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2000年7月分(7/1〜7/31)

2000/07/31

文責:い 60点

No.203

脇役が主役を食う、という現象が、まま起こる。

脇役は、主役ではない。
しかし、主役というのは、制作者が決定したモノなのである。
ある辞書には、主役の対語は、脇役または端役とある。
同心円状の配役構成であるから、脇役または端役は無論、主役も複数であっても構わないのである。

構わないのであるが、主役一人ひとりにしてみれば、自分のみが主役である事を主張したいようである。
時には、自分は主役ではないほうを好むという人もいる。
実際、その人は主役では生きた演技ができないのに、脇に廻ると非常に素晴らしい活躍をする人がいる。

この時に困ったことが起こる。
世は、スターを主役にしたいのである。
ポっと出のタレントが、スター街道まっしぐらのステップとして、ドラマの主役に起用される。
おとなしくしていてくれれば良いのだが、時に、妙に惹きつける演技をしてしまったりする。
やがて、新人でなくなった頃に、こんな娘(男でもいいのであるが)が脇役として重要なポストを獲得し続けることになってしまったりする。
悪いことではない。自分は、こんな俳優を好んでいる。

象印のCMに出演する女優は、かつて、目で演技することのできる女優と言われた。
こんな女優を女房にした映画監督は、やはり二流であった。
当時(今もか?)監督として、それなりに評価されていた人物であったが、目で演技するのは、歌舞伎か喜劇の俳優である、という事に気付かなかったとは。

巨人には、主役が多すぎるのである。主砲ではない。
マルちゃんの良いところは、四番を打ってさえも、主役という認識が無いところである。
江藤、松井、高橋、清原は、自分が主役でないと、納得できない人々である。
ここが辛い。
江藤・清原は、その実力は充分認める。
主役意識を捨ててくれれば、旨く行く。
監督・コーチは、この指摘をすべきである。

もはや優勝決定したようなものだから、も一つのお願い。
守備で主役を張る事の出来る、投手以外の選手の起用を求める。

2000/07/30

文責:い 50点

No.202

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

ソースを飲んじゃったらスープなのである。

フォアグラ
アンキモ
フグ白子
ウニ
カワハギキモ
こう並べて書くと、フグ白子・ウニは、絶対に油分の無い肝臓である。

サルあるいはヒツジの脳みそを食べていないからかもしれない。
脳は脂肪だと、最近知ったので。
この経験の後には、こう書けるかどうか楽しみである。

2000/07/29

文責:い 70点

No.201

海苔巻。茅巻。
河童巻。鉄火巻。

そのものを巻いてしまうか、表面を何かで覆うように巻いて仕上げたモノ。
なんだろうが、ちと、引っ掛かる。
海苔巻・茅巻は、それぞれ海苔・茅が表面に出ている。
これに対し、河童巻・鉄火巻は、外見では何なのかは判別できない。
河童巻・鉄火巻も海苔巻なんだろうと思っていたら、海苔なし海苔巻としか言い様の無いモノに出くわした。
飯が表面なのである。よくぞ、すのこにくつかないものだ。
と、ラップを海苔に見立てて巻き上げて、その後ラップを剥がす。何の事は無い、普段握り飯を作るのと同じ方法であった。

昔、エノケンだったかと記憶するが、こんな噺があった。
六大学野球華やかなりし頃であろう。特に早慶戦は人気カードで、多分、日本一観客を集めたスポーツだったであろう。
曰く、”早慶戦、早慶戦、って騒ぐけど、早慶と何処が戦ってるんだい。”
”馬鹿だなお前。早慶戦っていやあ、早慶と慶應とに決まってるだろ。早慶の早と慶應の慶とで早慶戦って言うんだ。”
念のため付け加えれば、慶応義塾では、今でも”慶早戦”と呼称するという。

大学の同期生の一人は、就職がNHKに決まったと皆に伝えた。
”日本発条株式会社”だ、という言葉を続けた。
最近では、とある国の首相は、サミット直前まで、”IT”を”イット”と読んでいたとの報道があった。
間違ってはいないのだろう。
しかし、その方が、今回のサミットの中心議題に”IT”という言葉を持ち出して、真面目な顔をして”関心を持ちつづけてきた”と発言するのであるからオカシイ。確か、早慶の早のご出身である。

昼食に”土用のうなぎ”、サラリーマンは、昨日食べたのだろうか。
丑の日当日の日曜日に、家族で鰻屋に出かけてみては如何だろう。
そして帰りに、平賀源内に関わる本を買ってくるなんてのも宜しかろう。
落雷注意。

2000/07/28

文責:い 御礼200点

No.200

JR東日本発行のトランヴェールという雑誌がある。
表紙にもあるとおり、”ご自由にお持ち帰りください”と、特急車両に置いてある冊子である。
私はこれを、命令どおり持ち返る事にしているのである。

で、7月号では、特集として、”夏の粋、花火の宴”という巻頭コーナーがあり、小野里公成氏の撮影した花火写真が掲載されている。
星の写真では、少しばかりの経験があるのであるが、露出時間について考えさせられる。

カメラを地上に固定して、一時間の開放露出をすると、それぞれの星は点でなく15°(360/24)の円弧(つまり、線)を描く。
初めて撮影した写真は、北極星を中心にした北天の星の軌跡を捉えたものであった。
思えば、この頃は、視力検査では、2.0の位置にある指標は全て楽勝で答えることができた。
星は、あくまでも綺麗な点であり、当時の空間の澄み具合から言っても、今では望むべくも無い夜空の芸術を手にしていた。

眼鏡を利用しないと、星が一点に見えなくなった。近視によるというよりも、乱視による能力低下である。
この眼鏡という奴は、厄介なもので、目の悪さに加えて眼鏡の汚れ(および特定の波長の吸収)が、自分の期待する星たちの映像を台無しにする。

やがて、望遠鏡を手にした私は、またまた、ガラスによる不思議体験をする。
正確には、ガラスレンズを固定する爪が原因なのである。
赤道儀による追尾をかけた高倍率の長時間露出の写真では、明るい星は大きな点になり、暗い星は小さな点になって印画紙に記録される。
ところが、極端に明るい星は、十文字に写ったりするのである。

流星は、短期間に明るい点が移動するので、線に見える。網膜上の残存現象というのであろうが、一種の錯覚である。
これは写真に写しても同じである。銀塩フィルムの残存現象。
--もっとも、フィルムは、時系列を超越して光の残像を記録するのであるが。
しかし、暗い流星で、見かけの速度が非常にゆっくりした流星の場合、明らかに点が移動しているように見える。
野球のホームランボールの動きのようである。
この場合には、写真では、実際に見た映像とは、はっきりと異なる。

花火もそうなのである。
人間の目で見えるのは、人間の網膜で感知した光を、どう認識するかが勝負である。
カメラは、全てを捕らえてしまう。明るい光も、暗い光も。時間の観念無く全ての軌跡を捉えてしまう。
花火の写真は、目で捉える現実の見え方とは全く別物なのである。

高感度フィルムで、かつ、明るいレンズを使用して、本当に瞬間の花火の映像を見たら、つまらないものであろう。どの瞬間にシャッターを切るのかも問題である。
さりとて、長時間露出の花火の映像も間抜けである。間抜けな効果を狙った写真もあるにはあるが...

写真は、現実の姿の一瞬を捉えたものではない。
撮影者個人が、創造したものである。
言語による描写のほうが、現実により近いという現象はあり得ると考える。
当然と考えていることを、やぶにらみしてみる。
この姿勢は、ときとして”ひがみ根性”丸出しになりかねない。
この点には充分留意しながら、やぶにらみを続けて行きたい。

どうやら、日刊鬼ノ胃200号達成である。
正直、嬉しい。この一言にて、記念号を締めくくります。
読者の皆さん、本当にありがとうございます。

2000/07/27

文責:い 70点

No.199

地元の米に恵みの雨。

今年は、米の収穫が早そうである。
台風3号のあと、梅雨明け宣言が遅れる形で梅雨が明け、その前後からは、凄まじいまでの日差しが降り注いだ。
ここへ来て、充分な水が欲しいなと思っていると、中旬に出た予想とはまたまた異なり、恵みの雨が頂戴できた。気温も申し分ない。

こんなにタイミング良く事が進むと、むしろ、収穫期に台風が来やしまいかと、少し心配になる。
杞憂となる事を祈る。

夏だというのに食欲が減退しない。
これは、子供の頃からの習性である。
夏休みが終わって、学校に出て行くと、真っ黒に日焼けした身体は、肉付きもふたまわりほど増えて、健康優良児である。それでも、九月に入って夏休みの宿題をようやく片付けると、少し痩せる。
やはり、ぼーっとしているのは、太るのであると実感していた。

で、体脂肪である。
”脂肪細胞”は、15歳を超えてからは、数の増加は無いと言われる。
母親のお腹の中に居る9ヶ月頃、1歳くらいの赤ちゃんの頃、そして、15歳頃の三回だけ、脂肪細胞の数は増える。
この増殖時期に栄養を取りすぎると、脂肪細胞の数は増えてしまい、この数を一生抱え込むことになる。

内臓脂肪と皮下脂肪は、この細胞が膨れたりしぼんだりして蓄えられている。
ある程度脂肪細胞が大きくなると、この細胞から分泌されるホルモンを感知してそれ以上肥大化するのを阻止するシステムが存在すると言う。
従って、細胞の数が多い人は、このシステムが働くまでに貯め込む脂肪の量が多い。
運動に明け暮れたスポーツ選手に、年をとってそのスポーツを止めたとたんに極端に太りだす人が多い理由である。

脂肪細胞には、褐色脂肪細胞と白色脂肪細胞とがある。
褐色脂肪細胞は、心臓動脈の周りなどにあって、発熱して体温を調整する働きがある。
全身に存在する総重量は、わずか40g程度。肥満には関係ない。
白色脂肪細胞は、肥満に関係オオアリである。体脂肪といえばこれである。
ちゃんと役目は持ってます。
体温を保持する(発熱するのではなく、遮熱)・外からのショックを緩和する・エネルギー備蓄などという役目である。

体脂肪の中でも、特殊なのは脳である。
脳は脂肪でできている。俄かには信じづらいが、体脂肪率でいえば2.5%なのだそうだ。
内臓脂肪も、臓器を定位置に保持するのには無くてはならない。
試合前のボディビルダーの場合、4%くらいまで体脂肪率を落とすそうだ。
頭はぼーっとしっぱなし、免疫力は無くなり、身体はふらふら、力なんか出やしない、という状態で試合に臨むのである。

体脂肪率は女性25%・男性20%、これを目指しましょう。
あと、ちょこっとかっこいい筋肉をつけて、ボディデザインしましょう。
夏バテにご用心、というお話でした。

2000/07/26

文責:い 90点

No.198

地元の草野球(軟式)非公式戦を観戦。
某市役所対某民間企業戦である。
どちらも、所属団体公認野球部のチームである。
両チームに知り合いがいたのである。

結果だけ記載すると5対4。18:50開始、20:45終了。観客数5。
非常に面白かったと、最初に記載しておく。
両チームを通じての安打数は、2。高校野球レベルの判断でも、4。
最終回。負けているチームが、ツーアウト満塁のチャンス。バッターは、プレーイング監督である。(無得点にてゲームセット)

ところが、この最終回と言うのが、7回なのである。
野球は、9回だろうが、9回。
他のルールは一定として、この点だけを変更しているらしい。
しかし、このルールの適用は、野球と言う名称を変更しなければならないほど重要である。
確かに、両チームにイーブンな扱いではある。が、私の描く野球戦略は、9回の攻撃と守りがある(一部例外アリ)ことによって成立しているのである。

こんな規定を作った役員という連中は、頭が悪いとしかいいようが無い。
野球そのものにしても、精神論ばかりでやってきた人間だろうし、まして、プレーヤーとしては二流の下という役どころであったことだろう。
たまたま、好きか嫌いか知らないが、まあ、好きなのだろう、役員を拝命して、さあ大変なのである。

試合時間を短縮しないと、大会運営に支障があるとか、アマチュアの体力を慮ってとか、もっともらしい理由をつけることで規定を作ってしまった。
決勝戦のみは、9回で行います。
...なんて規定があるに違いない。詳しくはお聞きしていないが...

中学野球部時代の仲間と、市の体育連盟加盟の野球チームを結成しようという動き(芽生え)がある。
合言葉は、”俺たちは最強だ”。
ユニフォームは、絶対斬新なものにして、スパイクは無し(ある年齢を超えると、自分を傷つけたり、躓く可能性が高い。相手からのスパイク防止のための靴である必要はある)とする。

部員(40歳以上)とマネージャー(年齢不問)と運営資金(上限無し)を募集中です。
ご連絡は、kinoi@kinoi.co.jp まで。

2000/07/25

文責:い 80点

No.197

向日葵が、2m50cmほどに伸びて、花を開いた。
もちろん、竹製の添え木が拵えてある。
根元の茎(幹)の太さは、直径4cmである。

風で添え木を折られてしまった同サイズの一本は、地べたに這いつくばって、同様の花を付けている。
お天道様の動きに同調はしていない模様である。

清水一行の最新書き下ろし(この作家は文庫書き下ろし一本槍になった)では、e-コマースについて触れている。
キャッシュデリバリー。現物の受け渡しと代金の決済について、クリーニング店の関与はどうか、という提案を、作中人物に喋らせている。

宅配便については、一遍に解決できるが、コストが高い。こう結論している。
コンビニについては、地域のコミュニティと繋がっているようでいて、全く特定の個人に結びついている、と述べる。

家族を単位、それも主婦を中心とした家庭単位で呼び込み、更に地域のコミュニティと繋がっているような業種としては、クリーニング店が面白い、という。

今回、私もe-コマース近日参入を予定しているのである。
当面は、高額かつ重量物に絞ろうと思っている。
何度も書くが、500円の売買で、配送と回収に1,000円以上をかける訳にはいかないのである。

物流と決済、その利便性とコスト。
宅配便・コンビニ・クリーニング店。どれも本命ではないと思う。
いずれは、専業で営まれる。
それを、何年先と読むかで、投資効率が違ってくる。
逆に言えば、絶対的な投資額によって、何年先になるかが決まる。
先行して参入した企業が、複数潰れることによって、早まるかもしれない。

どなたか、一番参入の名誉のために、破滅の道を選びませんか。

2000/07/24

文責:い 70点

No.196

枝豆。

思いっきり塩を利かせて茹でる。
茹でを控えめにして、火を止める。
浸したまま小一時間抛りっ放しにして置く。
さやは、緑と言うより茶色に変わってしまい、食欲をそそる色から対極に位置する。

茹で湯もすっかり冷め果てた頃合いに、ざるにあけて水気を取る。
冷蔵庫に入れて思いっきり冷やす。
これで後は、喰らう人の準備にかかるのである。

言い忘れたが、この枝豆は、当然自分の家で栽培し、食する本人が採取したもので無ければならない。味に違いが出てくる。
自分で作り、自分で採取し、自分で調理する。
海の水を汲んできて、天日乾燥で塩を作るのも良い。海水そのままで茹で上げるなんていう横着は禁物である。

ここまでやると、間違い無く美味い。
床に落とした一粒も、必ず口に入れてしまう。そのくらい美味い。
一回目は、家人にも内緒で食う。
二度目からは、皆に振舞う。
一人で意地汚く食ったときより、皆で食ったほうが美味い。

”流石”なんて言葉を発してくれる人がいると。尚、宜しい。
(念のためであるが、他人に振舞われたときには、とにかく誉め倒す。美味いもの・珍しいものにありつくためのオマジナイだと考えて、ひたすら諂う。マタタノシカラズヤなのである。)

枝豆などと言うものは、本当に両頬が膨らむくらいに、頬張って喰らうものなのである、普通は。
しかし、今回ご案内した方法で調理した枝豆に関しては、一さやづつ、そしてあまり大量に食さないことを勧める。

まっこと、喉が渇くのである。

2000/07/23

文責:い 60点

No.195

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

九谷焼
清水焼
有田焼
益子焼
明石焼

明石焼
玉子焼
たこやき

2000/07/22

文責:い 80点

No.194

”国会で青島幸男が決めたのか?”というバカボンのパパのギャグ。
直角に”直角、あなたがたは、を出せ!”というフレーズ。

視覚に訴える漫画全盛の今、言葉の漫画は流行することはできないのだろうか。
沈黙の艦隊は、途中までは成功していたのだが、あまりに長い言葉の繰り返しで、意図したほどには印象に残らない結果になってしまったのが、残念である。

素人”だぜ”氏が、うじきつよしのラインを次いで凌ぐことができれば、そして、職業としてのタレントになれば、たけし亡き後(はっきり言える)のエンターテナーになるだろう。
この季節になると、たけしのバイク事故を思い出すのである。
あれは、旅先で知った。軽井沢であった。三日間ほど新聞ラジオテレビの情報無き生活をしていた後に、初めてスポーツ新聞を買った。そのトップ記事が、この事故を報じているものであった。

金大中事件は、能登半島をヒッチハイクしてるとき、乗せてもらった車にあったスポーツ新聞で知った。
斯様に、情報を記憶して置くのには、その情報の衝撃度に加えて、何か他の要素が絡むと良さそうである。

美川とデビ夫人の事件。国税局がどんな動きをするのか、興味津々である。
私は、金銭の絡む芸能ニュースは好みである。
税金なんてことに無頓着な芸能・スポーツ界人の金銭に纏わる事件は、国税局の動向を意識して眺めていると、わくわくすることが多い。

所詮、情報は、個々人の興味から出発して選り好みされているのであろう。
世の中の人々の耳目を集めるキーワードは、”くすぐり”である。
如何に多くの人々に共通する部分にくすぐりを施すのか。
これを、考え抜いて仕掛けられるかが大問題であり、もって生まれた才能の自然発露で一発当ててもしょうがないのである。

少年漫画の仕掛け人が出現するのを祈る。
4コマ漫画が良さそうなのだが...

”絵無しの4コマ漫画”のサイトを企画してみます。乞う、ご期待。
今日は、これが書きたかったのである。

2000/07/21

文責:い 90点

No.193

”ショース”という調味料を、何かの本で読んだ記憶がある。
何なのだろうと、突然気になってきた。

醤油とソース(ウスターソース)の混合物ぐらいに気軽に考えていた。
気にしていると、物事には出くわすものである。
戦中戦後の一時期の食い物史といった体の本を読んでいたら、お目にかかった。
しかし、ここでも”ショース”の文字だけで、こんなものまで現れたとの記載のみであった。

で、また別の本を読んでいたら、”醤酢”という文字に出くわした。
これには説明があった。

トマトソース(ピューレ)、ケチャップ、マヨネーズ、グルタミン酸ソーダ、ウスターソースといった調味料は、明治の後期には食品メーカーによって、機械生産に移行していった。
つまり、この頃には、日常生活に、この手の調味料はかなり浸透していた。
しかし、昭和17年には、トマトケチャップ・ウスターソース以外の製造は、中止になった。
更に、昭和19年になると、極端な砂糖不足により、原料調達が困難になる。

そこで登場したのが、”醤酢”である。
低品質の醤油に、酢を混ぜただけの調味料なのである。

これは、かなり強烈な味だろうと思う。
劣悪な醤油では、醤油というものの味を知っている人々にとって、いくらなんでも使えない、と判断したのは解かる。
何かを混ぜて、違うものにしてしまえば何とかなる。手に入るのは、酢しかない。じゃあ、とばかりに混ぜてしまった。こんなところか。

本物の味を知っている、という事は、不幸なことである。
手に入らなくなったときに、悶々とモダエルしかなくなる。
ホンモノを知らない人は幸福である、ということである。

不足は我慢できるが、不平等は受容できない。ちと違うか。

2000/07/20

文責:い 80点

No.192

暑い。
誰がなんと言おうと、暑い。
みんなが暑いと言ったとしても、暑い。

ただ、一日、炎天下でぼーっとしていた私は、不思議な気持ちにさせられた。
幼い日々の記憶を辿ると、この空の模様は、八月のお盆過ぎ、そう、漠然とではあるが、そろそろ”夏休みの友”に取り掛からねばならないと感じる時分の空なのである。

”夏休みの友”というネーミングは、素晴らしい。
どなたの考案かは知らないが、決して歓迎されていたのではないのだろうが、これほど親しみを持って(?)記憶に残された夏の想い出は、他にそう多くは無いだろう。

今日から、子供たちは、夏休みである。
下の娘は、去年まで小学校に通っていたのだが、この時期には真っ黒な顔をしていた。
今年は、やけに色白い。話を聞けば、運動系の部活の運動量は、去年の比ではない。
しかし、室内球技を選択した彼女は、クラブ活動の殆どの時間を体育館で過ごすのだという。黒くはなれない訳である。

私は、中学時代には、野球部に所属していた。
学校の休日に、集団で練習するのを固く拒み通した。
自主トレと称して、炎天下での走りこみとウェイトトレ(かつてはこんな名称を使用してはいなかった)に明け暮れた。それ程ではないが...

炎天下で、過度な運動をすることの可否の論議は別にして、こんな風にお天道様の下で運動したほうが健康的であると思ってしまう私は、やはり、時代遅れなのでありそうである。

とまれ、思いっきり遊んでくれたまえ。そして、ちょっとの勉強もだ。

2000/07/19

文責:い 70点

No.191

アシナガバチの巣作りが、あちこちで見られる。

例年に比して、やたらと目立つ。
軒下に作るときが、目立つのである。
ブッシュの中に営巣する場合には、人間の目に止まる機会が少ないのだろう。垣根の刈り込みをしていて、びっくりすることはままある。
川沿いの草刈なんぞをしていても、突然の出現に、慌てて逃げ出す。人間がである。

彼らにしてみれば、何も悪い事をしている訳ではないのである。
しかし、こちらサイドに立って見れば、刺されると痛いのである。それも、猛烈に痛いのである。
特に、二度目、三度目になると、抗体反応によるショック死の可能性があるなどという知識を持っているのである。

人間の側から、彼らの領地を侵していながら、不満を言って、駆除をしようなどと考え、きっと実行に移す。
これはこれでショウガナイと済ますしかないのだけれども、そして、これが多分人間の歴史なのだろうけれども、どうしたものだろう。

結論の出ない話題は、知らぬ振りをするに限る。
で、蜂の巣が軒下のように高い場所に設営される年は、台風が来ないと言われる。来ても弱い風しか吹かない。
一見、理屈に合っていそうな気がする。
疑い深い奴は、統計はあるのだろうか、と考える。でも、どうやって調べるのだろうか。と、思い廻らすと、ま、いいか、となり、この話題を忘れ去る。
やがて、またこの話題に巻き込まれたとき、同じ回路を使って、結局話題から抜け出す。

五匹くらいが巣作りをしている最中の巣は、この一週間で4つ征伐した(征伐などと言う言葉を使用すること自体が傲慢である)。
これは、比較的簡単な作業であった。
しかし、今日は、完成してしまった奴を取り除かねばならぬ。
私の友人に、職業として害虫駆除をしている人がいる。いるのだけれど、職業である。私としては、お金を支払わねばならぬ。これは、私のあまり好まない行為である。

もちろん、蜂に刺されて痛い思いをするのも、好まない。
殺虫剤は使いたくない。
蜂の子という珍味、そしてまことにバランスのよいタンパク質にアリツクタメニハ、何としても生け捕りにしなければならないのである。

一日待つことにしよう。
私の気迫に恐れをなして、子供を抛りっ放しにして、成虫は逃げていってくれるかも知れぬ。

2000/07/18

文責:い 60点

No.190

初めての飲み屋に入る。

何処に行っても、焼き鳥の類を注文する。
値段を頭の隅に置きながら、その店の値踏みをする。
良かろうと思った店では、マグロの赤身を注文する。
同様にその店の値踏みをする。

複数の人間と入ってしまうと、自分の判断に、微妙な綾が入り込み、ダメな店だとの判断を下せなくなる。
紹介無く初めての店に入るときには、絶対に一人で行くべし。

品書きを見て、珍しいネーミングの品を注文する。
例えば、たこやき。例えば、たいやき。
この名詞自体には、何ら珍しさは無いのだが、飲み屋に居るというシチュエーションにおいては、かなりの緊張を伴なう品書き上のネーミングである。

”宇宙焼き”なんて書いてくれてあれば、店主に素直に聞くことができる訳で、むしろ珍しさの領分からは程遠い。
さて、”たいやき”である。
この値段が、五千円などとなっていれば、おそらく鯛の焼き物であろう。
400円なんて書かれていると、想像が膨らむこと夥しい。

ここで、小豆餡入りの、(およげ)たいやきが出てきたら、黙ってお金を支払って帰るのである。もちろん、たいやきはポケットに入れて。

蛸と烏賊を焼いたのなんかが出てきてくれちゃうと、もうたまらないのである。
私は、こんなツマラナイネーミングが大好きなのだ。
熱燗(真夏もこれがメインのお酒である)徳利が次々と並ぶことになる。
立ち食いスパゲッチ屋さんで、入ってくる人が”みそ”なんて言いながら着座するのを見て、私も”みそ”なんて言ってしまうのである。

もちろん出てきたスパゲッチは、信州産をベースにしたアサリ味噌ソースなどではなく、ミートソースなのである。

2000/07/17

文責:い 90点

No.189

まっこと何度も書くが、電化製品(コンピュータ含む)のオープンプライスという価格表示は、誰のために存在するのだろうか。
アタマニキテイルのである。

実売価額というものが、厳然として存在するのは解かる。
この店の実売価額が、定価の何割引かという判断のために必要だ、などということではない。
特にコンピュータのシリーズものに関しては、スペックの違いが、価格にどう反映しているのかを見たいのである。
情報公開の流れに逆流するものとしか思えない。

メーカーは、独自技術に基づく機能に対し、大幅な利益を見込んで価格設定してくれて良いのである。
広告活動の良し悪しで、商品が売れるかどうかという方向には持っていって欲しくない。
技術の結果としての商品製造業に関しては、イメージ広告不賛同者なのである、私は。
本物で勝負しようじゃないか。
広告は、内容を充分知らしめるために利用しよう。

カタログを観ていて面白くないのである。
総体としてのスペックの違いが、価額の違いになる。これは良い。
いらないものが沢山付いているから、訳が解からなくなっている。
少なくとも、ソフトウェアに関しては、OSも含めて、すべてオプション設定にして欲しい。
BIOSは、もちろん理由は別にもあるが、ちんぷんかんぷんなのでこのままで良いです、はい。

ハード屋さんとソフト屋さんとの間で、どんな密約があるのかは知らないが、収穫逓増の法則を、収穫逓減の法則の仕切っている世界に潜り込ませて何をやらかそうというのか。
消費者にとって、不便なことを平気でやっていると、何時の日か供給者は泣く事になるだろう。

実際、ソフトの要求するファイル(データファイルにおいて特に感じる)の名称が、競合しあって暴走している例を幾つか知っている。
自分でインストールしないソフトは、無用であると断言する。

2000/07/16

文責:い 50点

No.188

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

雪印の責任。
雪印操業中止。
消費者への乳製品供給逼迫。
他の乳製品製造業者(全国規模)に同様の過失。
その乳製品製造業者の責任に対する世論形成に微妙な抑止力。

2000/07/14

文責:い 90点

No.186

さて、”そごう”である。

グループ企業のうちの三店舗閉鎖、その一つが”木更津そごう”である。
いずれにしても、今年中には撤退する意向であったということである。
地元をあげて、撤退をしないようにという運動をしていたと報道されていた。

私は、地元の内に入らないのかもしれないが、少なくとも”地元をあげて”という表現には、ナニカチガウンジャナイノ、という感じ。
木更津市という公共団体が、見誤っていたという気がする。

そもそも、第三セクターなどという手法は、誰がやっても巧くいく時代の方法である。許可認可がスピーディであるだろうし、地域の名士の取り囲みには、その威力を発揮するだろう。
しかし、所詮、責任を持った経営者が存在しないのである。この事業で失敗したら職を失うという悲壮感無しに、漠然と事務を司る。
事実、失敗したら、しばらく謹慎して、また、別の部署に配属されるだけである。

民間人にしても、同じといえば同じである。
ある規模を超えた企業は、俺のところは潰せまいと、高を括っている。
しかし、ここ数年の世間の動きは変わってきた。
潰すのである。
ところが、高を括っていた経営者たちが、そのまま経営をしている。この人々にしてみれば、どうして良いのか解からないでいるのである。

上場企業の役員は、毎年、半数以上交代しなければならないと規定した法律を作っても、その将来発生する混乱は、このまま放置しておいた場合の混乱に比して軽微であろう。
書き忘れたが、会長・社長は交替すべき半数に必ず入れなければならぬ。

2000/07/13

文責:い 90点

No.185

7/16夜、皆既月食がある。
20:57向かって左端側から欠け始め、22:02皆既月食となる。
今回は、完全に欠けた状態が、1時間47分間に渡る。
この情報は、国立天文台による。
また、皆既時間が1時間40分間にもなる月食は、1859年8月以来であり、次回は、120年以上先の事になるという。

この期間に匹敵する例がある。
竹の花が咲くのは、130年周期であるそうだ(一部これと異なる周期の品種もあるらしい)。
130という数字は、1・2・5・10・13・26・65・130で割り切れる。
133なら1・133のみである。
全くの門外漢であるが、133年周期のほうが正しいのではないかと考える。

竹の花は、他の生物にとって非常に美味であるという。
一斉に咲く竹の花は、多くの生物の食糧となり、それらの生物が異常に増殖する可能性がある。
しかし、この異常発生した生物の子孫は何代もに渡って竹の花を食糧にすることはできない。

133年目に該当する子孫のみが、再び竹の花を食糧にすることができる。
そのときの、その生物の数量は、通常時に戻っているであろう。
従って、竹の増殖には、好都合である。
他の生物の繁殖周期と同じ周期を持っていると、万度にその食糧にされてしまう。食べ残しを発生させるには、なるべく長く、また、他の生物の周期に合致しない周期を持つことが有利である。

こう考えれば、素数である事は意味を持つ。
これが、130でなく、133であるだろうという推測の根拠である。
127であっても良いが...

生物の行動を、極めて唯物的に眺めるのは、面白い。
ただし、あくまでも後付け論であるから、これが原因なのか、結果なのかは解からない。
ま、そんなところの話が、気楽である。

2000/07/12

文責:い 80点

No.184

ズッキーニ壊滅状態。
枝豆は、先週の台風を含み二度の大風にて、地面に這いつくばるも、収穫に成功。何か殊更に美味い。

成増支局の家庭菜園は、素人さんの奮戦記である。
当方は、農業従事者上がりの家庭菜園である。負けてはいられないのであるが、往々にして結果において敗れる。
マタタノシカラズヤ、である。
今度は、スパゲッチの種を蒔いて、あの一尺ほどの棒を一本一本収穫することにしよう。
真っ直ぐな、そして細めの実ができることを祈念する次第である。

セイコーのシェイバーを携えて、当家庭菜園の代表者である私の父が現れた。
新聞の切り抜きをひらひらさせながらの登場である。

この4月ごろに購入した物なのである。
新聞に”セイコーシェイバー充電器に発火の恐れ”との見出しがある。
型式を確認すると、まさしく該当品である。
問い合わせのフリーダイアルの記載があるので、早速電話する。
話中である。再度トライ。NTTメッセージ”大変混み合っております”までは良い。しかし、それに続く”しばらく経ってから再度おかけ直しください云々”はどうだろう。

混み合っているという報道は理解できる。実際そうなんだろうから。
しかし、しばらく経ってからというのは、意味がありそうで、実は何も意味が無い。
初歩的な揚げ足取りをすれば、何分後なのだ、とお聞きしたい。
また、何故しばらく経つとO.K.なのだかが解からない。
そもそも、何故掛け続けてはいけないのか。

輻輳による、NTTの機械損傷があるなら、そう言ってくれればよい。
こちらの苛立ちは、NTTではなく、セイコーに宛ててしまおうと考えている。
さてさてどういう対応をしてくれるのやら。本社の代表電話へ掛けてみる事にしよう。

2000/07/11

文責:い 60点

No.183

本日、本当に久しぶりにゴルフに行く。
暑いだろう。単純に痩せるつもりになれば、5kgくらいは減ずることができるだろう。
水分補給はしないことにしての話である。

この時季に、つまり、真夏の炎天の下に立ったままで半日過ごしたら、どのくらいの量の汗をかくのか(身体から水分が出て行く)の実験をしたことがある。
この時には、水分は充分に摂取することができるものとして試みた。
先ず、体重測定である。
二リットル(2kg)入りの充分に冷やした水を、3本用意した

実験をしたと書いたが、ただ愚か者の彷徨のようにしていた訳ではない。
ある工事現場の監督(その場には、この立場の人は、別に存在した。名称のみ総監督をしていたのである)として、管理しながらであったのだが、やっていたのは、ぼーっと立っていただけである。

午後二時から午後六時までの4時間。トイレは行かなかった。
体重は、0.8kg減。飲んだ水は、4.0kg。
全てが汗の重さとは言えないかも知れない。もちろん、吐く息の水分もあるし、確か、鼻もかんだ。
しかし、4.8kgの汗をかいた、といっても世間話にはなるだろう。
学術論文ではないのである。

ここで問題になるのが、汗は水ではないという点である。
ポカリスエットのTVCMで、塩分補給の必要性を訴えていた。
この飲料は、あるスポーツ評論家によって、成人には、塩分摂り過ぎの原因になる、なんて発言をされていた。
塩分は、極めて必要なんだけど、摂り過ぎてはいけない。

多分、この格言は、間違っていないだろう。
しかし、これを知ったからといって、我々は、具体的にどうしたらよいのだ。
脚気の検査みたいに、膝下カックンしないとダメみたいな、簡単で面白い方法で、塩分摂取量適正検査はできないものだろうか。

2000/07/10

文責:い 80点

No.182

台風騒ぎで先週が終了した。

大した被害も無く(全体でみればであって、一部ではあっても、被災した個人にしてみれば、誠に酷い表現である。世の中の報道とは、かくも悲しいものである)過ぎたのは、幸運であった。

夏休みの予定作成は、順調ですか。
私は、10ヶ月ほど連休を重ねてきましたので、そろそろ仕事に本腰をと考えているのである。が、家族はそれを許さない。
金は無くとも夏休みなのだそうだ。

何処かに行かねばならない、のである。
大人は全て、生家が近隣の地にある。子供たちも、この地で生まれて、育ってきたのである。
帰省でお茶を濁した時代もあったが(つまり、車で10分程の距離にある愚妻の実家に泊りがけ訪問)、それでは納得しない。愚妻がである。
子供たちは、1,000km離れた土地に行こうが、50kmの移動だろうが、何れ車の中で寝ているだけ。ドアtoドアであって、張り合いが無いくらいである。

振り返れば、今年になってからは、無泊の(日帰りの)スキーしかお出かけしていない。
やはり、菅平・軽井沢ってとこで検討したいものである。
という訳で、携帯電話用のUSBデータケーブルを用意したのである。
これさえあれば、日刊鬼ノ胃は、休刊しなくて良いのだ。

9600bpsは、かつての一時期には、かなりの通信速度と認識した速度である。最高速度はこれを上回る記載がある道具を使用しても、この程度の速度は普通だったような気がする。

台風の風速表示との相似。瞬間は、それを遥かに上回る。
もっとも通信速度は、瞬間にその期待速度が出るのであり、通常は遥か低位である、という違いがあるが。
低使用料の常時接続高速回線、憧れます。
でも、確かに便利なんだろうけど、必要性からの欲求ではないような気がしていた。どうやら自分の中で本当に求めているのは、”低使用料”という要素だけであると気付く。

私が、遊びたいのではないのである。夏休みなんぞいらないのに。
全ては、家族の所為で、今年も計画に明け暮れるのである。
楽しい楽しい。計画しているときというものは、本当に楽しい。

2000/07/09

文責:い 70点

No.181

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

久しぶりにフロッピーディスクを買った。

TDKのMF−2HD256である。20枚入り530円也。
100%検査済、お徳用パックとあり、その後に凄いコピーがある。

”エラーに強い強面構造”である。

強面は、当然”こわもて”と読む筈である。

相手が機械だから良いけど、人間ならば、受け付けてくれずに、逃げてしまうところだろう。

一行コピーの中に、”強”の字が続けて二度出現するのも戴けない。

こんなの買ってしまった私は如何。

2000/07/08

文責:い 50点

No.180

本日は、台風襲来のため、一部地域で、遅配があります。新聞ならである。
幸いなことに、停電にはなっていないので、何とか大丈夫か。

現在、06:30である。書き終わって、UPするまでが勝負である。
どうやら、今丁度、この地の東50km地点に台風の中心があるらしい。
風が物凄い、としか言いようの無い状況である。
私は、この風という奴が、大っ嫌いなのであって、もう厭になっている。
実は、正直、”嫌い”というより、”怖い”のほうが正しい表現である。

雨は、どんなに降ってくれても構わない。もちろん、これも程度の問題はあるが。
都会の様子を、テレビの映像で観て知る限りであるが、何故あんなに雨に弱いのだろうか。
マンホールの蓋が下から押し上げられて、水が溢れている姿は、あまりに惨めな姿である。
あれで、冠水したエリアの災害は、自然災害ではなくて、人為災害であろう。

ただし、行政が悪いとか、雨水の排水工事をした業者が悪いとかに、その原因を求めるのは、間違っている。
そんな場所に住んでいるからである。かかる意味で、人為である。
そんな場所、などと言うと怒られようが、要するに、この点を除けば素晴らしいから住んでいるのであろう、そんな場所である。

自分にしても、何故こんなに不便な土地に住んでいるのだろうか、と思うことがある。
しかし、その不満を補って余りある、換え難い良い面があるのだ。
これについては、強調しておく。それ以上は、具体的に書かない。

現在07:15。銚子あたりにまで至った模様。
大分、風は収まってきた。雨は殆ど降っていない。
書き出してから、50分ほど経っている訳である。
台風情報を見なければならないし、合羽を着けて外を見回らなくてはならないしの、大忙しの50分間であった。
もちろん、この文章も書いていた訳である。

何だか訳解からない(いつもの事では、ある)本日の”日刊鬼ノ胃”であるが、この辺で筆を置く。
雨の心配はしていないようなことを書いたが、実は、一点あるのである。
道路と宅地との境には、かなりの深さの有蓋排水溝がある。これが、私の知る限りで一度だけ、オーバーフローしたことがあるのである。
大雨の後、小降りになってから、排水設備は本気で暴れだすのだ。
これからまた、見回りである。

2000/07/07

文責:い 80点

No.179

七夕。
台風がやってくる。
神津島の人たちは、どんな気持ちで天気図を見ているのだろうか。

房総半島中央西部の我家でも、ぐらっと来たのが解かる地震は、毎日夥しい数である。
この地震が、神津や三宅では、全て震度4とか3とかの地震である、とテレビの地震速報は伝える。
不謹慎な表現であるが、慣れっこになるなんてあるのだろうか。

食糧の供給は、十分なされているのだろうか。雪印大阪工場製品は、混入していないのだろうか。
有珠地区を含めて、今回の一連の災害に対する、政府・地方公共団体の対応は、概ね良い。
しかし、不思議と、民間の動きが出てこない。
NHKも、その動きを、私は知らない。

本当に書きたいのは、農協に纏わる団体の動きである。
もっと世の中の事象に対して、地道な活動をしたら良いのではないのか。
農協に、直接特別の利害関係を持たない人々に、存在をアピールしておくべきである。
相変わらず不謹慎な表現である事を承知で言えば、今回の災害は、その機会なのである。
来るべき危機の際には、多くの人々の賛同を得て、国家から支援してもらう態勢を、今から作っておかないと、大変なことになることは承知していなければならない。

単位農協には、親類縁者・近隣者・知人が多い。
正直、農協に対する批判じみた記載は、書き難い。
しかし、その実態を、生活に即した事柄の数々から検討していきたいと思う。
多分、それが、農協の生き残る道の模索に通ずる、と考えるからである。
そろそろ、限界である。存在継続ができるかどうかの。

私に覗かれること無く、今日の逢瀬を楽しむことになるであろう二つの星に、お願いがある。
今年は、これ以上伊豆諸島をいじめないように、ケンタウルス君に頼んでいただきたいのである。

2000/07/06

文責:い 80点

No.178

Vox populi,Vox Dei.
民の声は神の声。

こういう諺は、好むところである。
概ね民でない側から使用されていると思うのだが、どういう意味だろうか。

”民の声”というのは、多数決の事か。
その原理からは、少数者の意見も取り入れろとの囁きはあるが、一般に、無視することになっている。
”神の声”というのは、正しいという意か。

従って、この第一の説を採用すれば、”みんなが言うことは正しいのである”という内容である。

”民の声”というのを、権力をもたない社会の底辺に蠢く人々の声、と捉えると、もう少し説諭的になってくる。
これも良いであろう。

”神の声”を、存在しないものとすれば、どうだ。
”俺以外の人間の言うことなんぞ、無視するに限る”という内容になる。

官に対する民、ととらえると、また一つ変わった味わいが発生する。
ま、これについては、書かないほうが味わい深そうである。

以上纏めると、こんなところ。
”Vox populi,Vox Dei.”と叫ぶ人の伝えようとしている内容は、”みんなが言うことは正しいのである”であり、その腹の中で考える内容は、”俺以外の人間の言うことなんぞ、無視するに限る”である。

2000/07/05

文責:い 90点

No.177

不満の続き(内容は別)。

米を販売しようと思い、農林水省の出先機関を訪れた。
訳が解からないのである。
労働組合のスローガンは、各机の上にまで進出しているのに、必要な書類は出てこない。
以下の記載は、何とか聞き出したことの抜粋である。
間違っていても責任をとる気は無いので注意。

インターネットで、米は販売できるか。
もちろん、米の販売許可無くである。
答えは、できる、である。

一般にであるが、米の販売許可業者が小売している米は、産地と銘柄の表示がある。今後は、記載が必須らしい。
それにしても、皆さんは、”100%魚沼産コシヒカリ”の表示を信じますか。

私が、米を販売するとしたら、”コシヒカリ”等の銘柄の表示は禁止されます。
どこ(人の名前と住所)から仕入れて、どこに売ったのかの報告を求められます。また、報告書には、数量も記載が必要である。

生産者が、自家消費するには、何らの手続きも要しない。
一家で10トンを消費しても、である。
(ただし、個人生産者の場合、所得税法上では、確定申告という手続きが必要になる。ここでも、自家消費は、別扱いという話もあるが。)

念のためであるが、米の販売許可業者は、生産者から直接米を仕入れるのは違法である。

これだけの事である。
何故、整然と答えられないのだろうか。

2000/07/04

文責:い 90点

No.176

困ったことが多い。
情報が入ってこない。
決定したことしか、見えないのである。

かつて、税制が朝令暮改を繰り返していた頃に、変な学習をしてしまった。
年末調整は、12月に行うのであるが、10月ごろには、税務署から書類が来て”今年はこんな改正がありそうです”という知らせが来た。
今度の国会で可決した場合には、という注意書き付きなのである。
ところが、可決された内容は、そこに記載された内容と異なるのである。
こんなことがあって、***案とある書類は、概ね無視したほうが効率的なのであった。

IP接続サービスの進展度合いも、今回のサービス提供発表で、初めて知った。

IP接続サービスを、都市部から展開する合理性は何処にあるのか。
NTTの経営戦略について。
このサービスで初期から利益を得る事を企んだとしたら許す。
地域的に集約された営業展開のほうが、有利であろうからである。このシステムが完成されていれば、の話である。
しかし、もし、ケーブルテレビ会社等の顧客獲得を、好ましく思っていないところから出発したとしたら、言語道断である。技術的な問題の解決をしていないのに、見切りで発車の感じがするのだが...

どういう事か。
NTTの言い分として、電話設備を各家庭に普及させ、後続の電話会社にも利用させている、というのは、マチガイである。
NTTとして民間の会社になる前の、電電公社がやったのであり、実を言えば、国庫負担と受益者負担でやったのである。
NTTは、いわば、その資産をゴッソリ乗っ取ったのである。
この一点の理由だけでも、地域格差のあるサービスの提供は、止めるべきである。

NTTの4,500円(+プロバイダ料金)は、どう決定されたのか。
そもそもの、電信電話の料金体系は、コストに関係ない。これは、周知の事実である。
単純には比較できないことは、承知している。が、テレホーダイ2,400円との比較で4,500円は安すぎないか。テレホーダイは、インターネット利用だけではない、けれども。

ISDN普及も目指しているようである。
しかし、今後の各社の通信事業上のサービスは、ISDN回線を想定していないと聞く。むしろ、ISDN回線が足かせになるとも聞く。

さてさて。
様々なルートで、インターネットに接続できる環境を作っておかないと、限定した一つのルートが崩壊したときに、困ったことが起こるだろう。
数種類の方法を手にしておくことは重要である、ということだ。
単純に、金銭上の問題ではないのである。

2000/07/03

文責:い 70点

No.175

七月第一平日である。

2000年も半年が終了した。
今年の元旦から今日を望むのと同じタイミングで、今日から未来を考えると、21世紀の最初の三が日を過ごしていることになる。
だから何なのだ、なんだけれども...

この半年の間には、様々な出来事があったのである。
中学校に下の娘が入学した。中学校の同窓会が初めて開かれた。
この二点は特に印象的な出来事であった。
というのも、30年ほど前の自分の生活を振り返る機会が多かったと言うことである。

自転車を買い与えたのだが、自転車なるものの購入価額が、私の時代より安価なのである。
テレビジョンセットなど何台あるというのだ。我が家が裕福な家庭であれば別だが、そんなこともない。
製造業は、参入しづらいと言われるが、確かに今時、この業界に参入して直ちに大企業にはなり難いだろう。設備を全て自前の企業の事である。滅茶苦茶はできない業界であろう。

電話の通話料も上がっていない。
国際電話など何十分の一の世界になった。
この業界は、どこかに不当な利益の構図があったのだろう。まだまだ高い気もする。
それでも、参入者があれば下がることは、証明された。
苦しいのだろうが、NTTグループ以外の各社の参入が我々の便益を支えてくれている。

対立する政府(官庁)の必要を感じる。複数政府国家。矛盾を持つ名詞である事は承知するが、言わんとしている内容は、多分正しい。

新半期を迎えての挨拶には、少しお粗末でした。
今期も宜しくお願いします。

2000/07/02

文責:い 60点

No.174

日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。

x^2+x+k=0が全てのx(実数)で成立するときに、kの値のとりうる範囲を示せ。

普通の日本語で書けば、

k=-(x^2+x)であるときに、kの値のとりうる範囲を示せ。

日本語としては、まだ少しおかしいか。

直線y=kと放物線y=-(x^2+x)とが接するまたは交わるとき、kの値の範囲を示せ。

k=-(x^2+x)
 =-{(x+1/2)^2-1/4}
 =-(x+1/2)^2+1/4
 =1/4-(x+1/2)^2
∴kの最大値は1/4。云々

または、

1^2-4*1*k>=0
1>=4k
∴云々

2000/07/01

文責:い 80点

No.173

伝達について。

麻酔に関する講義を受けた。
講義は、少し威張りすぎている。お話という程度である。そんなつもりで、お付き合い願う。

聴覚や視覚といった痛覚以外の感覚は、それ専用の感覚器官がある。
そして、感覚器官が情報を神経に伝える。
神経は流路となって、脳まで情報を運ぶ。

これに対し、痛覚は、知覚神経抹梢部と称する神経の先端そのものが、直接”痛み”という情報を得る。
専用の感覚器官がないけれども、全身に情報収集器官がある。
(逆に言えば、専用の感覚器官は、神経の先端が特化したものと考えると、むしろ理解しやすい。)
それから後、神経を流路として情報を伝達するのは同様である。

麻酔という工程は、痛覚という感覚を脳が感じないようにすることである。

いわゆる局所麻酔の第一法は、手術などをする部位にある神経の先端を麻痺させて、”痛い”という情報を発生させなくする。
この場合には、そもそも”痛い”という情報は存在しないことになる。
先に記述した通り、他の感覚のようには専用の器官がないから、この麻痺させる部分を一部に取るという意味で”局所”の麻酔である。

局所麻酔の第二法は、脳と痛みを感じる神経の先端との間のどこかを、機能させなくする。
この場合には、”痛い”という情報は存在するのである。
しかし、情報が途中の経路で遮断され、脳に至ることがないから、人間には”痛い”と感じ取れない。
どの経路を遮断するかによって、”痛い”情報発信基地を機能させないことにするかを絞り込める。
かかる意味で、この第二法は伝達麻酔と称し、局所麻酔の一つに数える。

部分を集めたのが全体(部分の総和は全体に等しくない、という不思議な論理はあるが、ここでは考慮外)であるから、全身麻酔は、部分を沢山拾い上げて処理すればよい。

しかし、もう一つの方法があることに気付いただろう。
脳を機能させないことで、”痛い”と感じなければよいのだ。
情報は、最終段階の脳まで達しても、脳が麻痺され機能しないと痛みを感じない。

景気動向調査で、時々、従業員300人以上の企業に聞き取り調査が行われる。
各企業は、情報を調査機関に送る(情報の発生)。
調査機関は、その情報を纏めて情報処理機関(官庁)に伝達する(情報の流通)。
情報処理機関は、集められた情報から現在の景気を判断する(情報の処理)。

情報が限定した場所から得られている。特定の感覚器官を利用していることの是非。
情報を誤って伝達する。特定の情報を得るために、集めた情報をフィルターにかけることの是非。
情報処理を偏向したファンクションに依る。特定ファンクションの選定の是非。

人はときに滅茶苦茶な行動を採るように見える。
右の頬を殴られたとき、この痛みを忘れたいために、左の頬を差し出して、今一度殴られるという選択をする。
今度は、左の頬の痛みは、他の何かによって紛らわそうとするのだろう。

こうならないようにするには、最初に右の頬を殴られなければ良い、という学習だけはお忘れなく。
”痛い”という情報の経路を遮断するという選択は、間違ってもしないように。