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2000年11月分(11/1〜11/30)

2000/11/30

文責:い 80点

No.325

コンビニで買い物をした。
特別な品物を買ったのではない。ハイライトを買ったのである。

売買契約に基づいて、品物を手にして、お金を支払ったのである。
これは納得の行く行為だ。
民法に依れば、売買契約は申込と承諾によって成立する(民法555条)。
電車に乗るのも、動物園に入場するのも、印鑑証明を貰うのも、みんな売買契約を締結していることになる。

売買契約書は無い。
簡単に言えば、”売ります””買います”という意思の合致があれば、売買契約は成立する
順番はどちらでも良いのだろうか。
法律の、こういったところが解からない。

自動販売機で買い物をするときには、私と自動販売機との間で売買契約を締結していることになる。
否、そんなことはない。
自動販売機を設置したことで、売り主は”売ります”と宣言したのであり、自動販売機はあくまでも商品配送手段なのである。

物々交換はどういう風にみなすのだろうか。
お金を介在させて、擬似売買契約を二本用意して、法律に乗せていくのか。
そうしないと、それぞれの”物”は商品と認識されないのか。

そもそも商品とは何か。
財とサービスなんていう解釈は、その二つが現実に分離できるかどうかの問題を抱えている。

こんなことが解からないのかとの指摘を受けるかもしれない。
私は、経済学科の卒業であります。
だから何なのだということではなくて、とりあえずそんな立場でそんな知識を得た記憶があるのである。

最近はやりの特許。
システムを特許にすると言いながらも、あくまでも形あるものとしてでないと成立しないらしい。
記憶装置(記憶媒体)と言う形あるものを絡めないとダメらしい。

法学の分野になると考えるが、法学者は現在にどう生きようとしているのだ。
ノーベル賞に法学部門は無いということだが、先見性があった。
発足当時に法学の果たしている役割に問題があり、それが今日までずっと続いているということなのだろう。

今日は法学と経済学とについて語ったのであります。

2000/11/29

文責:い 80点

No.324

自分にやさしく、相手に厳しく。
これこそが、最近の私のモットーである。

なに、別に意識している訳ではない。
しかし、日々こんな風に生きているのである。
だから、廻りから見れば、こういう主義なのであろうと判断されていると想像するのに難くない。

誰からも注意されないのである。
誰も注意してくれない、と言ったほうが正確さに分がある。
ルールに対して自分で基準を作って、甘くなってきている。

特に、時間厳守という代物に関してが顕著である。
自分が遅れたときの言い訳に長けてしまった。
それだけに、他人の言い訳を咎めるのにも長じてしまった。

遅れるからには何か個人的な理由はあると思いますが、たぶん許されないことなのである。
最近では携帯電話というものがあるのであるから、少なくとも遅れる旨の連絡は必要である。

約束の刻限を過ぎて、遅れている奴に電話をすると、大概の場合、電話に出る。
掛けてこられた電話で、遅刻の言い訳をするのは、関わる人へ与える印象を非常に悪くする。

そうなんだけれども、自分も経験アリである。

約束の時間を守るのは社会のルールです。
肝に銘じることにする。

2000/11/28

文責:い 60点

No.323

年賀状の制作を少し手がけた。

学生時代の友人。
毎日激論と悪ふざけの連続で、忘れてはならない酒もよく飲んだ。

それが、年に二三回会う程度になって行き、やがて、年賀状の友人になりつつある人物が何人かいる。

変な意味ではなく、一緒に過ごすという目的だけのために時間を共にした友人がいた。
恋愛ではない。

自分の子どもを観ていて感じる。
今の学生にはどのくらいの自由な時間があるのだろうか。
学校週五日制による学校時間の短縮などは進んできていると聞く。
しかし、何か忙しそうに毎日を送っている。

何に追い立てられているのだろうか。
一緒に過ごすという目的だけのために時間を共にして、ゆっくりゆっくり友人関係が築かれ、気が付くと貴重な友人ができあがっていく。
そんな時間を感じたことがあるのだろうか。

とはいえ、テスト明けの彼女たち(娘が二人なのである)を見ると、つい、”勉強しろ”なんぞと喋って、逆に集中砲火をあびている。

どうも最近自分に余裕がなくてイカン。

2000/11/27

文責:い 80点

No.322

先日ガリレオの話を書いたから、という訳でもないのだが、木星が気になった。

昨日21:00頃に帰り、ふと空を見たのである。
天頂南東側に、ひときわ輝く星があった。
色合いからして木星である。
早速、双眼鏡を持ち出して、20X程度で眺めると、誠にシーイングが良い。
ガリレオ衛星4つ簡単にゲット。

ということで、コーワのプロミナ-フローライトTSN−3をセッティング。
天体望遠鏡と異なり、この野鳥観測用の一眼は、セットするのが簡単で、私のお気に入りである。
カメラ三脚に据付けて、お終い。簡易な経緯台として充分である。

せいぜい40Xにしかしないのである。
しかし、さすがにこの日のシーイングとフローライトである。
鮮明に木星の文様が見て取れる。
思い起こせば、久々の惑星観測である。

4つの衛星の並びを観れば、明らかに軌道の方向性は確認でき、その方向と縞の文様の方向とが一致しているのが観測できる。
木星の文様が鮮明に見て取れるとはいっても、そこはやはり40Xであり、縞は二本が区分できるだけ。
それだけである。

で、何なの、という問い合わせがあったときの答えは用意していない。
それだけなのである。

ネットの世界で、コンピュータのディスプレイ上に、公設機関のサイトに載せられた画像を導入して楽しませて貰ってはいる。
が、ライブの観測画像は、違うのである。
気持ちの問題といえば、確かにそうなんだろうけれども、明らかに違う。

プラネタリウムもなんか違う。
人工衛星の軌跡が見えたり、流星が流れたりと、誰も操作できない、そして再現できない世界で寒さをこらえながら星を見る。
良いモンデアル。
それだけなのである。

2000/11/26

文責:い 30点

No.321

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

どうも眠い日々が続く。
布団恋しい季節のなせる業。
温度管理の行き届いた部屋で、何も掛けずに眠るのは、快適といえるのだろうか。

外は厳寒。
室内に置いた水が凍るような環境で、分厚い布団を被って寝る。
こちらを選択したいような気がする。

2000/11/25

文責:い 70点

No.320

ガリレオがピサで生まれたのは、我々にとって幸せなことである。
ピサには、斜塔とシャンデリアが吊り下げられた寺院の礼拝堂とが存在したからである。

自由落下や斜面の運動についての実験に取り組むことになったのは、斜塔のお蔭様である。
振り子の等時性の発見は、寺院の礼拝堂に吊り下げられたシャンデリアのお蔭様なのである。

医学生ガリレオは、礼拝に行き、シャンデリアがゆっくりと左右に揺れるのを見た。

当時の時計は、”水時計(申し訳ないことであるが、実物を見たことは無い)”だったらしい。
多分(絶対)腕水時計は無かったから、彼の日常に利用した時間計測手段は、自分の脈拍であった。

簡単に言えば、自分の脈拍を時計代わりにして、シャンデリアの往復に要する時間を測ってみたのである。
大きく振れているときも、振れが小さくなったときも、振り子の周期は同じであった。

ここで一言。
私は知りたい。
どんな経緯で、シャンデリアが大きく振れていたのかを、である。

とまれ、ガリレオは、実験室(自宅)に帰って、早速同じ長さの振り子を二つ、そして、それよりも長い振り子を一つ用意し、実験を始めたのである。
実験の様子の記載は省略するが、振り子の等時性と呼ばれる現象を発見したのである。
付け加えれば、振り子の長さと一振りの所要時間との関係をも見つけた。

我々としては、当然彼が、振り子時計を作るに至って欲しいのだけれどもそうはならなかったらしい。
その後の数々の実験に取り組むようになっても、脈拍や水時計を使っていたという。

健康診断では、時計を使って、脈拍を計測している。
時計が先か、脈拍が先かの議論にはなりそうもないが、ちと気に掛かる話じゃないかい。

2000/11/24

文責:い 80点

No.319

最近、モニターや懸賞系の紹介メルマガの数にびっくりしている。

カットアンドペーストは、本当に便利な機能である。
これを悪用して、インターネット上の他人の記事を転載し、直ちにコンテンツとして仕上げることができる。
100の文章を作るのに5つずつ20ヶ所からコピーしてきて纏め上げるのである。
しかし、これを以って犯罪であると言い切れるかどうか。

もっとも、転載だらけの、制作者が裏づけを取らない記事は怖い。
掲載内容が正確なのかの判断をしているとは思えない。
私自身に判断力が無いからなのであろうが、また、裏づけを積極的に取りに行かないで、鵜呑みにしてしまいがちだからであろう。

念のために記述しておく。
私は、今言ったような性格ではあるが、ことこの自分のHPの記載内容については確信をもって書いている。

ただ、どうしても参考文献等引用元の表示はないがしろにしがちである点は、反省している。
疑問がある。
ネット上の他人の記述を引用する場合に、その情報源の表示はどのようにしたら良いのであろうか。
URL表示で充分なのであろうか。詳しい方は、教えてくだされ。

ま、声によるコミュニケーションと同じレベルになったと思えばよいのだろう。
ただし、間違った情報を次々と転載している限り、むしろ安全である。

というのも、信頼に値する制作者かどうかを判断できるからである。
オフラインでの会話では、相手の表情とか、声の色合いから、冗談と本気を可也の確率で判断できよう。
ネット上のコミュニケーションでは、頼りになるのは誤謬無き記載かどうかだけしか方法が無い。

騙されてはならないのである。
騙されるのは、騙された者が悪いのである。
こう考えるしかない。

問題は、情報として正しい記事が転載されている場合なのである。
ソースとなった記事を制作した人間に対する、本来の報酬がないがしろにされている事態が問題である。

Copyright (C) 2000  xxxxx.inc.. All Rights Reserved. という類の記載がHPには良く見かける。

自分の”著作物”を、”権利保護”しようとしているのであろう。
しかし、逆に、自分の記事に関する”責任”を明確にしているという意味でもあると考える。
ホントニ権利主張してしまって良いの?

2000/11/23

文責:い 90点

No.318

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

今日は、早慶戦である。
去年は、盛り上がっていた。秩父宮で観た。
今年は、行けない。

早明戦は、毎年国立競技場に行く。
ここのところ数年は、4人で行く。
一人は妻。
他の2人は、年に一度この日にだけお会いする方々である。

不思議な因縁である。
今年も、12月の第一日曜日は間も無くやってくる。

2000/11/22

文責:い 70点

No.317

11月22日。 ”いい夫婦の日”。

11月23日。 ”いい夫妻の日”。

良い悪いの判断はしてくれなくても良いから、”夫婦の日”または”夫妻の日”の創設を祈る。

因みに、今日の我家は、構成員の一人が誕生日であり、ケーキを食うらしい。
ケーキショップは、”ロンシャン”か”青い鳥”であろう。

どちらかというと、”ロン”か”鳥”の店に行きたい私であります。

二日連続して、これだけ短い文章で終わるのも珍しい。
良いことをシタモノダ。

2000/11/21

文責:い 40点

No.316

我家は、11/20が恵比寿様のお祭り。
10/20が、地域住民で祀る弁天様のお祭りということの影響である。

昨日解明した成果で、鶏子を大威張りで食しながら一杯やっていると、臨時ニュース。
アレっと思い、もう一度良く読む。
ナンダコリャ。

ご本人さんの辞職をオススメ申し上げる。

今回の行動の目的についての判断を述べるつもりは無い。
そりゃあないよ加藤さん、の一言だけを言わせて貰いたいだけである。

2000/11/20

文責:い 80点

No.315

私は、鶏子が大好物なのである。

40歳などトウに過ぎた年齢と、8月からこっちで8kg増という事実とで(他にも考えられる理由はあるようであるが)、かみさんが、鶏子の摂取を控えろと言う。

控えたくないのであるから、参考文献を探したのである。
と、あるあるなのである。様々な場所に書かれている。

コレステロールは、特に、中高年には動脈硬化などの要因となると考えられている。
世に言うコレステロール悪玉説である。
そもそも鶏子がコレステロールの”元凶”といわれるようになったのは約90年前、ロシアでの実験が契機であった。
ウサギに鶏子を投与して行った実験である。

しかし、草食動物であるウサギに、動物性脂肪を含む鶏子を与えれば、コレステロールが増加するのは当然のこと(ここのところの根拠が弱いようで、少し気になる)。
その結果を、肉食性の人間に当てはめることは無理がある(ここも同じ気がかりアリ)。

いいぞいいぞ。

コレステロール自体は、人間の細胞膜やホルモンの元となり、脂肪の消化・吸収を助けるなど体を維持する上で重要な働きをする。
動脈硬化は血管の病的な老化が原因であり、血中コレステロール値が高いことは直接的な原因ではない。

一方、鶏子に含まれる良質のタンパク質は、血管に十分な栄養を与えてしなやかな弾力性を保つ。

更に、鶏子には、タンパク質の他に、ビタミンAやB1、B2、D、Eなどが豊富に含まれている。
ビタミンB2やEは、動脈硬化を促進する物質の生成を抑制する。

鶏子の良質なタンパク質は、エネルギー源として働き、疲労回復や内臓の働きの活性化も助ける。
人間の体内では作ることのできない8種類の必須アミノ酸すべてがバランス良く含まれており、消化吸収も抜群。
これは、肉や魚、大豆など他のタンパク食品と比べても優れた特徴。

まだまだあるぞ。

鉄分は、ほうれん草の約2倍、カルシウムも、牛乳の約1.5倍とミネラル含有率も抜群。
まさに鶏子は完全栄養食品である。

ばんざーい。
も少し行ってみよう。

鶏子には、肝臓でアルコールを分解するときに必要なアミノ酸メチオニン(二日酔いの薬にも必ず入っている)が多く含まれている。

弱った肝臓の回復力を高める成分である3つのアミノ酸(シスチン、グリシン、グルタミン)もバランスよく含まれている。
酒の肴には、鶏子料理がお薦めなのである。

体に有害なウィルスを溶かす働きを持つリゾチーム(風邪薬にも使われている)は卵白に含まれる酵素。
殺菌効果抜群で免疫力を高めるのである。

卵黄に含まれるコリンは、脳を活性化し、老人性痴呆症(ボケ)の防止に有効らしい。
また、体内では、神経伝達物質アセチルコリンに変わり、記憶力や学習能力をアップ。
鶏子は全食品の中で、最もコリンの含有率が高く、吸収のしやすさでも、飛び抜けているのである。

ここまでなんだかんだと書いて来たが、最大の売りは、美味くて価格安いことだと、声を大にして叫ぼう。

これで、心置きなく鶏子が食える。
めでたし、めでたし。市が栄えた。

2000/11/19

文責:い 70点

No.314

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

今年のLeonids Meteor Stream に関しては、
次の一文参照を以っておしまいである。


---------------------------------------------------------------------”
2000年10月26日付の 国立天文台・広報普及室執筆に
よる国立天文台・天文ニュース (389) 2000年の「しし座流星群」”抜粋

アッシャーの予測では、2001年には日本を含む東アジアで1時間あたり1万5000個の流星雨が出現する可能性があるということです。もちろん100パーセント確実なものではありませんが、来年は月の妨害もありませんから、今年よりも大きな期待の下に「しし座流星群」を待つことができるでしょう。

---------------------------------------------------------------------”

尚、アッシャー(Asher,D)は、昨年(1999年)の”しし座流星群”のピーク時刻を当てて有名になったイギリス人。 

2000/11/18

文責:い 50点

No.313

10/18に書いた、

Leonids Meteor Stream の話。

そろそろ準備にかかる必要がある。
欠勤の届も出さなくてはならない。
屋外での辛抱強い行動のために、防寒具の手入れもしなければならぬ。
11月中旬を越えると、とにかく寒いのである。

11/18 03:00〜05:00 と 11/18 03:00〜05:00とに、勝負を賭けよう。
何と、今年は、土・日曜日ではないか。

という土・日曜日がやってきた。

昨日は雨。1月上旬の気温との報道アリ。
更に天気予報では、明日は快晴とのこと。
こりゃ夜中は一層冷えるぞ、との覚悟で、夕食のテーブルに着く。

シュラフは用意した。懐炉もある。
HALF AND HALFは新品。
椅子も大丈夫。
グレンフィディックはフラスクに詰まっている。

21:00とりあえず寝てしまう。
明けて、02:00起床。
起床して即座に気象庁に問い合わせ.....は、しない。
自分のいる場所を含む広域エリアが”晴れ”と表示されていても意味は無い。
私のいる場所だけ晴れれば良いのである。

”このクイズは当選確率99.9%です。あなたの応募をもちまして、ただ今1,000人の規定応募者に達しましたので締め切ります。”

1,000人の中に入れたと喜んではいけない。

このあと直ちに抽選に入り結果通知が来るのである。
曰く、”残念ながら、....”

そう、肝腎なのは、まさに目の前にある現実だけなのである。

雨は、明確に、事実として降っているのである。
今日は、電波観測や、インターネットでの他者の観測情況を確認するつもりは全く無い。
飲みながら、空を眺める。
晴れたとき想定される行動と、全く同じ行動をとったのである。

06:00月が雲を透かして見えるようになる。
3時間遅かった。
観測流星数ゼロ。これが、Todayの報告である。

2000/11/17

文責:い 90点

No.312

大事件である。
ラップにくるんで冷蔵庫の野菜室で保存してあった、すり残しの山葵を発見。

鮫皮おろし器にあてて供する山葵よりも、おろし金で大雑把にすりおろし、俎板の上に載せて包丁で叩く方が好みである。
かつて聞いたことのある方法を試してみる。
予め、砂糖を少し振っておく。

もちろん、洗い流してから、作業に取り掛かる。
辛味を増すというのである。
時間を掛けて、売場で選り好みをして持ち帰り、おろす時にもまだ高価な印象を抱いているときには、あまり冒険は好まない。

香り(あのツンという刺激とは別物)を損なっては元も子もない訳であるから、こんな実験には、偶然出会った今日の山葵はモッテコイデアル。

砂糖、効果ありである。

そうこうしていると、新海苔の生モノが届けられた。
今年は随分と遅れている。
しかし、この絶妙のタイミングで我家に到着するところをみると、今年も海苔とは仲良くできそうな予感がする。
三杯酢は家族用に拵えて、自分用には、水洗いのみで小皿に載せる。
山葵醤油で食すのである。

今日は、山葵の効用などを書こうかと思っていたのだが、そんなものはまたの機会に譲ろう。
山葵も海苔も、そして日本酒も、香りに関しては共通点がある。
全て、口から鼻に抜いた空気で香りを楽しむのである。
いわば、吐く息(ただし、鼻腔から)で匂いを嗅ぐのである。

子供には解かるまい。

2000/11/16

文責:い 70点

No.311

昨日(11/15)は七五三であった。
我が家の娘の七歳のお祝いも、既に遠い話になったものである。

七五三とは、子供のそれまでの無事な成長に感謝し、今後の健康を祈るもので、男子三歳と五歳、女子三歳と七歳に行われるという。

11/12が直前の日曜日ということで、報道によれば、各地の神社は可也混雑したという。
が、どうも近辺での情況を眺めると、実感がない。
写真屋さんの話では、ここ数年は、来店して記念写真を撮影する家族(祖父母を含む)は、非常に稀であるとの声。
ここでこれを、昨今の不況と結びつけるつもりはない。

あるホテルのチラシにあった、七・五・三歳で、また、11/15に、お祝いされるようになった由来。

奇数は吉数として縁起の良い数とされた事と、その昔、三歳を”髪置き(かみおき)”、五歳を”袴着(はかまぎ)”、七歳を”帯解(おびとき)”と言った事からだそうである。
”髪置き”は、赤子は男女とも頭を青く剃り三歳になって髪を伸ばす風習から、”袴着”は、男の子が初めて袴をはく年、”帯解”は、女の子が紐付きの着物から帯に変えた事に由来します。
11/15に定着した理由は、諸説あるようで、この日が二十八宿(古代中国の星座)の”鬼”宿日で祝い事に最良の吉日であった事と、産土神に秋の収穫を感謝する月(新嘗祭)であり、その月の満月の日が選ばれたとか、霜月祭(家業に関係深い神々を祭る日)に因むとか、徳川幕府三代将軍家光の四男徳松(のちの五代将軍綱吉)の五歳の祝いが慶安3(1650)年11月15日に行われたことに因むとか...。

可也読み辛かったと察する。
それにしても、よくぞこれを以って”由来”と言い切ったものである。
男子三歳と五歳、女子三歳と七歳に行われる理由としては、上手くできている。

11/15に定着した理由の方は、いただけない。
祝い事に最良の吉日を、この行事に使っちゃって良いのだろうか。
他の行事にダブらせて催し事を行うのだろうか。
徳川の話に至っては、何か理由があって11/15に決定したのであろうと考えなければならない。その理由が知りたいのである。

それはまあどうでも良いのでありますが、”七五三”というネーミングは、素晴らしいの一言に尽きる。

子供の数の激減が、非常に気になる。

2000/11/15

文責:い 90点

No.310

ごく稀になのだけれども、電車にもお世話になっている。

つり革広告とか、山手線にあるようなディスプレイ広告とかには、食い入るように見つめてしまう。
物珍しいのである。

簡単に言えば、田舎モノなのである。
おのぼりさんらしい仕草を、皆さんに見せているのだろうなと意識する。
と、何かホクソエムし、おのぼりさんを演じてやろうと下手な芝居を打ったりする。
性格が悪いのである。

車内アナウンスで気になることがある。
携帯電話の使用を自粛するように求めるアレのことだ。
東急電鉄(だったと思う)は、”奇数車両は携帯メールOK”という”棲み分け”作戦をとるということで話題になった。

”車内で携帯電話を使って会話するのは周りのお客様のご迷惑になるのでご遠慮下さい。”
これは、言いたいことが解からない。
字義どおりに読めば、車内での会話は全てを禁止しなくてはおかしい。

”車内で大声で会話するのは周りのお客様のご迷惑になるのでご遠慮下さい。”
こうでなくてはならないのだ。
実際、迷惑に感ずる会話は多い。
特に、当方の興味ある話題を近場でやられると、”ひとこと言わせろ”との衝動を、何時まで自己規制できるか不安なのである。
そこで喋って、変なおじさんに看倣されるのは私だが、悪いのは大声で会話する奴らだ。
こんな風に迷惑している周りのお客様もいるのである。

本当にペースメーカや人体に対して、致命的な悪影響があるのであれば、そして、携帯電話の便益がその悪影響がもたらす不利益に比して小さいのであれば、電車内での使用に留まらず、携帯電話は如何なる場所においても禁止すべきなのである。

ペースメーカーを利用していることは、それ自体不名誉なことではあるまい。
従ってかかる人は、何らかの形で主張すべきなのである。
胸に統一マークを表示するとかして、俺の周りでは携帯電話利用を止めろ、と言うべきなのである。

そうすれば、私たちのやらねばならないことが見えてくる。
マークを付けた人の周りで携帯電話を利用する阿呆者が出現した情況に出くわしたならば、糾弾するのが市民としての努めであると認識する社会を創るべきなのである。

念のためであるが、私は人体に悪影響がある、と感覚的に思う者の一人であります。
そして、携帯電話の便益を知ってしまった者の一人であります。
携帯電話を使用禁止にした社会では、生活できない。

携帯電話を多くの人々が所有しているのは事実であるし、また、相手はどこでもいつでも持ち歩いていると信じて送信しているのである。
もはや、常に連絡が取れることを前提に社会の仕組みが蠢いている。

だから、ペースメーカや人体に対して、致命的な悪影響をもたらすことの無い携帯電話機を製造して欲しい。
少なくとも、現在の情況を知りたい。
悪影響があるのならあるというデータを正直に開示して欲しいのである。

2000/11/14

文責:い 80点

No.309

外国人とのメールのやり取りを経験した。
多分外国の方だと思う、と言った方が正確かもしれない。

今までも、HPを見て問い合わせのメールを送り、その返信を頂戴したという経験は何度かあった。
しかし、この場合は、あくまで公式なメールであって、クダケタ表現は無かった。

ところが、今回のメールには、顔文字がまぶしてあるのである。
驚きヤンシタ。

”:) ”は smile
”:' ”は crying
”:D ”は laughing
ということだそうだ。
解からなくもないという微妙なところ、と感じた人は多いのではないか。

最近の顔文字には、ここまでやるかとびっくりするものもある。
自分のマシン環境を唯一の標準として、力作を日々制作している人々が大勢いると聞く。

私なんぞは、プロポーショナルフォントの方が馴染み易いので、その設定で何年も経過したのである。
数行にわたる顔文字の作品を最初に頂戴したときに、”なんじゃこりゃ”だった。

突然ですが、当社はメールマガジンを発行します。
みなさん、この際自分のマシンのフォントやエンコードの問題を研究してみては如何でしょうか。
お買い求めのマシンの標準設定は、世界標準の設定でないことだけは確かです。
面白い発見が可也あろうかと思う。

今日は、私が最近プロポーショナルフォントを捨てた、ということをくどくど記述したのであります。

2000/11/13

文責:い 70点

No.308

回覧版というのは、不思議なシステムである。

町内会(区と称する)の分会である隣組(谷と称する)20軒ほどの集
まりで運営している。
富津市の広報誌も富津市農協の広報誌も、このシステムを利用して宅配
される。
ただ、それぞれの家によっては所属していない組織もあるので、我家を
含む回覧版システムは、5つある。

市の広報誌の配布に使用するのは、全戸参加用システムである。
他は、老人会用、農事研究会用、お祭りの氏子用、子供会用といったと
ころだ。
このシステム、一体誰が一番利益を受けているのだろうか。

回覧版システムに似た、”隣継ぎ”というシステムも存在する。
伝言ゲームの実用版である。
伝言ゲームは、最初の文言が、正確に伝わっていかないで、末端に至っ
たときに、改められた文言になるのが楽しいはずなのである。

たまたま私しか家にいないときに、お隣さんから”隣継ぎです”という
声をかけられると緊張する。
待った無しなのである。紙と鉛筆を用意してなどと悠長なことを言って
はいられないのだ。

”隣継ぎです”は決り文句であるから、これは良い。
この後に来るメッセージは、一言半句遺漏してはならないのである。
手に汗が出てくるのだ。
インフォメイションテクノロジーは自分の身体のみ。
脳で記憶して、足で歩いてお隣に行き、口を使って音声で相手に伝える
のである。

相手は、あまり緊張している素振りを見せない。
ここで、この人大丈夫かしらなどと、こちらも余裕を持った態度に出て
はいけない。
緊張は継続しなければならないのである。
文言を発声したのならば、即座に退散しなければならぬ。
ここでも、まだ緊張は継続しなければならないのである。

世間話なんぞをして、リラックスして時間の経過に任せていると大変な
ことになる。
帰り際に、”えーと、隣継ぎの内容はナンダッタッケ”などという言葉
を浴びせられることになるのだ。

とにかく先方の陣地から出るまでは、当方には伝令という役職名が付い
ているのである。
先様に情報が正確に伝わっていない以上、伝える側の責任なのである。

電脳掲示板システムを採用してくれと、声を大にして言いたい。
そうでないと、緊張の連続で寿命が縮むのである。

2000/11/12

文責:い 80点

No.307

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

最近流されている広末涼子のコマーシャル。
気になる。
飲酒は20歳から、の根拠。

//////////////////////////
未成年者飲酒禁止法  抜粋

第一条 未成年者の飲酒禁止 
  満二十年に至らざる者は酒類を飲用することを得ず
2 未成年者に対して親権を行ふ者若は親権者に代りて之を監督する者未成年者の飲酒を知りたるときは之を制止すべし
3 営業者にして其の業態上酒類を販売又は供与する者は満二十年に到らざる者の飲用に供することを知りて酒類を販売又は供与することを得ず

第三条 罰則 
  第一条第二項、第三項の規定に違反したる者は科料に処す
//////////////////////////

第一条第二項、第三項には罰則があるが、第一項には無い。
つまり、酒を飲んだ未成年者自身は処罰されないのである。

”科料”とあるのは、罰金ほどではないにしろ、お金を払わなければならない罰則のことで、具体的には1,000円以上10,000円未満である。

2000/11/11

文責:い 80点

No.306

本日作業分から、レイアウトとフォントを少し変更しました。

先ずは、”入ってくるエネルギーを減らす”というアプローチについて。

”食事により摂取するエネルギーを減らす”ということをダイエットという。
厳しい食事制限によって、短期間で一時的にやせることは可能である。
摂取エネルギーが足りなくなると、体を動かすために、体脂肪がエネルギーに変換される。
体脂肪は、イザという時に備える貯蓄なのである。

人は一日中寝ていたとしても、生命を維持するために最低限のエネルギーを消費している。
これは基礎代謝と呼ばれ、一日の消費エネルギーの内のなんと6〜7割を占めている。

ダイエットにより、カラダに入ってくるエネルギーが極端に少なくなると、この基礎代謝量も極端に下がる。
これは、カラダが飢餓状態になったと判断し、少ないエネルギーでも生きられるよう、省エネ体制に入ってしまうのである。

食事制限などで飢餓状態を繰り返すと、カラダは防衛のためにせっせと”省エネ・貯蓄”をするようになり、結果、体脂肪が貯まりやすくなるのである。
厳しい食事制限によって、短期間で一時的にやせることは可能であると記載した、”短期間で一時的に”というのは、こんな意味なのである。

”入ってくるエネルギーを減らす”というアプローチでは、だんだん体脂肪が減りにくいカラダになってしまうのである。
長期的に考えると芳しくないようである。

次に、”消費エネルギーを増やす”というアプローチについて。

どうやら画期的な方法は紹介できない。
お詫びに、そのメカニズムを披瀝しよう。

適度な運動が有効。これが結論。

運動をすることによって、その時の消費エネルギーが増えるだけでなく、筋肉の量が増える。
筋肉の量が増えると、基礎代謝量も上がる。
動かなくても消費されるエネルギーが増えることで、結果としてカラダ自体が太りにくいカラダになる。

良い事尽くめ、とはこのことだ。

1.食事により摂取するエネルギーを抑えつつ、2.適度な運動で基礎代謝を高めて 消費エネルギー量を増やす。
効率良く、体脂肪増加を防止するには、これら二つのアプローチを同時に行えば良いのである。

さてと、これでメカニズムも解かったし、やらねばならないことも解かった。

ん?

”1.食事により摂取するエネルギーを抑え”るといっても、どの程度抑えたら良いのだ!
”2.適度な運動で基礎代謝を高めて消費エネルギー量を増やす”といっても、どの程度が適度な運動なのだ!

つまるところ、ここまでの記載は、実践には、何の役にも立たない情報でありました。
毎度の事ではある。

2000/11/10

文責:い 80点

No.305

しじみを食すことができたことを報告しておく。
しじみ身を食うという実践から、それでは、焼いて食ってみようと考えた。
”これは止した方が良い”との結論が導かれたことも報告しておく。

もう一日お酒に関する話。

さて、ちと太ってしまったのである。
二ヶ月で8kg。体重変動が激しい性質である事は承知しているが、それにしても驚異的なスピードでの増加であった。

アルコールの採り過ぎは、肥満を招くと言われている。
トリスギはフトリスギなのである。

次のような見解もある。
肥満は、アルコールと一緒に摂るつまみや食事が主な原因である。
アルコールは吸収が早く、体内に入ると、先にエネルギーとして利用される。
そして、一緒にとった糖分や脂質は利用されずに、体脂肪として蓄積される。
また、アルコールには、胃酸の分泌を活発にして食欲を亢進させる作用があり、知らず知らずのうちに食べ過ぎてしまう惧れがある。

この見解は、一見否定しているようでいて、”アルコールの採り過ぎは、肥満を招く”という命題を、残念ながら、否定してはいないのである。
先にエネルギーとして利用されるといっても、エネルギー消費に使用される以上に摂取してしまえば、やはり、体脂肪として蓄積されるのであろう。

体脂肪は、カラダに入ってくるエネルギーより、消費されるエネルギーが多くなることによって、ようやくエネルギーとして使われ始める。
つまり、”消費エネルギーを増やす”か”入ってくるエネルギーを減らす”かのアプローチをしないと、体脂肪は減らない。

これら二つのアプローチについての記述は、明日なのである。

2000/11/09

文責:い 60点

No.304

しじみについて。

宍道湖の干拓事業が云々...ということには全く関係なく、極めて即物的な話であります。

二日酔いなのです。
久しぶりに酷い目にあった。
酒の量は普通だったはずなのである。
はずなのである、などと書いているところを観ると、つまり、断定していないのであって、可也怪しい気がしないでもないのである。

で、しじみ汁を頭が求めたのである。
二日酔いの朝に、しじみ汁を飲むと回復が早いような気がした経験がある。
頭は求めても、我家の奥方が、たまたま昨日しじみを買い求めてあった、などという僥倖はありえないのであって、従って、我が家には、しじみは無いのだ。

二昔前くらいであれば、近くの川に行けば、食卓を飾る程度のしじみを採ってくるくらいは、文字通り朝飯前だったのだが、今はそれもできやしない。

悔しいから、百科事典などという、外装は埃だらけでも、中はまっさらであり、とても寝ッ転がって読むなんぞはできない代物を食卓に置く。
一応気分はしじみ汁の朝食である。

しじみには、アルコール分解で疲れきった肝機能の再活性化に有効な成分が数多く含まれている。
良質な蛋白質が機能修復に使われ、その蛋白質を取り込む際に必要なビタミンB12も、大量にふくまれている。
更に、タウリンも豊富で胆汁の生成に役立っている。

これでは、矢張り今日の朝食には、是非ともしじみ汁を食さなければならない。
買いに行くのである。
と、思い立ったのだけれども、その前に、ちょっと気が付いたことを書いておかねばならない。

しじみ汁って奴は、皆さんあの貝の身の部分を食すのだろうか。
あさり汁は、当然ハマグリ汁も、確実に食しているはずである。

しじみは汁だけ啜っていたような気がする。
しかし、先ほど紹介した百科事典の記載によるところの”良質な蛋白質”は、身に存在するとしか考えられないではないか。

これからは、進んでしじみ身(シジミミ)を食おう。

2000/11/08

文責:い 70点

No.303

とあるHPで単位のページがあった。

テラ    T    10の12乗    1兆倍
ギガ    G    10の 9乗   10億倍
メガ   M    10の 6乗  100万倍
キロ   K    10の 3乗  1000倍
ヘクト   h     10の 2乗   100倍
デカ   da    10の 1乗    10倍

デシ   d    10の −1乗       10分の1
センチ  c    10の −2乗   100分の1
ミリ    m    10の −3乗  1000分の1
マイクロ μ    10の −6乗 100万分の1
ナノ    n    10の −9乗  10億分の1
ピコ    p    10の−12乗   1兆分の1

この部分の記載は、転載自由とのコメントがあったので、自由に引用させていただく。

新聞、テレビニュースに メガ、ギガ、ピコ、ナノなどという言葉が出てくるたびに、何となく解かったような顔をしているが、その実何も解かっていない。
nメガリットルなどと言われても、想像がつかないのである。

もっとも、ビールの消費量を説明するのにあたり、東京ドームn杯分などという表現もしかりである。
それじゃあ、東京ドーム1杯分と霞ヶ関ビル3杯分とでは、どちらが多いのかと問われて、明確に正解を答えられる人はいないだろう。

言語は、時代と供にその意味を膨らませていく。
膨らませすぎて、全く逆の意味を併せ持つ場合もあるし、また、本来の意味と逆の意味になってもとの意味を放逐してしまう例すらある。
何処かの機関が、言語を管理している訳ではないからである。

しかし、単位というのは、こんなことがあってはならないのであって、何処かが管理しているのだろうと思う。
思うのだけども、何処が、となると、今日の6時間に亘る調査では判明しなかった。
一体何処なんだい。

ついでだから書いておく。
気象の気圧の単位に使われているヘクトパスカル(hPa、圧力の単位であるパスカルの100倍という意)に、ミリバールという表現から移行してからどのくらいの期間が経過したのだろう。
最早ミリバールの方が奇妙に聞こえる。
そんなものなのである。

2000/11/07

文責:い 90点

No.302

一年程前から気になっているテレビコマーシャルがある。
滋賀県のCMだ。

滋賀県が琵琶湖を預かっているというアレである。
バックには、”琵琶湖舟航の唄”が流れる。
イングリッシュバージョンである。
何故こんなに気になるのだろうか。

私が、カラオケで歌う唯一とも言ってよい歌が”琵琶湖舟航の..”である。
早、25年も歌っている。
これも原因の一つではあるだろう。

そもそも、滋賀県に興味を持ったのは、漱石の書き物の中の”近江土山雨が降る”との一節である。
東海道五十三次、近江土山は、お上りさんにとって終点に近い。
その甲賀郡土山町に、25年ほど前に知人ができた。
所謂観光旅行でなしに、他所の土地に訪問したのは、此の地が初めてであった。

名にし負う近江商人の発祥の地、甲賀・伊賀の里にも程近い。
余談では在るが、甲賀・伊賀は、国こそ異なるが、山のあっちとこっちの場所に相対して在る。
生活する人は皆、勤勉なのである。
主張すべきことは、執拗に主張する。
そんな風土、即ち文化がある。

人間が生ぬるくなく、真剣勝負で生きている。
親は子供の教育に熱心であり、期待を込められた子供たちはその期待に応えるべく真面目に勉学に励む。
そして、その土地に対する執着心は無く、志は自由である。

都に程近く、支配階級の犠牲にされた地域のイメージが強いのだが、それゆえ案外、醒めた目で世の中を見つめて行動してきた習慣がそうさせたか。

琵琶湖は、太古から移動を続け、現在に至ったと聞く。
あの大きな湖が、本州中央部を移動し続けているらしい。否、移動しつづけていたらしい。
今や、人間の知恵で、琵琶湖も湖岸が確定させられ、自由な移動が阻まれている。
こんなことを、地学の時間に学んだ記憶がある。

現在滋賀県がお預かりしている、というのは、この現象を受けての言葉なのではないのだろうか。
そういう意識が働いて、矢鱈気になるテレビコマーシャルとして耳に伝わっているような気がしてきた。

これを確認すべきかどうか迷っている。
コピーライターに、直接尋ねる方法はあるのである。
現在という時代は、こんなことは、一般人にとっても極めて容易に可能なのである。

可能なんだけれども、実施しない、あるいは、実施したくないのならしないという選択は自由なのである。
可能、つまり何でもできるということは、逆に不自由だ。
できないのなら、なんとかしようと頑張ってみることに価値を見出せる。
しかし、できることをスルのかシナイのかを選択するのに、何を基準にするのか。

難解である。

2000/11/06

文責:い 70点

No.301

昨日刊が300号であった。
だから何なのだということも無い。

畑芋から一週間たった。
今年は山芋が早い。
自然薯の人工栽培(言語ニ矛盾アリだが、そういうことなのである)モノが出荷になった。

早速喰らう。
自然薯は、”麦とろ”に代表されるように、飯に掛けて食すのが一般的なのだろう。
出し汁で延ばすことで、その粘性を押さえ、重ねて味付けを加算する。
正直な話、量目を増やして、少ない食材を、大人数で食するための知恵から出発したものであると推定している。

しかし、肴として考えたときには、汁物を啜りながら酒を飲むのは、今ひとつ面白くない様子である。
矢張り、搗き立てのモチのような食感こそが相応しいだろう。
ただし、色合いの問題があるから、鶏子と醤油を入れてすり鉢にてあたる必要があろう。
驚くべきことは、出来上がったトロロを箸で摘み上げることができ、あたりに使用したすり鉢には、全く痕跡を残さないことである。

こんな奴は、ちぎって食すのである。
噛み付けば、食いちぎった跡には、歯形がつく。嘘みたいな話だ。
この手のトロロは、揚げても美味い。
海苔で巻いてなんてことはシナイ。
本体に揚げ色が充分つくまで念入りに揚げる。

海の幸山の幸、これだけは、どの地域にも負けない。
俺の自慢の一つである。
全く以って自分が何をやったというものではないのであるが、ここに住まっているのは私の意志である。

だから何なのだということも無い。

2000/11/05

文責:い 40点

No.300

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

”ファックス送って頂戴。”-ーーーーーーーー ”O.K.。”

こんな会話は、日常的になされているだろう。

宅配便で事務機器ファックスが送りつけられることは無い。...と思う。

2000/11/04

文責:い 60点

No.299

二千円札について。

先頃の報道に在った。
二千円札が市中に出回らない。
日銀としては、ちと困った問題であるらしい。
そこで、日銀トップは考えに考えて一つの方策を練りだした。

日銀マン(これについては、批判してはいけない。日銀に勤める方々の意。)に対する給与の支払いに、二千円札を用いることにする、というのである。

これを、給与、もとい、窮余の策という。
今日は、この駄洒落が書きたかっただけなのであるが、続ける。
この報道では、二千円札発行の良し悪し事柄を付け加えて記事にしていた。
良しについては、軽く触れるしかなかったようであるが。

別の点に注目したいのである。
日銀では給与の支給に現金を用いている、ということを知るに至ったのである。
銀行口座への振込支給ではないのだ。
特定の銀行との関係を持たないということなのであろう。
ハシタナイ言葉であるが、”マジかよ”なのである。

銀行(金融)システムの崩壊は、世界経済全体、勿論、個々人の生活経済に至るまで、あらゆる経済主体に影響を及ぼし、その影響のサイズは、想像を絶する。
こんな訳の解からない文言で、金融機関の救済に動いた政府の、その方面における専門部署の一つと言っても間違ってはいまい。
日銀が株式会社組織である事は、一応存じております。

かかる銀行(金融)システムの崩壊が、万一発生しても、日銀マンの家庭だけは、そのシステムから隔絶しておきたいという事なのだろう。
現金主義の最後の砦、その名は日本銀行。
職員さんも容易なものではない。
電気・ガス・水道料金の支払いは、全てそれぞれの営業窓口での現金払いだし、インターネットショッピングは、代引き扱い以外のオプションは選択できない。

一番の問題点は、通常の金融機関との金銭消費貸借契約が結べないということであろう。
したがって、社内貸付制度は充実している。...筈である。

日銀の名にかけて、日銀マンだけは金融システム崩壊時にも、個人的にその影響を被り仕事が手につかないなどという事態が無いように、常日頃の多少の不便さも我慢するよう社員教育をしてくれていたのである。

待て暫し。
二千円札での現金支給で驚いたのは迂闊であった。
今までは、千円札だったのだろう。
つまりこれは、給与支給事務の効率が画期的に向上するということを意味するのだ。

各支店の支店長の社宅が、豪邸であるとの批判を受けても、それだけの規模が必要であった理由もはっきりした。
特定の銀行との付き合いが無いのだから、現金の管理は社員個々人の責任で行わなければならない。
現金は嵩張るのである。
しかも、くどいようだが、現金である。
盗難に対する備えをしなくてはならぬ。
堅牢な金庫が必要だ。当然である。

本支店の社内には、社員一人ひとりの金庫スペースを設置するのはマズイ。
そうだ、支店長社宅にて、代理機能させればよい。こう考えたのである。
広大な敷地は、地下金庫の存在を仄めかす。
屋敷の大部分は、来客(社員専用)用のロビーまたはラウンジなのである。

謎は、全て解けたのである。

2000/11/03

文責:い 60点

No.298

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

人里離れた地に畜産農家がある。職住ともにその地で暮らす。
何故か。

排泄されるし尿その他による匂いが、近隣住宅にとって悪臭と認識される故に、街を構成する住宅密集地には馴染まないのだそうだ。

この方は、もともとは、もう少し開けた(この言い方は不遜であることを承知している)土地に住んでいた。
しかし、近所に徐々に新住民の家屋が建てられて、やがて、この住民から悪臭公害であるとの糾弾を受け、止む無く移転したのだそうだ。

その人里離れた地にある畜産農家を訪れた私は、現在の地において発生している匂いを、悪臭であると断言できる。

2000/11/02

文責:い 90点

No.297

再びLeonids Meteor Stream の話。

彗星と流星との区別がついていない方が多いのに気付いた。
最近、日々出会う人に”しし座流星群”の話をしている。
どうも話がヘンテコリンなのである。
特別詳しく知っているわけではないのだけれども、一応の解説はさせてもらっている。

流星群と名のつく流星の素は、確かに彗星がその軌道上に撒き散らした塵である事が、そう古くはない時代に確認された。
しかし、言うまでもないことであるが、これを以って、彗星と流星とが同じモノである、との見解とするのは間違いである。
写真映像で見る彗星と流星とは、似ているということもできよう。
が、次の一点において確実に異なる。

彗星観測は、ある一点を見つめれば確実に観測できるのであり、流星観測は、できないのである。

流星を観る会を開催しようと呼びかけると、望遠鏡を必要とすると考えるらしく、じゃあ木星を見せて、などという言葉が返ってくる。
私は、単純に空を眺めるのだと言うと、驚く。
一度だけ、望遠鏡の視野に流星が飛び込んだ経験はあるが、これは全くの僥倖である。
捉えようとして捉えることは、全く不可能ではないが、かなり可能性は低い。

観測なんて言葉を用いる必要は無いのである。
大きな流星を目の当たりにしたときの感動を、共有しようと考えて、皆に呼び掛けているのである。

夏には、蚊に悩まされ、冬には寒さに耐え切れない。この二つの時期には、毎年楽しませてくれる流星群があるのではあるが。
今回11/18・11/19早朝も、可也の寒さは想定されるが、まだまだ秋の寒さである。
そしてこの時期は、空が比較的澄んでいるのである。
多分せいぜいあと二三年の”しし座”の活発期を逃すと、気楽な流星群はお目にかかれない。

とにかく、騙されたと思って、参加しませんか。
実際、騙される可能性は高い。
なに、天気に邪魔をされるなら言い訳が立つ。
しかし、私が考えるほどの出現が無いのかもしれないのである。

騙されに来ませんか。
特定の場所を誂えたりはしない。
ただ、03:00〜05:00の間星空を見上げようよ、というお誘いなのである。

2000/11/01

文責:い 60点

No.296

11月になった。
菊が見頃である。

父(当家においての地位は、爺さん)も、70歳を超えてから弄り出した。
年を重ねるに連れて、確かに上手くなっている。
入れ込み方が違う。菊作りは一年を通しての作業なのである。
農業に関してはプロフェショナルなのである。
スペースもあるし、作業道具も肥料も本格派である。
ただし、お金をかけて趣味を楽しむという考え方は毛頭無い。
喜ばしいことである。

菊に限らず、季節の花を咲かせることに、そして、庭の草むしりに没頭し、更に、季節の野菜を育てて、自家の食卓に載せてくれる。
これに対して、息子(当家においての地位は、父さん)は、如何なる行為に及ぶかといえば、最近では、誉めて遣わすのである。
これは、絶大なる効果がある。

ボケてしまって、幼児のようになっている訳では決してない。
しかし、損得に煩わされること無く、ま、悠々と暮らしているのであるから、純粋な心を持っているのである。
喜ぶのである。本当に嬉しいのであろう。
こちらは、邪念のカタマリが、人間をやっている訳であるから、この辺を見透かして、賞賛の言葉を発するのだ。

廻りから見て、非難される行為ではないであろうから、これはこれで宜しいのである。
自分の心さえ痛まなければ...

お茶の時間だ。
じいさん、焼き芋食おうぜ。