日刊 鬼ノ胃 本日分はこちら |
2000年11月分(11/1〜11/30)
2000/11/30 |
文責:い 80点 |
No.325 |
コンビニで買い物をした。 特別な品物を買ったのではない。ハイライトを買ったのである。 売買契約に基づいて、品物を手にして、お金を支払ったのである。 これは納得の行く行為だ。 民法に依れば、売買契約は申込と承諾によって成立する(民法555条)。 電車に乗るのも、動物園に入場するのも、印鑑証明を貰うのも、みんな売買契約を締結していることになる。 売買契約書は無い。 簡単に言えば、”売ります””買います”という意思の合致があれば、売買契約は成立する 順番はどちらでも良いのだろうか。 法律の、こういったところが解からない。 自動販売機で買い物をするときには、私と自動販売機との間で売買契約を締結していることになる。 否、そんなことはない。 自動販売機を設置したことで、売り主は”売ります”と宣言したのであり、自動販売機はあくまでも商品配送手段なのである。 物々交換はどういう風にみなすのだろうか。 お金を介在させて、擬似売買契約を二本用意して、法律に乗せていくのか。 そうしないと、それぞれの”物”は商品と認識されないのか。 そもそも商品とは何か。 財とサービスなんていう解釈は、その二つが現実に分離できるかどうかの問題を抱えている。 こんなことが解からないのかとの指摘を受けるかもしれない。 私は、経済学科の卒業であります。 だから何なのだということではなくて、とりあえずそんな立場でそんな知識を得た記憶があるのである。 最近はやりの特許。 システムを特許にすると言いながらも、あくまでも形あるものとしてでないと成立しないらしい。 記憶装置(記憶媒体)と言う形あるものを絡めないとダメらしい。 法学の分野になると考えるが、法学者は現在にどう生きようとしているのだ。 ノーベル賞に法学部門は無いということだが、先見性があった。 発足当時に法学の果たしている役割に問題があり、それが今日までずっと続いているということなのだろう。 今日は法学と経済学とについて語ったのであります。 |
2000/11/29 |
文責:い 80点 |
No.324 |
自分にやさしく、相手に厳しく。 これこそが、最近の私のモットーである。 なに、別に意識している訳ではない。 しかし、日々こんな風に生きているのである。 だから、廻りから見れば、こういう主義なのであろうと判断されていると想像するのに難くない。 誰からも注意されないのである。 誰も注意してくれない、と言ったほうが正確さに分がある。 ルールに対して自分で基準を作って、甘くなってきている。 特に、時間厳守という代物に関してが顕著である。 自分が遅れたときの言い訳に長けてしまった。 それだけに、他人の言い訳を咎めるのにも長じてしまった。 遅れるからには何か個人的な理由はあると思いますが、たぶん許されないことなのである。 最近では携帯電話というものがあるのであるから、少なくとも遅れる旨の連絡は必要である。 約束の刻限を過ぎて、遅れている奴に電話をすると、大概の場合、電話に出る。 掛けてこられた電話で、遅刻の言い訳をするのは、関わる人へ与える印象を非常に悪くする。 そうなんだけれども、自分も経験アリである。 約束の時間を守るのは社会のルールです。 肝に銘じることにする。 |
2000/11/28 |
文責:い 60点 |
No.323 |
年賀状の制作を少し手がけた。 学生時代の友人。 毎日激論と悪ふざけの連続で、忘れてはならない酒もよく飲んだ。 それが、年に二三回会う程度になって行き、やがて、年賀状の友人になりつつある人物が何人かいる。 変な意味ではなく、一緒に過ごすという目的だけのために時間を共にした友人がいた。 恋愛ではない。 自分の子どもを観ていて感じる。 今の学生にはどのくらいの自由な時間があるのだろうか。 学校週五日制による学校時間の短縮などは進んできていると聞く。 しかし、何か忙しそうに毎日を送っている。 何に追い立てられているのだろうか。 一緒に過ごすという目的だけのために時間を共にして、ゆっくりゆっくり友人関係が築かれ、気が付くと貴重な友人ができあがっていく。 そんな時間を感じたことがあるのだろうか。 とはいえ、テスト明けの彼女たち(娘が二人なのである)を見ると、つい、”勉強しろ”なんぞと喋って、逆に集中砲火をあびている。 どうも最近自分に余裕がなくてイカン。 |
2000/11/27 |
文責:い 80点 |
No.322 |
先日ガリレオの話を書いたから、という訳でもないのだが、木星が気になった。 昨日21:00頃に帰り、ふと空を見たのである。 天頂南東側に、ひときわ輝く星があった。 色合いからして木星である。 早速、双眼鏡を持ち出して、20X程度で眺めると、誠にシーイングが良い。 ガリレオ衛星4つ簡単にゲット。 ということで、コーワのプロミナ-フローライトTSN−3をセッティング。 天体望遠鏡と異なり、この野鳥観測用の一眼は、セットするのが簡単で、私のお気に入りである。 カメラ三脚に据付けて、お終い。簡易な経緯台として充分である。 せいぜい40Xにしかしないのである。 しかし、さすがにこの日のシーイングとフローライトである。 鮮明に木星の文様が見て取れる。 思い起こせば、久々の惑星観測である。 4つの衛星の並びを観れば、明らかに軌道の方向性は確認でき、その方向と縞の文様の方向とが一致しているのが観測できる。 木星の文様が鮮明に見て取れるとはいっても、そこはやはり40Xであり、縞は二本が区分できるだけ。 それだけである。 で、何なの、という問い合わせがあったときの答えは用意していない。 それだけなのである。 ネットの世界で、コンピュータのディスプレイ上に、公設機関のサイトに載せられた画像を導入して楽しませて貰ってはいる。 が、ライブの観測画像は、違うのである。 気持ちの問題といえば、確かにそうなんだろうけれども、明らかに違う。 プラネタリウムもなんか違う。 人工衛星の軌跡が見えたり、流星が流れたりと、誰も操作できない、そして再現できない世界で寒さをこらえながら星を見る。 良いモンデアル。 それだけなのである。 |
2000/11/26 |
文責:い 30点 |
No.321 |
日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。
どうも眠い日々が続く。 |
2000/11/25 |
文責:い 70点 |
No.320 |
ガリレオがピサで生まれたのは、我々にとって幸せなことである。 |
2000/11/24 |
文責:い 80点 |
No.319 |
最近、モニターや懸賞系の紹介メルマガの数にびっくりしている。 もっとも、転載だらけの、制作者が裏づけを取らない記事は怖い。 問題は、情報として正しい記事が転載されている場合なのである。 |
2000/11/23 |
文責:い 90点 |
No.318 |
日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。
今日は、早慶戦である。 |
2000/11/22 |
文責:い 70点 |
No.317 |
11月22日。 ”いい夫婦の日”。 二日連続して、これだけ短い文章で終わるのも珍しい。
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2000/11/21 |
文責:い 40点 |
No.316 |
我家は、11/20が恵比寿様のお祭り。 |
2000/11/20 |
文責:い 80点 |
No.315 |
私は、鶏子が大好物なのである。 体に有害なウィルスを溶かす働きを持つリゾチーム(風邪薬にも使われている)は卵白に含まれる酵素。 |
2000/11/19 |
文責:い 70点 |
No.314 |
日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。 今年のLeonids Meteor Stream に関しては、 次の一文参照を以っておしまいである。 ---------------------------------------------------------------------” 2000年10月26日付の 国立天文台・広報普及室執筆による国立天文台・天文ニュース (389) 2000年の「しし座流星群」”抜粋 アッシャーの予測では、2001年には日本を含む東アジアで1時間あたり1万5000個の流星雨が出現する可能性があるということです。もちろん100パーセント確実なものではありませんが、来年は月の妨害もありませんから、今年よりも大きな期待の下に「しし座流星群」を待つことができるでしょう。 ---------------------------------------------------------------------” 尚、アッシャー(Asher,D)は、昨年(1999年)の”しし座流星群”のピーク時刻を当てて有名になったイギリス人。 |
2000/11/18 |
文責:い 50点 |
No.313 |
10/18に書いた、 Leonids Meteor Stream の話。 そろそろ準備にかかる必要がある。 欠勤の届も出さなくてはならない。 屋外での辛抱強い行動のために、防寒具の手入れもしなければならぬ。 11月中旬を越えると、とにかく寒いのである。 11/18 03:00〜05:00 と 11/18 03:00〜05:00とに、勝負を賭けよう。 何と、今年は、土・日曜日ではないか。 という土・日曜日がやってきた。 昨日は雨。1月上旬の気温との報道アリ。 更に天気予報では、明日は快晴とのこと。 こりゃ夜中は一層冷えるぞ、との覚悟で、夕食のテーブルに着く。 シュラフは用意した。懐炉もある。 HALF AND HALFは新品。 椅子も大丈夫。 グレンフィディックはフラスクに詰まっている。 21:00とりあえず寝てしまう。 |
2000/11/17 |
文責:い 90点 |
No.312 |
大事件である。 ラップにくるんで冷蔵庫の野菜室で保存してあった、すり残しの山葵を発見。 鮫皮おろし器にあてて供する山葵よりも、おろし金で大雑把にすりおろし、俎板の上に載せて包丁で叩く方が好みである。 かつて聞いたことのある方法を試してみる。 予め、砂糖を少し振っておく。 もちろん、洗い流してから、作業に取り掛かる。 辛味を増すというのである。 時間を掛けて、売場で選り好みをして持ち帰り、おろす時にもまだ高価な印象を抱いているときには、あまり冒険は好まない。 香り(あのツンという刺激とは別物)を損なっては元も子もない訳であるから、こんな実験には、偶然出会った今日の山葵はモッテコイデアル。 砂糖、効果ありである。 そうこうしていると、新海苔の生モノが届けられた。 今年は随分と遅れている。 しかし、この絶妙のタイミングで我家に到着するところをみると、今年も海苔とは仲良くできそうな予感がする。 三杯酢は家族用に拵えて、自分用には、水洗いのみで小皿に載せる。 山葵醤油で食すのである。 今日は、山葵の効用などを書こうかと思っていたのだが、そんなものはまたの機会に譲ろう。 山葵も海苔も、そして日本酒も、香りに関しては共通点がある。 全て、口から鼻に抜いた空気で香りを楽しむのである。 いわば、吐く息(ただし、鼻腔から)で匂いを嗅ぐのである。 子供には解かるまい。 |
2000/11/16 |
文責:い 70点 |
No.311 |
昨日(11/15)は七五三であった。 我が家の娘の七歳のお祝いも、既に遠い話になったものである。 七五三とは、子供のそれまでの無事な成長に感謝し、今後の健康を祈るもので、男子三歳と五歳、女子三歳と七歳に行われるという。 11/12が直前の日曜日ということで、報道によれば、各地の神社は可也混雑したという。 が、どうも近辺での情況を眺めると、実感がない。 写真屋さんの話では、ここ数年は、来店して記念写真を撮影する家族(祖父母を含む)は、非常に稀であるとの声。 ここでこれを、昨今の不況と結びつけるつもりはない。 あるホテルのチラシにあった、七・五・三歳で、また、11/15に、お祝いされるようになった由来。 奇数は吉数として縁起の良い数とされた事と、その昔、三歳を”髪置き(かみおき)”、五歳を”袴着(はかまぎ)”、七歳を”帯解(おびとき)”と言った事からだそうである。 ”髪置き”は、赤子は男女とも頭を青く剃り三歳になって髪を伸ばす風習から、”袴着”は、男の子が初めて袴をはく年、”帯解”は、女の子が紐付きの着物から帯に変えた事に由来します。 11/15に定着した理由は、諸説あるようで、この日が二十八宿(古代中国の星座)の”鬼”宿日で祝い事に最良の吉日であった事と、産土神に秋の収穫を感謝する月(新嘗祭)であり、その月の満月の日が選ばれたとか、霜月祭(家業に関係深い神々を祭る日)に因むとか、徳川幕府三代将軍家光の四男徳松(のちの五代将軍綱吉)の五歳の祝いが慶安3(1650)年11月15日に行われたことに因むとか...。 可也読み辛かったと察する。 それにしても、よくぞこれを以って”由来”と言い切ったものである。 男子三歳と五歳、女子三歳と七歳に行われる理由としては、上手くできている。 11/15に定着した理由の方は、いただけない。 祝い事に最良の吉日を、この行事に使っちゃって良いのだろうか。 他の行事にダブらせて催し事を行うのだろうか。 徳川の話に至っては、何か理由があって11/15に決定したのであろうと考えなければならない。その理由が知りたいのである。 それはまあどうでも良いのでありますが、”七五三”というネーミングは、素晴らしいの一言に尽きる。 子供の数の激減が、非常に気になる。 |
2000/11/15 |
文責:い 90点 |
No.310 |
ごく稀になのだけれども、電車にもお世話になっている。 つり革広告とか、山手線にあるようなディスプレイ広告とかには、食い入るように見つめてしまう。 物珍しいのである。 簡単に言えば、田舎モノなのである。 おのぼりさんらしい仕草を、皆さんに見せているのだろうなと意識する。 と、何かホクソエムし、おのぼりさんを演じてやろうと下手な芝居を打ったりする。 性格が悪いのである。 車内アナウンスで気になることがある。 携帯電話の使用を自粛するように求めるアレのことだ。 東急電鉄(だったと思う)は、”奇数車両は携帯メールOK”という”棲み分け”作戦をとるということで話題になった。 ”車内で携帯電話を使って会話するのは周りのお客様のご迷惑になるのでご遠慮下さい。” これは、言いたいことが解からない。 字義どおりに読めば、車内での会話は全てを禁止しなくてはおかしい。 ”車内で大声で会話するのは周りのお客様のご迷惑になるのでご遠慮下さい。” こうでなくてはならないのだ。 実際、迷惑に感ずる会話は多い。 特に、当方の興味ある話題を近場でやられると、”ひとこと言わせろ”との衝動を、何時まで自己規制できるか不安なのである。 そこで喋って、変なおじさんに看倣されるのは私だが、悪いのは大声で会話する奴らだ。 こんな風に迷惑している周りのお客様もいるのである。 本当にペースメーカや人体に対して、致命的な悪影響があるのであれば、そして、携帯電話の便益がその悪影響がもたらす不利益に比して小さいのであれば、電車内での使用に留まらず、携帯電話は如何なる場所においても禁止すべきなのである。 ペースメーカーを利用していることは、それ自体不名誉なことではあるまい。 従ってかかる人は、何らかの形で主張すべきなのである。 胸に統一マークを表示するとかして、俺の周りでは携帯電話利用を止めろ、と言うべきなのである。 そうすれば、私たちのやらねばならないことが見えてくる。 マークを付けた人の周りで携帯電話を利用する阿呆者が出現した情況に出くわしたならば、糾弾するのが市民としての努めであると認識する社会を創るべきなのである。 念のためであるが、私は人体に悪影響がある、と感覚的に思う者の一人であります。 そして、携帯電話の便益を知ってしまった者の一人であります。 携帯電話を使用禁止にした社会では、生活できない。 携帯電話を多くの人々が所有しているのは事実であるし、また、相手はどこでもいつでも持ち歩いていると信じて送信しているのである。 もはや、常に連絡が取れることを前提に社会の仕組みが蠢いている。 だから、ペースメーカや人体に対して、致命的な悪影響をもたらすことの無い携帯電話機を製造して欲しい。 少なくとも、現在の情況を知りたい。 悪影響があるのならあるというデータを正直に開示して欲しいのである。 |
2000/11/14 |
文責:い 80点 |
No.309 |
外国人とのメールのやり取りを経験した。 多分外国の方だと思う、と言った方が正確かもしれない。 今までも、HPを見て問い合わせのメールを送り、その返信を頂戴したという経験は何度かあった。 しかし、この場合は、あくまで公式なメールであって、クダケタ表現は無かった。 ところが、今回のメールには、顔文字がまぶしてあるのである。 驚きヤンシタ。 ”:) ”は smile ”:' ”は crying ”:D ”は laughing ということだそうだ。 解からなくもないという微妙なところ、と感じた人は多いのではないか。 最近の顔文字には、ここまでやるかとびっくりするものもある。 自分のマシン環境を唯一の標準として、力作を日々制作している人々が大勢いると聞く。 私なんぞは、プロポーショナルフォントの方が馴染み易いので、その設定で何年も経過したのである。 数行にわたる顔文字の作品を最初に頂戴したときに、”なんじゃこりゃ”だった。 突然ですが、当社はメールマガジンを発行します。 みなさん、この際自分のマシンのフォントやエンコードの問題を研究してみては如何でしょうか。 お買い求めのマシンの標準設定は、世界標準の設定でないことだけは確かです。 面白い発見が可也あろうかと思う。 今日は、私が最近プロポーショナルフォントを捨てた、ということをくどくど記述したのであります。 |
2000/11/13 |
文責:い 70点 |
No.308 |
回覧版というのは、不思議なシステムである。 町内会(区と称する)の分会である隣組(谷と称する)20軒ほどの集 まりで運営している。 富津市の広報誌も富津市農協の広報誌も、このシステムを利用して宅配 される。 ただ、それぞれの家によっては所属していない組織もあるので、我家を 含む回覧版システムは、5つある。 市の広報誌の配布に使用するのは、全戸参加用システムである。 他は、老人会用、農事研究会用、お祭りの氏子用、子供会用といったと ころだ。 このシステム、一体誰が一番利益を受けているのだろうか。 回覧版システムに似た、”隣継ぎ”というシステムも存在する。 伝言ゲームの実用版である。 伝言ゲームは、最初の文言が、正確に伝わっていかないで、末端に至っ たときに、改められた文言になるのが楽しいはずなのである。 たまたま私しか家にいないときに、お隣さんから”隣継ぎです”という 声をかけられると緊張する。 待った無しなのである。紙と鉛筆を用意してなどと悠長なことを言って はいられないのだ。 ”隣継ぎです”は決り文句であるから、これは良い。 この後に来るメッセージは、一言半句遺漏してはならないのである。 手に汗が出てくるのだ。 インフォメイションテクノロジーは自分の身体のみ。 脳で記憶して、足で歩いてお隣に行き、口を使って音声で相手に伝える のである。 相手は、あまり緊張している素振りを見せない。 ここで、この人大丈夫かしらなどと、こちらも余裕を持った態度に出て はいけない。 緊張は継続しなければならないのである。 文言を発声したのならば、即座に退散しなければならぬ。 ここでも、まだ緊張は継続しなければならないのである。 世間話なんぞをして、リラックスして時間の経過に任せていると大変な ことになる。 帰り際に、”えーと、隣継ぎの内容はナンダッタッケ”などという言葉 を浴びせられることになるのだ。 とにかく先方の陣地から出るまでは、当方には伝令という役職名が付い ているのである。 先様に情報が正確に伝わっていない以上、伝える側の責任なのである。 電脳掲示板システムを採用してくれと、声を大にして言いたい。 そうでないと、緊張の連続で寿命が縮むのである。 |
2000/11/12 |
文責:い 80点 |
No.307 |
日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。
最近流されている広末涼子のコマーシャル。 ////////////////////////// 第一条 未成年者の飲酒禁止 第三条 罰則 第一条第二項、第三項には罰則があるが、第一項には無い。 ”科料”とあるのは、罰金ほどではないにしろ、お金を払わなければならない罰則のことで、具体的には1,000円以上10,000円未満である。 |
2000/11/11 |
文責:い 80点 |
No.306 |
本日作業分から、レイアウトとフォントを少し変更しました。 先ずは、”入ってくるエネルギーを減らす”というアプローチについて。 ”食事により摂取するエネルギーを減らす”ということをダイエットという。 人は一日中寝ていたとしても、生命を維持するために最低限のエネルギーを消費している。 ダイエットにより、カラダに入ってくるエネルギーが極端に少なくなると、この基礎代謝量も極端に下がる。 ”入ってくるエネルギーを減らす”というアプローチでは、だんだん体脂肪が減りにくいカラダになってしまうのである。 次に、”消費エネルギーを増やす”というアプローチについて。 どうやら画期的な方法は紹介できない。 適度な運動が有効。これが結論。
運動をすることによって、その時の消費エネルギーが増えるだけでなく、筋肉の量が増える。 良い事尽くめ、とはこのことだ。 1.食事により摂取するエネルギーを抑えつつ、2.適度な運動で基礎代謝を高めて
消費エネルギー量を増やす。 さてと、これでメカニズムも解かったし、やらねばならないことも解かった。 ん? ”1.食事により摂取するエネルギーを抑え”るといっても、どの程度抑えたら良いのだ! つまるところ、ここまでの記載は、実践には、何の役にも立たない情報でありました。 |
2000/11/10 |
文責:い 80点 |
No.305 |
しじみを食すことができたことを報告しておく。 もう一日お酒に関する話。 さて、ちと太ってしまったのである。 アルコールの採り過ぎは、肥満を招くと言われている。 次のような見解もある。 この見解は、一見否定しているようでいて、”アルコールの採り過ぎは、肥満を招く”という命題を、残念ながら、否定してはいないのである。
体脂肪は、カラダに入ってくるエネルギーより、消費されるエネルギーが多くなることによって、ようやくエネルギーとして使われ始める。 これら二つのアプローチについての記述は、明日なのである。 |
2000/11/09 |
文責:い 60点 |
No.304 |
しじみについて。 宍道湖の干拓事業が云々...ということには全く関係なく、極めて即物的な話であります。 二日酔いなのです。 で、しじみ汁を頭が求めたのである。 二昔前くらいであれば、近くの川に行けば、食卓を飾る程度のしじみを採ってくるくらいは、文字通り朝飯前だったのだが、今はそれもできやしない。 悔しいから、百科事典などという、外装は埃だらけでも、中はまっさらであり、とても寝ッ転がって読むなんぞはできない代物を食卓に置く。 しじみには、アルコール分解で疲れきった肝機能の再活性化に有効な成分が数多く含まれている。 これでは、矢張り今日の朝食には、是非ともしじみ汁を食さなければならない。 しじみ汁って奴は、皆さんあの貝の身の部分を食すのだろうか。 しじみは汁だけ啜っていたような気がする。 これからは、進んでしじみ身(シジミミ)を食おう。 |
2000/11/08 |
文責:い 70点 |
No.303 |
とあるHPで単位のページがあった。
テラ T 10の12乗 1兆倍 もっとも、ビールの消費量を説明するのにあたり、東京ドームn杯分などという表現もしかりである。 言語は、時代と供にその意味を膨らませていく。 しかし、単位というのは、こんなことがあってはならないのであって、何処かが管理しているのだろうと思う。 ついでだから書いておく。 |
2000/11/07 |
文責:い 90点 |
No.302 |
一年程前から気になっているテレビコマーシャルがある。 滋賀県のCMだ。 滋賀県が琵琶湖を預かっているというアレである。 私が、カラオケで歌う唯一とも言ってよい歌が”琵琶湖舟航の..”である。 そもそも、滋賀県に興味を持ったのは、漱石の書き物の中の”近江土山雨が降る”との一節である。 名にし負う近江商人の発祥の地、甲賀・伊賀の里にも程近い。 人間が生ぬるくなく、真剣勝負で生きている。 都に程近く、支配階級の犠牲にされた地域のイメージが強いのだが、それゆえ案外、醒めた目で世の中を見つめて行動してきた習慣がそうさせたか。 琵琶湖は、太古から移動を続け、現在に至ったと聞く。 現在滋賀県がお預かりしている、というのは、この現象を受けての言葉なのではないのだろうか。 これを確認すべきかどうか迷っている。 可能なんだけれども、実施しない、あるいは、実施したくないのならしないという選択は自由なのである。 難解である。 |
2000/11/06 |
文責:い 70点 |
No.301 |
昨日刊が300号であった。 だから何なのだということも無い。
畑芋から一週間たった。 早速喰らう。 しかし、肴として考えたときには、汁物を啜りながら酒を飲むのは、今ひとつ面白くない様子である。 こんな奴は、ちぎって食すのである。 海の幸山の幸、これだけは、どの地域にも負けない。 だから何なのだということも無い。 |
2000/11/05 |
文責:い 40点 |
No.300 |
日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。
”ファックス送って頂戴。”-ーーーーーーーー ”O.K.。” こんな会話は、日常的になされているだろう。 宅配便で事務機器ファックスが送りつけられることは無い。...と思う。 |
2000/11/04 |
文責:い 60点 |
No.299 |
二千円札について。 先頃の報道に在った。 日銀マン(これについては、批判してはいけない。日銀に勤める方々の意。)に対する給与の支払いに、二千円札を用いることにする、というのである。 これを、給与、もとい、窮余の策という。 別の点に注目したいのである。 銀行(金融)システムの崩壊は、世界経済全体、勿論、個々人の生活経済に至るまで、あらゆる経済主体に影響を及ぼし、その影響のサイズは、想像を絶する。 かかる銀行(金融)システムの崩壊が、万一発生しても、日銀マンの家庭だけは、そのシステムから隔絶しておきたいという事なのだろう。 一番の問題点は、通常の金融機関との金銭消費貸借契約が結べないということであろう。 日銀の名にかけて、日銀マンだけは金融システム崩壊時にも、個人的にその影響を被り仕事が手につかないなどという事態が無いように、常日頃の多少の不便さも我慢するよう社員教育をしてくれていたのである。 待て暫し。 各支店の支店長の社宅が、豪邸であるとの批判を受けても、それだけの規模が必要であった理由もはっきりした。 本支店の社内には、社員一人ひとりの金庫スペースを設置するのはマズイ。 謎は、全て解けたのである。 |
2000/11/03 |
文責:い 60点 |
No.298 |
日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。
人里離れた地に畜産農家がある。職住ともにその地で暮らす。 排泄されるし尿その他による匂いが、近隣住宅にとって悪臭と認識される故に、街を構成する住宅密集地には馴染まないのだそうだ。 この方は、もともとは、もう少し開けた(この言い方は不遜であることを承知している)土地に住んでいた。 その人里離れた地にある畜産農家を訪れた私は、現在の地において発生している匂いを、悪臭であると断言できる。 |
2000/11/02 |
文責:い 90点 |
No.297 |
再びLeonids Meteor Stream の話。 彗星と流星との区別がついていない方が多いのに気付いた。 流星群と名のつく流星の素は、確かに彗星がその軌道上に撒き散らした塵である事が、そう古くはない時代に確認された。 彗星観測は、ある一点を見つめれば確実に観測できるのであり、流星観測は、できないのである。 流星を観る会を開催しようと呼びかけると、望遠鏡を必要とすると考えるらしく、じゃあ木星を見せて、などという言葉が返ってくる。 観測なんて言葉を用いる必要は無いのである。 夏には、蚊に悩まされ、冬には寒さに耐え切れない。この二つの時期には、毎年楽しませてくれる流星群があるのではあるが。 とにかく、騙されたと思って、参加しませんか。 騙されに来ませんか。 |
2000/11/01 |
文責:い 60点 |
No.296 |
11月になった。 菊が見頃である。 父(当家においての地位は、爺さん)も、70歳を超えてから弄り出した。 菊に限らず、季節の花を咲かせることに、そして、庭の草むしりに没頭し、更に、季節の野菜を育てて、自家の食卓に載せてくれる。 ボケてしまって、幼児のようになっている訳では決してない。 廻りから見て、非難される行為ではないであろうから、これはこれで宜しいのである。 お茶の時間だ。 |