社であっても、最新のウイルスに対して常に対応できるとは限らないのである。 そして、私用電子メ−ルが会社のコンピュータに蔓延しているのであり、それを利用している社員は、全く無頓着に添付ファイルを開くのである。 ”日本の会社は、私用インタ−ネット天国状態である”と先に記載した。 ”日本の会社は、コンピュ−タウイルス天国状態である”とも書くことができそうな、カ・ン・ジ。 今日の話題は、何故取り上げたのか。 実は、メールのウイルスチェックシステムを思いついたのである。 巨万の富を築くのではないかなどと、夢を見ている。 もちろん夢である。 ”儚”い夢。人が夢見ると書く。ツライモノである。 ま、このシステムを売り出したときには、使ってくだされ。 コマーシャルは、このように、先に先にと周到かつ地味に展開するのである。 |
2001/02/18 |
文責:い 90点 |
No.405 |
日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。
斉世親王を天皇に擁立しようとする陰謀に荷担したという理由で、57歳の菅原道真は901年、突然大宰府へ左遷された。 |
2001/02/17 |
文責:い 80点 |
No.404 |
広告とセールス・プロモーションとを軽〜く説明してみよう。 |
2001/02/16 |
文責:い 70点 |
No.403 |
とある方の履歴書を拝見した。 |
2001/02/15 |
文責:い 60点 |
No.402 |
昨日に続いていると思う。多分大丈夫。 |
2001/02/14 |
文責:い 60点 |
No.401 |
今日はバレンタインデイである。 |
2001/02/13 |
文責:い 90点 |
No.400 |
住友銀行より”合併に伴なうご案内”なる通知あり。 |
2001/02/12 |
文責:い 70点 |
No.399 |
日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。
”日刊兎ノ胃”っておもしろそうに思いません? |
2001/02/11 |
文責:い 80点 |
No.398 |
日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。
銀行首脳が、部下から案件を持ち込まれたときに喋る言葉は、4つだけなのだそうである。 |
2001/02/10 |
文責:い 60点 |
No.397 |
インタネーット上での懸賞に関して、規制緩和を検討する動きがある。 現状では、”一般懸賞”については購買した商品に対して景品としてプレゼントでき る最高額が10万円までとされていている。 それではインターネット上ではなかなか インパクトのある、魅力あるプレゼントキャンペーンを企画できないという側面があるのである。 企業からの要望により、公正取引委員会は 一般懸賞規制を見直すため、関係者から意見を聞き、最終方針を固めることにしたようある。 関係者ってのが、どういう人々を指しているのかは解からないが、とにかく、この人々も参加して討議し、仮に”一般懸賞”の対象外と見直されれば、最高で1,000万円まで景品を出すことが可能になるという。 インターネットの普及に伴い、ユーザーは海外のサイトとのやり取りも自由にできるようになっているのである。 最高金額の1,000万円に関しては、海外と比較すると低過ぎると言わざるを得ない。 もともと景品法の基本にある考え方は、”不当顧客誘因の防止”であるという。 意味は、全く不明である。 宝くじ事業を認めている法律との整合性は、何処にあるというのか? お金を出して、大きなお金を掴む夢を買うと考えるとオカシイ。 夢ナノカヨ〜なのである。 そんな宝くじ事業は、好成績を保っている。 法律で規制なんかしなくても、消費者・販売者供に賢い行動をするに充分な資質を持っているのである。 かつての私は、”せっかちくん・おとぼけくん”が欲しくてグリコ製品である”アーモンドチョコレート”を買った。 商品は、捨てはしないが、その辺に転がっていることが、ままあった。 今の私ではない。 |
2001/02/09 |
文責:い 70点 |
No.396 |
高校・大学の学生を対象にしたアンケートの結果がある。 テレビ、パソコン、eメール、携帯電話というメディアの使用を1つだけ7日間利用禁止にさせられるとしたら、何が一番嫌かを聞いた。 この回答では、ダントツの一位が、携帯電話である。 更に、7人づつのグループを被験者にして、上記のメディアの使用を実際に利用禁止にして、一週間生活してもらった。 この実験が終了してから(つまり、一週間を経過してから)、それぞれのグループ内打ち上げと、全体打ち上げをやって、不満のさらけ出しをしてもらう予定である。 各グループの構成員は、28人のくじ引きで決定する。 携帯電話を引き当て、出来上がった携帯電話無しグループでは、実験前から不満タラタラである。 ところが、5日目にして、脱落宣言者が発生したのである。 テレビ無しグループの構成員である。 このグループで、最後まで実験に耐えたのは3人だけなのである。 他のグループは、脱落者は無かった。 色々なコメントが書けそうな、興味ある実験とその結果とである。 例えば、矢張り、何だカンダ言っても、まだまだパソコン、eメール、携帯電話ってのは、生活に溶け込むほど時代にコナレテイナイ、という具合である。 まあそうなんだけれど、そう、色々書きたいんだけれど、止しておく。皆さんの感想には興味がある、とだけ書いておこう。 実は、私には、他の点に驚きの対象があるのである。 この28人の被験者たちは、ズルをすることなど、はなから考えていなかったのだという。 確かに魅力的な金額の報酬が提示されていたのだけれども、特別な監視システムを採用したりしてはいないのである。 ごく普通に生活(無論、一つだけメディアを利用できない規制はある)を送るのである。特別な部屋に閉じ込めたりはしないのである。 そんな中で、脱落者は、自己申告したのである。 無理になったら途中で申告するなどという制度を説明していないのである。 私の世代で実験したら(現在はもちろん、20歳前後の時代にであってもである)、絶対に脱落者はいない。 保証する。 ズルをして、報酬を頂戴するのである。 驚きの対象のもう一つは、テレビ、パソコン、eメール、携帯電話というメディア分類自体に無理があるのではないかという点である。 この実験そのものに疑問があるのである。 これを先に書くと、今日の話が壊れてしまうくらい馬鹿げた話。 ただ、テレビ好きの私としては、今後のテレビにもまだ可能性があるのかなという安堵感が得られた話なので、葬り去りたくなかったのである。 |
2001/02/08 |
文責:い 80点 |
No.395 |
3億円と言うと、宝くじを思い浮かべるのが普通の感覚になったであろう昨今ではあるが、今日は3億円事件の方の3億円の話から始めよう。 現金輸送車の乗員は、白いバイクとヘルメットを見ただけで、犯人を警官だと思いこんでしまった、と聞く。 初めてその白バイらしきオートバイの写真を見た時に、本物の白バイとはまったく違う、おもちゃみたいなものじゃないかと感じた記憶がある。 そんな類のモノなのに、白いバイク=警官という、思いこみがあったのであろう。 自動車で深夜に帰宅の途中、白いヘルメットをかぶった人間が、電灯を仕込んだ棒状の器具を持ち、道路で停車を求めるような合図をした場合、私は停車することにしている。 そして、窓を開けて、その人間と会話する体制を整える。 本題に関係ないが、この時深呼吸を繰り返すのも忘れない。合図に気付いた時点から、ガムを噛んだり、飲料水でうがいしたりもするだろう。そして、心臓の鼓動を聞くのである。 本題には関係ないと、必ずしも言えないかもしれない。 その白ヘル人間が、後で交通整理のおじさんだと解かるまでは、瞬間的には心臓の鼓動を聞くことがあるからである。 いずれにしても、その情況では、思い込みというか、パブロフの犬状態というか、反射的に対応してしまうのである。 警官でなく、暴漢だったらどうするのだろう。 最近報道される事件を考えると、何があってもおかしくは無い感じだから、必ずしも杞憂であるとは思えない。 警察サイドの身分証明の仕方を検討してもらいたい。 何故こんなことを書いたかと言うと、近頃、慣れによる失敗が非常に多いのである。 たとえどんなに慣れている仕事でも、油断は禁物なのだ。 普段見慣れている書類や、やり慣れている作業では、よく確認もせずに決まりきった処理をしてしまう。 これはともすると、事故やミスにつながる可能性がある。 ”熟練”という言葉もあるのだけれど、この域に達した人の行動は、セルフチェックの仕組みを取り込んでいるのであろう。 やっていることは、そして、出来上がった仕事を見ても、そのスキルはたいして違わないみたいなんだけれども、何処か違う、ってのが、その”熟練”って奴の感じではないだろうか。 どんな作業でも、常に反復確認して、ミスを防止するようにしようという教訓を読み取っていただきたい。 教訓オヤジになった”鬼ノ胃”である。 |
2001/02/07 |
文責:い 90点 |
No.394 |
先に、農業従事者の世代分布が高齢化する話を書いた。同一人物が年とともに年齢を重ねていくのが原因であった。 農業を街に置き換えてみたら、眩暈がするような話が出来上がったので披露する。 私の住む街富津市は、老齢者人口比率が非常に高いと言われている。 老齢者を60歳以上とするか、65歳以上とするかは、大した問題ではない。 5年の月日が流れれば同じことだからである。 現在の住民が、単純に5歳づつ年をとるだけと言っても、大きくは間違った展望ではなさそうであるからである。 街には、活気が無く、市の財政も苦しいと叫ばれている。 国民健康保険の被保険者が非常に多く、この一面だけでも市の財政には大変である。 ただし、単純な住民増加を画策するのは危険である。 新しい街ができるとしよう。 これから記載する例は、国内のいたるところに存在する街の一つのモデルである。 その地域には、昔から住んでいた住人など、ほんの僅かである。 ここに、30〜40歳代を世帯主とする、いわゆる核家族が、初めての持ち家を取得する。 子供は小学生・中学生が1〜2人であろう。年寄りと同居している家族など皆無に等しい。 一二年程度の期間で、単純に人口5,000人程度の、街が出現するのである。 小学校中学校を建設する。 人が増えることで活力を感じるとともに、それに対応した行政投資を行うのである。 20年経過してみたまえ。 この街に育った少年少女も、結婚して、別世帯をつくって出て行ってしまうだろう。 この街に残って、親と供に暮らしていくなどという発想は、親も子もハナカラ無い住民なのである。 残されるのは、50〜60歳代を世帯主とする、そして、この年代の人間しか存在しない街が出現するのである。 更に10年が経過したときには、60〜70歳代を世帯主とする、そして、(この想像は、可也不気味であるが、可能性は大である)この年代の人間しか存在しない街が出現するのである。 この街は、一世代で終ってしまうことも十分考えられるのである。 極端にいえば、街そのものが使い捨てになってしまう可能性さえある。 人間だけを誘致する政策は、破綻することが目に見えている。 産業を誘致育成して、かかる企業に勤務する人々の住まいを供給する形の人口増加政策で無いと、インフラ整備にばかり金がかかり、将来ますます財政は逼迫するのである。 |
2001/02/06 |
文責:い 60点 |
No.393 |
先日積雪の話で中谷宇吉郎という名前を持ち出した。 この時、去年の今頃、まだ”日刊鬼ノ胃”書き初めた頃に書いたことを思い出したのである。 話題に詰まった時には、ときどき書こうと考えているのが、次の材目。 漱石--寅彦--宇吉郎+子規シリーズ、なぎら健壱--高田渡+生田敬太郎ライン、清水一行--童門冬二ライン、DOS/Vmagazine--天文ガイドのライン、神吉--先崎(宏充、学)ライン、エンブレムTAKE2--風の大地ライン、マルサス--ケインズ--シュンペーターのライン(これは多分使わない) いや〜、結構使っているのですな、これが。 話題に詰まった時、というよりも、私の頭を構成しているのは、つまるところこれらだけである、と言っても過言ではないのである。 ここに、スキーとラグビーと子供の科学とを入れれば、何と、”日刊鬼ノ胃”の出来上がりではないか。 釣りバカ日誌--美味いしんぼの小学館ラインを入れてなかったところが偉いものである。 この数年で急速に面白くなくなっているこの二つの作品を、読まなくなっているのである。 これから登場しそうな予感がするのは、税金--俳句ライン(結構面白い取り合わせではないか)、文房具--家具ラインなんだけれども、どうなることやら。 忘れてはいけない。 食い物のことは、書いていて一番面白いのだ。 ところが、美味い、不味いで全てを片付ける訳にいかないのが辛い。 ボキャブラリー不足を痛感するのが、この分野なのである。 今日は、お茶を濁してしまった感じ。 お茶を濁すのは、お茶の子さいさいなのだが、この芸でお茶をひくのが世の常である。 お茶の子さいさい。 お茶の子の意味は、字引で解かった。 ”さいさい”ってナンナノダ! 再々? |
2001/02/05 |
文責:い 80点 |
No.392 |
世界の三大珍味というのは聞いたことがある。 日本にもかかる珍味が存在する。 ”うに”は、コノワタ、からすみとともに、日本三大珍味とされているのだそうである。 海鼠腸・唐墨が加工食品名で、海胆は素材名であるところが怪しいと思っていた。 ところが古来”うに”は、雲丹と綴って、塩練りにした加工食品のことなのだそうである。 などという蘊蓄は、面白いという人とそうでない人が決定的に存在する。当然私は、前者であります。 食べることができるのはわずか数種類らしいのであるが、”うに”に分類されるのは千種類くらいある。 今、”食べることができる”と記載したが、この意味するところは不明である。 自分が食したことがあるのは、確かに10種類に満たない。 食うと害になるのか、食っても美味くないのか、あるいは、とっても美味いのであるが一般の人間の手に入るような代物ではない、という意味であるのかを疑ってみたい。 最初と最後とに書いた意味であると、ことは重大である。 (食っても美味くないのは、話にならない。ただし、誰がそう決めたのかは確認する必要がある。) 世の中には、私の知らない大層美味い”うに”を食っている輩(職業・趣味で採取している人、または、かかる人々を支配するくらい大金持ちの人)が居るのである。 そして、”こんな美味いモノを、俺以外の人間に食わせるわけにはいかないから、”毒うに”ってことにしておけ”なんぞとウソブイテイルのである。 |
2001/02/04 |
文責:い 50点 |
No.391 |
日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。
コンビニエンスストア(特定の企業ということでは無しに)。 |
2001/02/03 |
文責:い 80点 |
No.390 |
今日は節分である。 節分については、数日前(01/29)の”鬼ノ胃の大あくび”に書いた。 年の数だけ豆を食べるのが大変な年齢になってきて、元々煎った大豆は好きじゃないのであるが、もう何年も拾い食いをしていない。 節分には、年越しの行事を行っている。 私の住む地域の、若手の会が主催である。 若手というと誤解があるかもしれないので、念のために記載すれば、アンダー45なのである。 辛うじて、この年齢制限に引っ掛かっている。 で、こういう会であるから、行事は専ら土日に行う。 通常、年越しの行事は、節分の日の直近の土曜日が予定される。 今年は、たまたま節分が土曜日なので、本日を指定した。 どんど焼きである。 これもまた註が必要だろう。 本来、正月15日に、しめ縄・門松を納めるのに、共同の場所を指定して、持ち寄って焼いたのである。 一人しめ縄を燃やすのは、得体は知れないが、抵抗があるのだ。 奇態なもので、年越しに正月のしめ縄を燃やすという不思議な現象の出現である。 夜中に景気良く音を立てさせて、火を燃やす。 生竹を主体とした火の元は、爆竹の如く鳴り響くのである。 田んぼ中でやっていた頃は、誠に壮大なものであった。 嘗ては、山の中の小さな空き地で催した。よくぞ山火事にならなかったものだ。 今や、本当に形だけのものとなった。 しかし、行事の火を消さなければ、何時の日か、再び荘厳な火祭りが復活するだろうと期待している。 伝統行事なんて、衰退と復活との歴史であろうと考える。 自分の参加する火の行事なんて、そうあるものじゃない。 私は、好きなのである。 先月は、芝焼きで放火。今月は、節分で放火。 来月以降は、火の行事が無い。う〜ん。 こんなことを書いていると、また疑われる。 |
2001/02/02 |
文責:い 60点 |
No.389 |
ユニクロの評判が良いらしい。 その理由が解からない。 ブランド構築において大事なことが、5つほどあるだろう。 1商売のコンテンツ。 顧客にどうやって感動を与えることができるのかなど、商売全体の結論を明確に描き切った結果としての品揃え。 2店舗の造り。 商品に見合った構えである事。 3広告によるイメージ作り。 広告無しでも勝負できる商品が存在するのが前提である。 その上で、潜在的なお客を取り込むためには、実用性よりもまず、会社と商品とのイメージを売るのである。 4従業員の意識。 どんなにお金をかけて広告をしても、1人の従業員がお客様に対して不手際な対応をすると、ブランドイメージは一気に崩れてしまう。 5頑固さと柔軟性の融合。 商売の方針を絶対変えないという信念を持つ。 と同時に、”顧客が全て”という意味では、常に変化して対応していかなくてはならない。 この二つは、 相反することだが、その2つの絶妙なバランス感覚が必要である。 こんなところか。 してみると、ユニクロは、どうだろう。 私がユ二クロというブランド名を知った頃には、オバちゃんがレジの前でイキナリ脱ぎだして商品を返品するCMがあった。 このときの方が、イメージに合っていると考えるのであるが、安価なだけではダメなのだろうか。 確かに今は、何かを提案している、訴えているという雰囲気はある。 |
2001/02/01 |
文責:い 80点 |
No.388 |
先週末の雪が、我家の庭にはまだ残っている。 中谷宇吉郎は”雪は天からの手紙である”なんて、優雅な(呑気な)言葉を残しているが、今回は差し詰め”雪は天からの不幸の手紙である”。 手紙なんぞが来るとわくわくする性質なのではあるが、不幸の手紙(幸福の手紙というネーミングは、中々味があるが、この行為はイカン。従って、不幸の手紙が正しい。)は戴けない。 アッタマキチャウノデアル。 実際参った。 降雪の当日、我富津・君津・木更津では数万軒の停電が発生。 我家は、17:00頃からの二時間程度であった。 同一敷地内のじいさん(父母)宅では、17:00頃から22:30にかけての5時間半にも及んだ。 いまだ電力会社からの説明がないのは困ったものだが、面白くないことがある。 上記連続停電の前に、数分間隔で二度ほど短時間停電があった。 どうやらこれが、長時間電気の供給を断つ合図として、電力会社が発生させた停電らしいのである。 電力売買契約書にでも記載されていれば、文句も無いが、そんなことは無い。 はっきり言って、大都会と異なり、この地域では、私の知る限りでも停電という現象は珍しくなかった。 当市内に火力発電所が誕生してからは、めっきり減った。 喜ばしいことである。因果関係があるのか無いのかは知らないけど。 どうせなら、一晩中供給停止すればよかっただろうにと思う。 ニューヨーク停電ベイビーの例もあることだから、幼年者の少なくなった当地域にも、明るい話題が提供できたかもしれない。 流石2001年。21世紀の始まりの年は、大変大勢の赤ちゃんが誕生いたしました。なんて報道が、今年の終わりにあっても良かった。 決して皮肉ではない。 |