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日刊 鬼ノ胃 本日分はこちら

2000年4月分(4/1〜4/30)

2000/04/30

文責:い  80点

No.111

菊池寛の鎧兜の若武者の短編ではないが、”見た目”は、周囲の人々以上に、本人の意識を変えさせるようである。

幼稚園の運動会では、年長組の幼児達は、誠にしっかりとした行動をする。

この子達が、小学校一年生になり、その初めての運動会では、如何せん一年生なのである。
六年生は、既に大人の風格があり、その言動たるや見事である。

ところが、これがまた中学一年生となると、いかにも一年生なのである。
新しい組織の中で、それは、規則の違いがあったり、構成する人間の顔ぶれに当然違いがあったりして、慣れ親しむまでに生じる不安が行動に表現されているのだろう。

中学と高校の新入生たちは、制服が真新しいという点以外でも、すれ違いざまに判別できる。
そして、そのすがすがしい雰囲気に接するのは気持ちが良い。瞬時に、自分自身の中で、自分がそうであった頃の記憶が、脳の何処かを刺激して何らかのホルモンのような物質を創出しているのだろう。

この種の情報伝達システムは、論理回路とは別にあると信じたい。逆に、何時までもそんな感傷に浸っている場合ではないと、現在の自分が警告を発して、覚醒する。そこまでの一連の働きを、毎日様々な人が、様々な空間で体験していると考えを廻らせると、とても素敵である。

私は通常、他所様の会社を訪問する機会にも、スーツ姿ではない。
一番好きなのは、ラガージャージなのだが、これを着ていると、気合が入る。
ポロシャツでは、気合の入り度合いが甘い。
ところが、極稀に、スーツ姿で外出すると、出会う人皆に、意外な感じをされてその旨の言葉が発せられる。
今日は、どうしたんだい。何があったんだい。という具合である。

実は、とあるお客さんの事業所に行くと、肉体労働のお手伝いをさせられてしまうのである。というか、手伝いたくなって仕舞うのである。
そのときに、ラグビーシャツ等を着用していると、自分に歯止めが効かないのである。

スーツ姿だと、汚れてしまった着衣の件で、帰宅して愚妻に怒られるシーンが頭の中に浮かんで、制御される。この時に発生する物質がどんな成分なのかはもちろん解からないが、かつて、父親に怒られることを頭に浮かべた時の物質とは根本的に違う。...と思う。いや、絶対に違う。

制服の刷新も、結構不思議な効果があるかもしれない。
経営者の皆さんには、一考に値するのではないかと思います。

2000/04/29

文責:い  60点

No.110

日曜シリーズ”御感じあそばせ”。
今日は日曜ではないのだが、祝日なのでやってしまう。
今回より、日曜祝祭日シリーズ”御感じあそばせ”。
このシリーズは、日曜祝祭日全てにあるのではなく、日曜祝祭日にあることがある、という考えです。だから、明日はやらない予定であります。

文章量的には、今回も、ちと手抜きの匂いがします。


没分暁漢(わからずや)

五月蝿い(うるさい)

毬(やっかいもの)

閑話休題(さて)

means(不足)

2000/04/28

文責:い  80点

No.109

戦争の傷跡は至るところにあるものである。
割と身近にあっても、自分が知らないだけであった。

この話題は、方向を誤ると、微妙な問題を孕んでいるので、あっさりと書くつもり。

久留里地区に愛宕という一画がある。
1945年の6月10日に、8個の爆弾が落とされ、幾人かの方が亡くなっている。
土地の人の言葉を借りれば、何も無いこの地に、何故落とさなくてはならなかったのだろうか、という事になる。
あれこれ詮索されたようであるが、納得できる理由は見つからなかった。

ある人――その方こそが、この事実を私に教えてくださった方である――のお宅を訪問した折に、庭木に大きな杉の木があった。その木は何年くらい経っているのか、その木は花粉症には問題ないですか、くらいの、軽い世間話から話に入ろうとしていたときだった。お茶を馳走になりながらである。

終戦の時には、もういい加減大きかった。
終戦少し前に、丁度あなた(私のこと)の座っているところ辺りに爆弾が落ちて、あの杉の木には、沢山の鉄片が刺さっている。多分切ろうと思っても、鋸の歯がたたないだろう。近くで見れば直に解かる。刺さったところは、膨らんで節のようになっているから。

確かに夥しい数の不自然な痕跡がある。
そんなことの前に、私の座っているところに爆弾とは、驚いた。
それから、この地の被弾による死者の話を知った。また、広く、現在の君津市の山間部地域の戦時中の記憶を披瀝頂いた。

おそらく、東京方面から飛来したというから、燃料の寂しさから、機体の重量を減らすために、落としていったのだろうというのが、真実に遠くない理由だろう。
狂気の沙汰である。人がではなく、状況がである。

ただ、やはり人間の仕業なのであり、また、人間の行動なのである。
小櫃地区では、墜落した米兵を助け、お世話した人のもとに、戦後数年を経て、本人がお礼に訪れたという。
この事実を記載して、本日の筆を置きます。

2000/04/27

文責:い  70点

No.108

筍が漸く下火になった。
走りの筍は、非常に喜ばしい食材である。

今年は、理由は知らないが、最初に食す時期が遅かった。
近所から頂くのが遅かったと言い換えることも出来る。

ある種、まだ持ってきてくれないのか、と、待ちに待った。
その待ちに待った日が訪れる。
まず、掘りたての小ぶりな奴を、薄くスライスして、わさび醤油で朝食である。
当然、昼飯は、炊き込み御飯だ。焦げ目を付ける飯盒炊き。

夜になると、煮しめの登場。薄めにスライスして、バター炒めも皿に乗っている。
翌朝の朝食は、味噌汁の具としてまたまたお目にかかれる。

と、ここまでは、非常に喜ばしい食材としての閲見である。
この後、一週間ほどは、ただ今紹介の惣菜(及び主食でもあった)が、手も品も換えずに、テーブルに滞在する。

この頃になると、近所からの使者は、次々と訪れ、また、その一人ひとりの進物物のボリュームが大きくなっていく。
店が開けんばかりに、外流しの周りには、山と積まれる。

嫁姑は、大鍋を持ち出して、灰汁で茹でる。そしてまた、塩漬けの作成である。季節の風物誌としては、好ましい情景であるが、さて、この方法で作り上げた食品は、何時時に食していたかしらん。

旬に旬のものを食べる。旨い筈である。
筈であるのだが、もう勘弁してください、ナノデアル。

さやえんどうの可愛らしいサイズが、ついに収穫された。
さやえんどうは、非常に喜ばしい食材である。
奪い合いというか、とにかく一つは食わねばならぬ。なにせ、六人家族に対して、20個に満たない数しかない。まして極小さい。

茹で上がると、直に群がり、マヨネーズソースで食べる。直にお仕舞い。
明日が待ち遠しい。食いたいだけ食いたいものだ。
えんどうは、自家栽培である。採取も鼻歌気分である。

えんどうの味噌汁、えんどうの炊き込み御飯、えんどうの煮付け、えんどうのバター炒め。いいぞいいぞ。

ん?
今週来週は、食材の買い物は、ほとんどなくなりそうである。

2000/04/26

文責:い  80点

No.107

どうだ、食ってみろ。っとばかりに、肴を出される。
悪い気はしない。

誰のエッセイだったか忘れてしまったが、汁たっぷりの素材を、寿司に握ってもらう話があった。
握れないだろう、悔しかったらやってみな、ってな調子で、職人をからかって、握らせようとした。
もちろん、席は、カウンターである。
さっと、握るが早いかのタイミングで、客の前に出されたモノは、崩れてはいない。

さて、困ったのは、嫌がらせをした、そして、握りを出された客である。
職人は、涼しい顔をして、しかし、目だけは、寿司と客を交互に追っている。
ちゃんと握ったぞ、今度は、お前の番だ。さあ、摘んで口まで持って行ってみろ。

結論は、結局バラカシテシマッテ、寿司を摘むことが出来なかった。
こんな風景に出くわしてみたい。

蕎麦の盛りは、何故少ないのか。
食して旨くないときでも、取り敢えずは食べきれる量なのである。不味いのではなく、あくまでも、旨くないときである。まずいのは、食えないのだから。
そして、旨いときには、もう一枚頼める量である。

更に言えば、本当に旨かったときには、三枚目を感謝の心で注文するのである。ここまでは、どなたでも食すことの出来る量を考えての事である。
この三枚目を食べきるには、どのくらいの時間がかかるのだろうか。

注文をする。出て来る。食す。これを、三度繰り返すのである。
昼休みに蕎麦屋で昼飯、というわけにはいかない。

客と店の職人や主人との会話はいらない。
店は、客が作るのである。客は自分一人ではない。しかし、集まり散ずる客こそが、その店の雰囲気を作り出す。

気に入った店で、一人勝手な気分で、良き酒と肴で時間を過ごす。
至福の時。

なに、自宅も良いもんであります。これあればこその、感動であります。

2000/04/25

文責:い  50点

No.106

凄まじい音を伴った雷様の暴れている最中を、とある日本料理屋さんで過ごした。

先ず、砂ほこりをあげて突風が通り過ぎていった。
やがて、雨が降り出し、あっという間に道路に水が溜まりだした。
そして、稲妻と雷鳴。ほとんど同時に認識するくらいの近さで、暴れていた。

そこに、愚妻から携帯にрり。
今度は何を怒られるのかと、神妙にお聴きしていた。

”コンピュータの電源、落とさなくていいの?”
偉い。
タップのスイッチ切っちゃっていいよ、と答えると、”手順を踏まなくてはダメじゃないの”、と殊勝なことを言う。

実は、このスイッチを切ると、UPSがけたたましい警告音を鳴らして、停電を知らせる。
ちと、びっくりさせてやろうと思って言ったのだが、今になって思えば、それをしない方向に先方さんが仕向けたことに感謝している。

またまたやってしまったのである。
なにって、帰宅が朝になった、ということ。

無停電電源装置ではなくとも、けたたましい警告音を、鳴らしつづける物体が、ほんの身近にいるのである。

念のために付け加えると、そんな物体は、単数ではない。
特に五月蝿いのが三つと、そして最近では少し電池切れの二つとがある。

2000/04/24

文責:い  60点

No.105

0から9までの項目に、正解が一つある。
選択は、一分間に一度。
持ち時間は、10分。この時間内に、正解すれば、早い遅いは不問とする。

あなたは、どんな規則で正解に辿り付きますか。

友人のA君は、0、1、2、...、8、9と順を追って選択する。
私は、5、1、3、9のように、出鱈目に選択する。
どちらも、確実に10分以内に正解する。

持ち時間は、分。

A君は、やはり順を追って選択する、という。
私は、やはり出鱈目に選択する。
正解の確率は、どちらも9/10。

持ち時間は、分。
A君も、出鱈目に選択する、という。
何故だろうか。

0から9までの項目に、正解が一つある。
選択は、一分間に一度。
先に正解に至った者の勝ちとする。

A君は、やはり順を追って選択する、という。
私は、やはり出鱈目に選択する。

0から999までの項目に、正解が一つある。
選択は、一分間に一度。
先に正解に至った者の勝ちとする。

A君は、やはり順を追って選択する、という。
私は、やはり出鱈目に選択する。
これは、多分A君の勝ちである。
私は、出鱈目に言った数字を、記憶しておくことが出来なくて、同じ数字を繰り返す可能性が非常に高い。
確率の分母を大きくしてしまう。

やらなくちゃいけない仕事が沢山ある。
どれから手をつけたら良いんだろうか。

2000/04/23

文責:い  90点

No.104

日曜シリーズ”御感じあそばせ”。

文章量的には、ちと手抜きの匂いがします。


いろんな回文のサイトを訪ねていますが、ここの長文ときたら、...

http://tai.pe.u-tokyo.ac.jp/~mitani/Kotoba/Kaibun/index.html#tyoutaisaku

 

回文ついでにご紹介。

http://www.yin.or.jp/user/ushioku/hide/mathlib3/kaibunn.htm

http://www-fcs.acs.i.kyoto-u.ac.jp/~imamura/Puzzle/Puzzle-3.html

2000/04/22

文責:い  80点

No.103

我が家の電話機は、今の機種になって五年ほど経過した。

お客さんに頼まれて、TAとついでに子機二台の電話機を、お世話することとなった。

TAについては、取り立てて書くことも無いが、電話機には驚いた。
店頭にある大体の機種が、所さんの顔写真を付けている。

”この電話機は、お申し込みをしなくても、KDDのおトクな001番市外電話を自動的に選びます。”

こんなキャッチフレーズで、所さんの説明をしている。
001をまわさなくても(現在は、押さなくても、と言うのかも知れないが)、KDDとNTTの通常料金を比較して、料金的に得な方の回線を自動的に選択するそうだ。

テレホーダイをはじめとする、特定番号への接続割引は、どう判断しているのだろうか。
”001アクセスの機能をご使用にならない場合は、お取扱説明書の解除方法をご覧下さい。”とある。
でも、これでは、特定番号以外も、001アクセスできなくなる。
001をダイヤルすればいいことではあるが、どうせなら、特定番号除外機能なるものを搭載すれば良かったのではないのか。

と、何が言いたいのか。
実は、いままで、機能と言うものは、付加して積み上げていくものであると思っていたのだ。
しかし、最初に、全部くつけてしまって、必要の無い部分を削除(機能停止)していくという考え方もあるのだ、と気付いたのである。

白紙に、鉛筆で絵を描く時には、黒い痕跡を積み上げていく。
彫刻は、既に最初の塊の中に、完成された作品が存在するのであって、作家の努力は、単に余計なものを剥がして取り除くだけ。

こう言ったら言い過ぎかもしれないが、描画と彫刻は、そんな点が異なるのではないのだろうか。
故に、彫刻家は素材にこだわる。

そんなこともないか。

2000/04/21

文責:い  60点

No.102

寒い。
この間時分は、日中を半袖で通したというのに。

桜は散ってしまったし、何を名目に酒を飲もうかと、考えていた。

生椎茸と、貝つき浅利が届いた。
届いた、と言っても、宅配便で届いた訳ではなくて、知人が持参してきた。

そう、生椎茸と貝つき浅利は、生椎茸と貝つき浅利でなくても良いのである。
頂き物にそんな言い方はないのだが、実際、それらを持ってきた人間のおかげで、この日も、酒を飲む名目は完成したのである。

普段飲む酒に、特別な酒を用意していることは無い。三造酒だ。
今回の来訪者は、気の置けない奴だから、自分はウイスキーだ、などと言いながら、勝手にグレンフィディックの口を開けて、氷などを、コロンなどといわせて、勝手に水割りを飲み始めた。
私の三造酒は、勝手に燗をされるはずも無く、まだ、テーブルの下の一升瓶の中にある。

知人は、これもまた、断るでもなく、酒蒸しと焼き椎茸を段取り始めた。
この辺が、こいつの良いところで、遠慮もしないが、良く働く。

酒は何処だ、と向こうから聞くので、ここにあって俺に飲まれたがっている、と返すと、酒蒸し用の酒だ、とまた返す。
同じで良いんだから、そう言うと、解かったと言う。
何が解かったのかと思っていると、本当に解かったらしい。
私の燗酒の用意に掛かった。

こんな偉い奴がいると便利なものです。
生椎茸と貝つき浅利は、酒蒸しと焼き椎茸となり、そして、姿を消した。

良き夕方であった。

2000/04/20

文責:い  100点(笑)ミスです

No.101

公務員は叩く。

市収入役が物損事故(車同士)を起こし、逃げたのかどうかは解からないが、その場で車を止めなかった。相手は、追跡して、捕まえると供に、警察官を呼び、器物破損にて検挙。酒気帯びの疑い。

4/10の出来事。4/11には、市長に辞表提出。4/18受理。4/19発表。

公務員個人を非難しない。
その個人が、公務員であることで、非難の対象とする。

疑問点その1。
何故、辞表を受理したのか。
車での器物破損事故で、退職を願い出る必要があるとすれば、世の中に職業を持つ人間はいなくなってしまうだろう。

逃げたのかどうかは、解からない。
しかし、ぶつかったことに、気が付かなかったとすれば、別の問題が生じる。
酩酊状態であった。あるいは、普段から物事の冷静な判断をすることが出来ない人間であった。
後者であれば、市長はもちろん、市民は愚か者である。

特別職には、懲戒免職の制度は無いのか。

疑問点その2。
何故、受理、発表までに一週間という期間が必要だったのか。
4/9告示、4/16投票の、市議会議議員選挙があったことが影響しているのか。

疑問点その3。
市長と助役は、減俸処分を、同時に発表した。
責任のとり方は、これで終了なのか。

疑問点その4。
新しい収入役の発表を、何故、同時に行わなかったのか。

こんなときのために、富津市はHPを開設しないのだろうか。
お問い合わせは、来庁願います。らしい。

タブーかもしれないけど、疑問ゆえ。
小渕前総理は、結果的には、総理を辞めさせられた訳である。
衆議院議員を、辞めさせられないのは何故でしょうか。
明確に答えられる方がいらっしゃいましたら、是非ご連絡を。

2000/04/19

文責:い  100点(笑)

No.100

”ようやく”の感と、”もう”の感が入り混じった100号です。

何とか続けてこれました。
メールで頂く感想も、好意的なものばかりでなく、お叱りのものもかなりあります。
気分で書いているわけですから、あんまり深く考えていなくて、次に同じ話題を書いたら、結論が正反対になる可能性も大であります。

そんないい加減な文章で良いのか、との指摘には、こう答えます。
皆さんが、かかるテーマに関心を持ってくれて、自分なりの意見を築くきっかけになってくれれば良いのである。
私の考えを広め、集会結社を謀る、などという大胆な計画は無い。
従って、コンナトコデユルシテ、という具合。

こんな形でこれから先も続けさせて下さい。
一週間に一度くらいのまとめ読みをお薦めするわけにはいかないが、そんな方もいらっしゃいます。
まあ、おきらくごきらく気分でお付き合い下さい。

鬼ノ胃情報局では、今後、広告を貼り出す事になります。
広告掲載お申し込みは、大歓迎です。宜しく。kinoi@kinoi.co.jp

そんなかんだで、”日刊鬼ノ胃”以外のコンテンツサイトもご覧下さいますようお願い申し上げまして、100号達成のお礼号、本日これまで、にございます。

2000/04/18

文責:い  90点

No.99

焚き火の妖しい魅力。

ゴミの件で、自家焼却について書いたことに関連したメールが届いた。

都内の何処かのお寺では、秋には毎日落ち葉を掻き集め、何ヶ所かに分けて焚き火をしていた。
ところが、消防署からのお達しで、焚き火まかりならん、ということになった。
燃えるゴミとして、区の収集所に出すことにして、かなりの量のゴミ袋が毎日決められた場所に置かれることになった。

一般家庭ゴミではないのだから、行政で無料処理をするのはおかしいのではないか、との投書があったとかで、役所の人間が来た。
民間の業者への委託を勧められ、それに従った。

これについてコメントはありませんが、お寺の情景として、焚き火は要らないのでしょうか、とだけ書かせて頂きます。

かきねのかきねのまがりかど〜、の歌詞で気になること。

落ち葉を焚いている日は、北風ピープ-(ちょっと違うかもしれない)吹いている日では、ちと困る。
ドラム缶のようなものに押し入れ込んで、あるいは、穴を掘った場所に落ち葉を掃き落として火をつけたのでは、気分が出ない。
地面に直接堆く掃き集めた落ち葉で無いと楽しくないのである。

危ない時には、燃さない。これは守らねばならない。そして、完全消火とは言わないまでも、ほとんど大丈夫状態になるまでは、火の近くに管理する者が居る事。
この程度は当然である。

ところが、どんな日が危ないのか、どの程度が安全な消火状態なのか、これが解からないという普通の人が増えている。
というより、火の扱いを全く知らない人が増えているのではないか。
要は、経験不足である。また、教え伝えていく場が無いのである。

キャンプ地で、焚き火を禁止していない所では、全く理解に苦しむような焚き火跡が出現する。
火の管理をしたことのない人たちが、たまたま飯を炊き、魚を焼くのである。
焚き火の仕方と後始末が出来ないのだろう。管理が出来ないと言えよう。

火の怖さを知り、火の魅力を知り、自分自身楽しみ、そして、次の世代にもそのことを伝えなくてはイケナインジャナイカ。

そんなことを思い巡らしながら、今日もまた、自宅のゴミ燃しをする鬼ノ胃でありました。

2000/04/17

文責:い  70点

No.98

正直言って、ベンチマークテストなど、私個人のマシンに何ら必要はない、と考えてきた。
雑誌の企画で、ビデオカードの比較などを拝見し、なるほどなるほど、と読んで行くための参考くらいにしか思わなかった。

今回たまたま、雑誌付録のCDに、遊んでみたいゲームソフトが入っていたので自動起動してみた。
何気なくゲームの横に並んだベンチマークテストのソフトに目が行った、ような気がする。
ちょいとやってみようと、何故そんな気持ちになったのかも、今は思い出せないが、とにかく、メルコの”メルコベンチ”を、それぞれのマシンにインストールして動かした。

画面がグラグラ来ます事数十秒、結果が出ました。
すべて、ごく一般的なコンパチマシン(ただし自作)を使っているのだが、やはり、お金をケチった部品がネックになって、全体の作動を阻害している事が指摘された。

恥かしながら、ハードディスクがその張本人である。
容量が多くなると、メンテナンスに時間がかかるので、一つのハードディスクは、精々8Gくらいが上限だと考えている。
目的をマシン別にある程度絞っているので、これを超えてしまいそうなマシンは無い。

ベンチの話は、これでおしまい。

最近複数のマシンを、家庭内ネットワークから開放した。
複数の人間で複数のマシンを使い、お互いのファイルを共有するのなら家庭内ネットワークも有効である。
しかし、我が家では、それぞれの人間の使用するデータは完全に独立していて、使用するマシンも確定している。

私自身は、複数のマシンを利用するが、その使用目的は、ほぼ分離しているのだから、LANの意義に重要性を感じない。
さらに、USB機器の普及とホット&プラグのおかげで、結構大きなデータのやり取りも、外付け機器のプラグの抜き差しで解決する。

大体が、データのやり取りにかかる時間は、少しくらい長くても良いのだ。コーヒーを別室で飲む時間が取れて、ありがたいくらいだ。
ただし、画像処理等の作業をしているときの、内部処理に時間のかかるのは、少々苛つく。

今まで得た満足度を10とし、投入した費用を10とする。
これから先、満足度1をプラスするのには、多分費用5を必要とする。
限界効用逓減の効果は、この世界において顕著である。
メモリだけは少々奢ってますので、これで満足するのだ、と自分に言い聞かせました。とほほ。

とにかく、いろんな事柄を考えることが出来て面白いから、一度自分のマシンに、ベンチマークテストをかけてみることをお薦めします。

メルコの”メルコベンチ”は、http://www.melcoinc.co.jp/にて拾えます。

2000/04/16

文責:い  60点

No.97

日曜シリーズ”御感じあそばせ”。

久しぶりに、続けて二度ほど蕎麦を打つ機会があった。
旧年の10月採取のそば粉を使った。

香りは充分。
蕎麦の香りの楽しみ方は、口から鼻に空気を抜く。
外界から直接鼻腔を通すのではない。

匂いを嗅ぐのではなく、香りを感じるのである。

恥ずかしながら、蕎麦以外で、この試みを、意図的にやったことが無かった。
ワイン、日本酒、ビール、海苔、コーヒー、チョコレート、バター、鯵の干物などなど...と、色々試してみた。

ワイン、日本酒、海苔、バターは、この方法が良い。
特に、海苔は、磯の香りが嬉しい。
その他は、匂いを嗅いだ方が良い。

磯浜に行って、体中の空気を全部磯の空気にした時感じるあの感じ。
海の町を通り過ぎるときの空気の匂いとは、全く別のすがすがしさ。

潮干狩りにでも行きませんか。

2000/04/15

文責:い  50点

No.96

歯が痛い。
昨日の本欄で、”久しぶりに、全くアルコールを帯びることなく、夜を過ごした。”なんて、書いたものだから、早速天罰が来た。
やはり、神は、私に対し、酒を毎日飲まねばならぬよう宿命付けていたのだ。

実は、歯ではないのかもしれない。
二年程前に歯医者に行った折に、口を開けさせられた私に対して、歯科医師が覗き込んでノタマワレタ第一声。
”どの歯を治療しますか?”

虫歯でない歯のほうが、そうでないものより相当数が多い。
歯石も目を覆うばかり。
歯茎も...

取り敢えず、レントゲン撮影。
目で見て確認できるもの以外の病状発見。
”歯の埋まっている周りの顎骨に、溶けてなくなっている部分があります。”
かく、宣言された。

その後一年ほど、毎週2回くらいのペースで、その女医さん(そう、女医であった)とジェスチャーで会話する日々が訪れた。

”痛いときには手を挙げろ。”と、優しい言葉をかけられたような気にさせておいて、何の事は無い。
これは、こうすると患者は痛いのだ、と、彼女が納得するためだけの合図である。痛い事を意思表示しても、作業は継続する。

これならむしろ、”手を挙げないと、痛い目に会わせるぞ”、と、言ってくれる暴漢のほうが、理屈になっている。
少なくとも、手さえ挙げておけば、痛い目に会うことは無い。と思う。たぶん。

この女医さんとの縁の切れ目は、親知らずを抜いたときである。
痛かったとか言うのではない。

麻酔を済ませ、しばらく目を瞑って手術を待っていた。
始めます、の声も、目を閉じたまま聞いた。
何か弄ってるな、との感触はあった。
抜けました、との言葉に目を開けると、そこには、既に糸を通した三日月型の縫い針を持つ男の顔が在った。

患者に断り無く、担当者が代わっていたのである。
これは、これから先、何をされるか解からないぞ。
ソコハカトナイ不安感に襲われたボ、ボ、ボクは、とにかく、縫ってしまうまでは、此処にいなくてはならない、と、自分に言い聞かせた。

そして、支払いを済ました私は、もう行かない、と心に決めたのである。

今度は、どの歯医者さんに世話になればいいのだろう。
あの歯医者さん、この一件を除けば、これまでの私の人生の中で、最高の歯医者さんだったのに。

2000/04/14

文責:い  90点

No.95

久しぶりに、全くアルコールを帯びることなく、夜を過ごした。

夜空を見上げること数時間。
夜半過ぎに、不思議な体験をする事になった。

ここの所の大風とは違ったが、やや風の強い夜である。
11時を少し廻った時刻に、風が止んだ。
これは芳しいことである、と、気がついた瞬間に、近くにある竹薮がざわめいた。
南からの風が舞った。ヒュウという音がした。慌てて望遠鏡を押さえた。そのくらい突然の空気の動きがあった。

で、また静かになった。その直後の出来事であった。

桜吹雪が宙を塞いだのである。
信じられない程夥しい量の桜の花びらが、完全に一枚一枚になった桜の花びらが、あろうことか淡い匂いを伴った桜の花びらが、正しくぼた雪のように降ってきたのだ。

風は止んでいるのである。
柔らかく降り注ぐ、とでも表現するのだろうか。ひらひらと、なのである。
ゆっくり、ゆっくりと降りてくる花びらは、ひらひらと、屋根に、地面に積もり始めた。

止んだ。
と、また、竹薮の方面が、ざわめき出した。

そして、数分後には、何も無かったかのように、屋根も、地面も、昨日の夕方の様相を取り戻した。
隣地境界の生垣の一部に、かなりの量の名残がある、という情景を除けば、である。吹き溜まりというものは、やはりあるものなのだろう。

信じますか。

まさに、春の夜の夢である。

酒を飲まないと幻覚がある、という経験は、今だかつて無い。
この点、念のために、記しておきます。

2000/04/13

文責:い  80点

No.94

富津地区の海苔の採取もいよいよ最終段階。
そろそろ最後の生海苔になる、との連絡があったので、早速頂戴に伺う。
ありがたいものである。

年が明けてからの今年は、大風の日が多かった。そして、雨が少なかった。
これが、海苔にどう影響したかというと、大変なのである。

大風は、海での海苔採り作業にとっての大敵である。
それ以前に、そして重要なことには、海苔網に植え付けられた胞子から育った芽(これを食す)を、風によって作られた波が、千切っていってしまう、という。

雨の少なさ。
例年だと、雨は、どちらかというと嫌われ者。
海水温度を上昇させるからだという。
ところが、極端に少ないと、海水中の栄養分が不足してしまう。
河川から海に流れ込む水に含まれた栄養分が、供給されないのだ。

つまり、海と陸部は、独立した存在ではない。

今期は、三月の下旬からは、雨の恩恵もあって、例年に比べて、むしろ質量ともに良い状態が続いている。

しかし、流石にこの時期ともなると、年の暮れまでのような品質は望むべくもない。
水槽に入った海苔を摘んで口に放り込んだが、やはり固い。生産シーズンは終わりである事を実感。
Dscf0109.jpg (148811 バイト)
手前の水槽で製品海苔12,000枚前後分、奥のタンクで8,000枚前後分の生海苔が入る。

生海苔を貰ってきて、一袋だけおすそ分け用に冷凍。
三杯酢で食すのは、個人的に好まない。
それではどうするかというと、このテーマで、近日中にメニューにUPしますので、そちらをお待ちください。

初めての試みに、真水で洗って天日に干すことにした。
Dscf0113.jpg (169451 バイト)
切らないでただ干してみる。

香りが楽しめる海苔になることを祈る。

2000/04/12

文責:い  60点

No.93

最近、Yahooの検索サイトが使いづらくなってきたと感じませんか?

gooのロボットの所為だと思うのだが、文字検索で拾い上げてくるサイトが、頗る頓珍漢サイトなのだ。
”鬼ノ胃情報局”での検索では、いまのところ1件のみ出現する。これも、結構頓珍漢サイトではあるが...

文字検索は使い物にならないようにして、同じページにある目次で絞り込む方法を優位にしている。そんな匂いがするのである。
そうするとどうなるの、という疑問には答えませんが、NTTの動きに似てきた。

戦略変更(もしかすると既定であったかもしれない方向転換)は、大きくなった組織の維持には避けられないのかもしれないが。
ここに、私には歓迎できない旨を、そっと記載しておきます。
意味は無いだろうが、意義は有る、と信じている。

このところ、ごまめの歯ぎしりみたいな文章ばかりで、面白くない。
メザシに成長したいと、本気で思う。

批評というより嘆きを纏めている”鬼ノ胃”。
くじらを夢見るためには、睡眠が必要。
従いまして、”日刊鬼ノ胃”本日これまで。
睡眠の為には酒を飲まねばならないのであります。
よって、先ずは宴会に行って参ります。

2000/04/11

文責:い  80点

No.92

今月の初めに、図書券が送られてきた。

ネットサーフィン(私の場合、そんな気持ち良い風景では、決して無い)の途中で”プレゼント”なんてサイトに行き着くと、ついつい、クイズに答えたりなんかしている。
所謂当選したのである。

誠に申し訳ないのだが、送ってきた封筒の会社名に記憶が無い。
しかし、私の会社名と個人名は正確に記載されている。そして、図書券である事が透けて見える。
で、どきどきしながら開けたら、ひと月くらい前に答えたクイズが印刷してあった。
記憶がある。
これをもって、同封されていた図書券は、私の所有物として無事納まった。

こんな友人がいる。
郵便あるいは宅配便で封書が送られてくる。宛名のタックシールに記号が記載されていて、表面に商品の名称があったら、まず開封しない。ダイレクトメールという名のゴミが来た、と考えて捨てる。

真似をするにはちと怖い。
しかし、彼の考えでは、ゴミ問題解決のためには、つまり、まず、ダイレクトメールの無効性を訴える為には、かかる事実の公表が、そして、即ゴミ箱運動を広めることが重要とのこと。

聞くところによると、各社のプレゼント企画を蒐集したサイトがあるらしい。
このサイトを覗けば、様々なプレゼントに応募することができる。
更に、登録しておけば、そのサイトの集めた企画に、自動的に応募してくれて、当選すれば、当然景品が各自それぞれの住所地に届く、というサービスさえ存在するらしい。

批判の言葉が見つからないが、このサイト、何かオカシイ。
法律に触れるとか、そういうのではなくて、だから、そのサイトの運営者に問題がある訳ではない。
そういったサイトが繁盛すると見込んだ運営者が出現する。これは良い。
ただ、実際にそのサイトに登録するような人の数が多い点が、どうも馴染めないのである。

人間味が溢れている、といえば溢れている。飽くなき欲望の追求という点では。
しかし、人間くさい行動とは思えないのだ。便利という言葉では見当違いな方向を歩んでいる様な感じがする。
人種が違って、好きになれないってことだ。
言いたいのはこれだけで終わりである。

とまれ、図書券は、500円券が一枚でありました。
あなうれし。
今月の”将棋世界”は、”ハイライト”と同じ金額でゲットしたのであります。

2000/04/10

文責:い  80点

No.91

またまた素朴な疑問。
昨日、富津市市議会議員選挙告示。
特定の候補者云々ではない。たまたま、この時期に思いを廻らす事となっただけである。

昨今の選挙では、投票率が低迷しているという。
これは善であるのか、悪であるのかの議論もあろう。
私は、悪である、の立場に立つ。

何故投票率が低迷しているか、の議論には、概ね、政治無関心層の増大という点が基調となった論議が多い。つまり、無関心な人間が悪い、という。

選挙制度自体のどこかにある欠陥が投票率を低迷させている、という見方はどうなのだろうか。
それも、国会議員選挙で言えば、選挙区の線引きとか、定数とか、比例区の扱いとかの問題ではない。

選挙管理委員会の責任を問いたい。
投票率を高くする方法を全く考えていない。
風船や歯ブラシを配ってもダメなのである。広報カーで投票を呼びかけてもダメなのである。
むしろ、こういった行為は、経費節減とは逆の動きであり、ある種犯罪行為であると言ってしまおう。
投票所の数は、現在の1/3で充分である。
それでも、手を尽くせば、経費を増やすことなく、投票率を高くする方法があるはずであり、少なくとも、その方法を模索していないのは、選挙管理委員会の怠慢である。

議員あるいは首長の仕事は何であるのか、これが市民(投票権保持者)に理解されていないのではないのか。

つまり、こうだ。
候補者の中から特定の人間を選んで投票せよ、と投票所入場券が送付されてくる。候補者はこれこれです、と写真までついた各候補者のリストに目をくれる。
投票に行く人は、この中で比較検討する。様々な思惑が頭の中を廻り廻って結論を出す。
もちろん、今回は〇〇選挙である、という事は承知しているが、これは単なるお題目に過ぎず、リストから選び出すだけである。

リストには好きな人いませんとの意思表示のために、投票所に行き無効票を投票する人も、中には居る。
しかし、これは、リストに候補者なき候補者を一名追加したリストを想定しているに過ぎないから、特定の候補者に一票を投じたのとの違いは無い。

ただし、この人たちは投票しているのだから、投票率にはプラスの効果を持つ。投票率を高い水準に置く為には、この人々の増大を計ることは、一法である。

何度も言う。選挙管理委員会の怠慢である。
この選挙は、〇〇選挙である、という一言で選挙を括ってはならないのである。
〇〇という職業は、これこれこういう仕事で、初任給はいくら、役つきはいくら、終業時間は何時から何時、福利厚生制度はこれこれ、資格条件の有無等々、綿々と説明していただきたい。

この説明文を投票所入場券送付時に同封すれば、投票率は上がります。

こうも簡単に結論付けることができると、気持ち良いでしょ。

2000/04/09

文責:い  60点

No.90

日曜シリーズ”御感じあそばせ”。

花は桜木、男は...なんて言う訳でして。
画像処理無しでいきます。トリミングも無し。


この桜の木の向こうには、富士山がある。
秋の月見は、雲に隠れた月を観るのが最高でありまして。
春の富士見は、霞に隠れた富士山を観るのが最高なのであります。
Dscf0058.jpg (168879 バイト)念のためですが、東山湖からの今日の富士山ではありません。


場所が何処かを特定できるように目印入れときました。
上の写真の場所とは100mくらい離れています。
Dscf0059.jpg (166298 バイト)Dscf0060.jpg (167607 バイト)右の方がいいと思うんですが..


中央はミツバチです。狙ったときには3匹いたのです。
FinePix2900zの弱点。シャッター切れるまでに時間がかかりすぎる。
(西川和久は、この点を何時書いてくれるんだろうか?)

しかし、処理無しでこの画像が得られるとなると、使っちゃうんです。
ノーマルモード 640x480ピクセルなのだ。

Dscf0061.jpg (139472 バイト)


フラッシュ無しのおしべの影がいいでしょう。
そう、撮影時刻は07:00なのです。
Dscf0062.jpg (173246 バイト)


画面中央中頃から下に向かった筋は、私の中指の痕跡です。
ピンボケ”ぎり”でした。
Dscf0063.jpg (160670 バイト)

2000/04/08

文責:い  70点

No.89

高校の古文の最初の授業で教わった。それまで、思ってもいなかった。
”花”といえば”桜”なのである、と。
おー、凄い知識を教わった、とそれはそれは感激した。

とまあ、それ程でもなかったとは思うが、爾来、逆に、有史以来”花”といえば”桜”なのであると思い込んできた。
平安時代の農民が桜を見て、これは”花”という植物である、と一人納得する姿を思い浮かべる訳である。
しかし、そうだとすれば、桜という名称は必要ないことになる。

ビールといえば、ラガー(それもキリンの)なのであった。
今でこそラガーなんて言葉を知っているが、高校時代には、大瓶に書いてあった”lager”の文字は、”large”と勘違いしていた。
小文字のR(r)が遊んでいるのである。
Lager Beerとはビールの(くどいけど、キリンの)大瓶なのであった。

ラガーという言葉が出たので、ついでに書いときます。
”太陽にほえろ”において、痩せていた榊原さんちの旦那についたニックネームが”ラガー”でした。
これは、ラグビーをやってる人という意味であった、と記憶します。

しかし、ラガー(rugger)はラグビー(rugby)そのものの、所謂俗語であります。
バットを振る人をバッター、ボウリングする人をボウラー、広く言えば、レースをする人をレーサーなんて発想ではない。
ラグビーやる人は”ラガーメン”と言ってます。”ラグビーフットボーラー”というのも、一部では使っているようですが。

ところが、文句無しに、”花見”は桜の花見なのである。

昨今、青空あるいは星の降る夜空の下で酒を飲む機会は、滅多に無い。昔だって無かっただろうけども。
楽しく飲みたいものです。喧嘩はよしましょうや。
止めに入って怪我をするほど馬鹿らしいものはないのに、花見の席では、発端は解からなくなって、喧嘩の為の喧嘩になりますから。

しかし、よく考えてみると、私たちの花見には、桜は必ずしも必要では無い。
飲めりゃいいんです。
花と桜の関係は、斯様に混乱しているのである。

2000/04/07

文責:い  90点

No.88

加川良のレコード(!)を聴いていたら、ロゴマークを作りたくなった。
加川良思い浮かべるたびに作り変えていたんじゃ、この先どうなるのやら。
まったく困った奴である、加川良は。

で、出来上がった作品は、

である。

前のに比べて、なんと半分以下の容量しかないのが自慢であります。

でありますからして、あなたのウェブサイトのリンクページで我がHPを紹介して下さっているあなたは、今後、このバナ-を利用してくれることになる筈である。
よろしくお願いします。

当ウェブは、今後、商用サイトの味わいを、多分に加味していく予定であります。
この日刊鬼ノ胃は、ほとんど内容に変化はないつもりです。まあ、いままで一貫したスタイルでやってきたとは言い難いのではありますが...
日記風になるのだけは避けるべく、努力をしてきたのですが、これから先どうなるのやら。

実は、この連載ももうじき100回になろうとしています。
早いものです。何とか今日まで休み無しで来ました。
とは言え、このインターネットの世界では、今日が何時から始まるのか、こんな一点においても微妙な問題があります。
このサイトは”日刊”と冠していますが、何時にサーバーへUPすればOKなのか良く解からない。そして、良く解からないのを理由に、前日の23時台から、当日の15時くらいまでの範囲でUPしてきたのでした。

毎日のサーバーレポートを分析すると、当ウェブには、メニューに掲げていないコンテンツを含めて、毎日平均100人くらいの方々のアクセスがあります。
この日刊鬼ノ胃が、コンテンツ単位で見ると一番多いアクセス数を記録している(メニューページを除く)のですが、50を少し上回ります。
ホームページ(トップページ)には、最近では概ね10くらいを記録しています。

この数字は、自分が当初予想していた数字より遥かに多いのです。
嬉しいには違いないのですが、これから先、所謂商売色を出していって良いものかに、若干の疑問が残るのです。
確かに、当初から、3ヶ月に至るまでは、開業告知のために、何となく開いておいて、その後に商用運用しようと考えていたのです。

恐ろしいスピードで発展するインターネットの世界に、このままのめり込んでいくことになる”怖さ”とでもいうようなモノに、戦慄している鬼ノ胃であります。

纏まりませんが、今後の当サイトの運営に、一層のご理解とご協力をお願いします。
商売色云々は、どこまでやれるか。
本当のところ、相変わらず、”のほほん”でいくことになるでしょうね。それしかないのですから。

今日は、疲れたおじさんの、言い訳に終始してしまいました。

2000/04/06

文責:い  80点

No.87

渋谷のジャン・ジャンが閉館するという。
そう、あの小劇場ジャン・ジャンが、である。

1969年東京山手協会地下に開館。以来31年間の歴史に幕を下ろすのは、今月25日だそうだ。

津軽三味線の高橋竹山は、どうしても好きになれなかった。
中村伸郎の”授業”に初めて接したときが、私の劇場初体験だった。
一人で行った。変に緊張して座った記憶がある。
その後、何度となく足を運んだが、中村伸郎の声の調子が、その度違っていたのを批判したりもした。
盛り上がりに持っていく場所が、いつも同じではなかった。良い悪いとは別の問題。
あの始まりと終わりの、金槌で釘を打つ音が、今でも、はっきりと思い出すことが出来る。

生田敬太郎は、ギター一本のコンサートをやった。
ロッドスチュアートの”セイリング”を歌ったとき、ギターの弦が一度に2本切れてしまった。
ストローク奏法で乗り切ったが、切れた2本の弦が、垂れ下がりながら暴れて、何か主張しているようだった。

道路から地下の劇場に入っていく階段が、開場前の待合席だった。
階段てのは、椅子になる。上っていく方向に並ぶのだと、後ろ向きに座らなくてはならないが、ここは、降りていく方向に並ぶのだから、真に都合が良かった。
この場所だけの顔見知りが、何人か居た。概ね皆一人だった。”こんちわ”くらいは交わしたが、特別話し込むことも無く、皆ひたすら文庫本を読んでいた気がする。

情報誌”ぴあ”が、まだ社会に完全には認知されていなかった頃だ。
A5の変型サイズだったか。置かれていた書店も疎らで、紙質は、ざら半紙系だ。確か、ジャン・ジャンの演目情報は、この雑誌で仕入れていた。

現在の”ぴあ”は読まない。”チケットぴあ”は極稀に利用する。
ジャン・ジャンは20年訪れたことがない。
このまま存続したとしても、無くなってしまっても(多分閉店撤回の運動もないだろうし)、これからの私の生活に変化はないだろう。

また一つ、私の知っている東京が、無くなってしまう。
それだけのことである。

2000/04/05

文責:い  70点

No.86

将棋世界、田丸のマイ・フォト・メモリーズ。8枚の写真。
最初に、拓郎、陽水、小室が並んで写っている。右端には、中原誠。
昭和50年4月12日、東京目白の椿山荘での出来事である。

四半世紀前の写真であるが、顔は全員まんまである。
中原、小室の二人は眼鏡を掛けている。
近視用の眼鏡に違いないが、現在、眼鏡は何個携帯しているのだろうか。
中原はニコンだったかのテレビCMにも出ていた人であったと記憶するが、もしかすると、ゴルフの中島だったかとも思えてきた。
この二人似ているという指摘や如何。

この頃の拓郎、陽水といえば、サングラス付きの顔しか見ない。
老眼用度付きサングラスの存在は確認していないが、現在の二人の状況から見て、二人のサングラスが、”老眼用度付き”であると確信する。

それにしても、見ていて飽きない。
ある年月を経過した写真というヤツは、どんな写真でも、それなりに感慨を抱かせるものだ。
直接には対局していない小室は、訳解からないくせに、何か難しく喋ってやろうという点に考えを廻らしている風に見える。

拓郎は、写真を撮られている事を、多分に意識しながらも、その時々の感情を身体から発している。
陽水は、お坊ちゃま、そのままである。

中原は、本当にB1で指すことになったという。
この情報が入っている、この写真を見る私には、中原(27歳。時の名人位にあった)に王者の風格が感じられない。

好き嫌いという感情を抜きにした批評というものは、出来るのだろうか。
理屈は、後から如何様にもくつけることが可能だと思う。
瞬時に好き嫌いの判断が出来るかどうかの訓練こそが、常日頃の御心掛け怠るまじき事柄なのかもしれませぬ。

2000/04/04

文責:い  80点

No.85

首相入院。

日曜日であったとはいえ、空白の一日。
ロシアと変わるところが無い。かの国の大統領の入院騒ぎを、なんら教訓にしていなかったとは。

医者グループによる検査結果の検討に、時間が掛かったという話だが、その検討対象の検査データを公表して、より多方面からの検討を加えては如何。
前例の無い事柄に先鞭をつけることに積極的な首相だから、コンナ形で、情報公開における良き前例とするに、反対はしないだろう。

危機管理体制の杜撰さ。本当に、この事態を想定していなかったのか。
官房長官の、”私の一存で代理を引き受けた”という発言も、半日前の入院発表からの時間経過を考えると、お粗末に過ぎる。

野党の出方も不自然。
解散に持っていってしまわねばならないのではないのか。
これは、人道的に考えて、などという問題ではないのである。
危機管理体制の杜撰な内閣、ひいては与党の無謀さを、もっと深く考えて頂きたい。
行政には、我々国民の生命を守る以上の役割はない。
その行政の首長たる総理大臣が倒れたのである。その代理を即座に宣言できない国家を盾にしたわれわれの安全は、脅威に晒されている。

少しばかり、大上段に構えすぎたきらいはあるが、実際国際情勢は、きびしい。
コンナ国では、呑気に春スキーも楽しめやしない。
国全体の事は議員さんたちにお任せして、こちらは、貧乏しても好きなことをやる道を選んで生活しているんだから。
遊んでいるときには、私なんぞ、携帯電話の電源を切って、世の中との関係を断ち切っても何とか成るくらい、ある種信頼していたのです。

しかし、今回の行動を見ていると、議員総辞職。
簡単に言えば、”議員全員田舎者である、即刻田舎に帰れ”となる。

これにて、解散はサミット後なんて主張があるらしいが、サミットに誰が出席するのか、答えは用意してあるんでしょうね。

ここまで書いておいて、こんな些細な疑問を最後に記載するのも、何なのですが、今回の医療費は、ご本人が負担するのでしょうか。

2000/04/03

文責:い  60点

No.84

富津市は財政危機にある。こう言っても怒られまい。

だからどうだ、ということではない。
こういう行政区域の住民である私が、年間どのくらい行政サービスを受けているか、あるいは、受けられずにいるか、についてである。

東京都区民は、都税が高いと聞く。
金銭で支払う所得に応じた税金が高い、という意味だとする。
20年ほど前に、世田谷区に住んだことがある。現在とは大分状況が違うと思うが、そのときの経験を基礎にする。

都会。
一年間に、区民として参加しなければならない地域行事は、何も無かった。
例えば、下水。生活廃水・雨水の処理は一切行政任せである。消防システムもまた、一切行政任せである。
図書館は、歩いて行ける区域内に必ずある。国の機関である国会図書館でさえ、利用可能である。
ゴミの処理は、決められた場所に持っていくだけ。
整備された公園は、いたる所にある。
怪我をすれば、救急車は10分以内に飛んでくる。

現在地。
側溝の掃除を含めて、排水に関わる勤労奉仕が年に3日くらいある。
消防団(これは、行政に取り込まれた格好になっているが、実態は、手弁当の地域住民組織)への参加。
図書館なんぞは無い。考え違いをされては困るので記しておくが、他の市町村で言われる、市の首長の自己満足のための図書館建設などは、止めていただきたい。まともな図書館ができる訳が無い。図書館は入れ物としての箱ではないのだから。
ゴミを出す場所の整備清掃は、区域の住民の役割である。
整備されない野原はいたる所にある。これは、意味なし。
怪我をしても、救急車は何時来ることやら。交通事故の場合など、その救急車より、警察はまだ遅い。

それでも、田舎は良いのである。
だから、住んでいる。
都会を目指した行政を司ろうとするから、財政難に陥るのだ。
何もしない富津市役所を目指して欲しい。
富津市と書いたのは、たまたま私が住民だからである。
他意が無いことも無いが...

2000/04/02

文責:い  60点

No.83

日曜シリーズ”御感じあそばせ”。

全共闘世代。今いくつの人々なのだろうか。

有珠山噴火は30−50年周期。
今回(23年ぶり)は、ほぼこの周期に該当する、との報道。

老衰による死亡。老衰は死因なのか。

科学技術庁原子力安全委員会事務局。4/1総理府に移管。20人体制から、当初80人体制に。来年1月には、新設の内閣府管轄事務局となり、100人体制となる予定。

チャイルドシートって何。

自動車事故撲滅の決定打。自動車製造・販売及び使用禁止法の制定。

ペインスチュアートの乗った小型ジェット機墜落事故。墜落数時間前に機長を含む5人全員死亡の可能性高い。機長のいない自動操縦飛行で数時間飛べる飛行機の存在。

解雇後の警官(元警官と称すべきか)逮捕。

2000/04/01

文責:い  70点

No.82

平成11年版新郵便番号簿で、7桁数値を探していた。ページを捲ると、各県の項の最初に、県章・県花・県鳥・県木のイラストがある。

千葉県の県章は明治42年12月制定とある。
大分県明治44年10月、宮崎明治45年1月と続く。

平成になってからの制定も多い。
もちろん、現在のデザインに、最後に変更された年月が記載されているのであるから、千葉県が全国で最初に定めたということではないのだろう。本当のところは、調べていません。

ただ一つ、気になるのは、全県に県章が存在する、という点だ。
法律に定めがあるのだろうか。
素朴に考えてみよう。つまり、県章の必要性とは何か。思い当たらないのである。

デザイン面から言えば、この際、白地に白なんて県章が、あってもいいのではないか。

ラグビーのジャージは、ファーストジャージに限っていえば、所属する協会毎に先登録優先である。
国際的には、イングランド、ウエールズ、スコットランド、アイルランド、フランス、ニュージーランドなどは、単色。
日本、アルゼンチンといった後発国は、複数色の縞模様である。先に単純な色一色ジャージは、使われてしまったので、縞模様にするしかなかった。
ま、未だに、世界ランキングでは、縞模様国がベストテンの上位に入ることはない。これは、見るのに解かりやすくて良い。

国内を見れば、先ず大学。
慶應義塾、同志社、明治、早稲田といったチームは、皆 縞模様。
タイガーとか、紫紺に白とか、茜黒(アカクロ)とかいうのだ。
国内ではいくらでも先取り出来ただろうのに、本気で世界と単独チームで戦う気概だったのだろう。所属協会など無かったのではあるが..

社会人は滅茶苦茶で、コメントはしないこととする。
新日鉄のアカに、神戸のチームがアカで挑戦していった歴史は、ある種滑稽であった。

何が言いたかったか。
マークなんてものは、他のグループと戦うときに、味方を誤って攻撃しない為の印であって、それ以外の意味は無いはずだ、ということ。

東京都は、初めて戦う相手を見つけたようだから、銀杏みたいな”T”マークは、制定以来11年近くを経て、役に立つのかもしれない。

コジツケタヨウナ話題を以って、新年度最初の日刊鬼ノ胃とする事が出来たようだ。北海道の話題は、もう少し様子をみたい。
新年度もよろしくお願いします。