6/3の土曜日に国立競技場に行った。国立霞ヶ丘競技場と書くべきか。 お隣の秩父宮ラグビー場では、エプソンカップ・パシフィックリム”ジャパン×トンガ”が13:00からあって、当日は、はしごの予定であった。 平尾と会うのが癪なので、昼の部は遠慮を決め込んだ。
テレビの録画放送(なんと、一時間番組になっていた。それでも、相当無駄な場面が映し出されていたから、内容はひどかったのだろう。解説は、上田一人になってしまった。そもそも解説になっていなかったが。)を見ると、案の定観客は少ない。一万三千くらいと読んだが、如何。 で、国立は、19:00キックオフの”第51回早慶サッカー定期戦”である。
慶応義塾体育会ソッカ-部と早稲田大学ア式蹴球部の対抗戦を国立競技場で行うのである。
観客は、およそ五千人。 現在、慶應は関東大学サッカーリーグ戦1部にある。
三年前、早稲田との1部2部入れ替え戦で勝利して、1部に復帰した。その後の二期は、1部残留を決めるも、1部2部入れ替え戦の常連である。
早稲田は、その三年前の入れ替え戦で初の2部陥落。現在に至る。 この試合結果は、ごく一部を除けば、一般誌の朝刊に載らない。
学生諸君が、どう感じているのかは知らない。しかし、ナイター施設を利用して、国立で試合ができるのである。
これを、どう読むかである。 聴く所に依れば、競技場サイドでは、年に一日この定期戦に貸す事には積極的ではないらしい。
ただ、今日までの経緯で、早慶サイドから、来年は使用しないという申し出が無い限り、断るわけにはいかない。
これが、伝統の力なのである。歴史があるのである。 あくまでも、教育の一環としての大学サッカーであって、スポーツを見世物としては扱っていない。
大会関係者の思い入れと、献身的な行動には頭が下がる。
これで、五千人の観客を集めているのである。
学生たちのためには、観客は多いほうが励みになるであろう。しかし、観客を呼ぶために定期戦を行っているのではない。 批判も多々あろうと思う。
しかし、それぞれの世界には、それぞれの歴史と、それを取り巻く多くの人々の思い入れがあるのである。 スポーツを見世物として扱う、相撲の例を見てみよう。
バブル期には、相撲の桝席が茶屋の権利になっていることへの、そして、その割り当てが一部の関係者にしかなされないことへの不満が、旧来の制度への批判として溢れた。
しかし、この制度にも、歴史があるのである。 相撲が観客を集められなかった時代に、何とか相撲協会を維持するために、茶屋は、その縁者を廻って、席を確保するという”形"を売ったのである。買ったほうは、寄附と知りつつ買ったのである。必要から買ったのではない。
懸賞金も、あれが広告宣伝効果を持つなどとは誰も考えていないのである。
しかし、国税局も、懸賞金支出を、企業の交際費とは認定せずに、広告宣伝費であると確認したのである。 単に商売としての相撲興行ではないのである。
ところが、相撲協会の役員は違った。周りの思い入れや、献身的な行動を、無視するかのように、商売に走った。
頭が悪いのでしょうがない、と言えばそれまでだが、そのことに気付いていないのである。気付くことができないという点が、頭が悪い証拠、という考えもある。 国税局まで怒らせて、脱税問題を相撲の世界にもたらした。
あまりに杜撰であるからというよりも、お目こぼしがあることを忘れた協会役員に対する警告であっただろう。
現在、地方での開催はともかく、東京での本場所は、満員御礼の垂れ幕無しの日がある。
立て直しには、少々時間がかかりそうである。
人材がいないからである。排除してしまった結果である。
外部からの人材導入が必要ではないか。 やはり、ラグビーの事になってしまう。
吉田義人・堀越正巳という偶然同期のスーパースター二人を見殺しにしたのは、平尾である。自分の存在を脅かすクレバーな者たちを葬ったのである。
もう一人名前を挙げれば、梶原もいる。
三人は、自分で自分の責任をとった形で、ジャパンから離れた。
今の日本代表で、責任をとろうと考える選手は一人もいないのではないか。
平尾を含め、皆頭が悪いとしか言い様が無い。 最後に一言。
国立競技場に着いて、座った瞬間に、大きな揺れを感じた。
地震である。
しかし、場内放送は無かった。
競技場などの施設には、危機管理のシステムが存在しないのであろうか。
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